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※「好きとスキ」のふたりで糖度高め



「ねえ、名前あれいいの?」
「え?」

 名字名前は友達から問われた意味が分からずに、首を傾げる。友達の視線の先には、ファンに囲まれている佐久早の姿があった。彼女も同じように視線を向けるが、今日も佐久早くんは人気があるなぁとしか思わなかった。友達は彼女の反応に、少し佐久早に同情した。彼女が佐久早のことを自分の恋人というよりも、憧れの人という意識が強いのは分かっていたが、あんなに恋人が異性に囲まれて平気な顔されていたら、少し寂しくないだろうか。まあ、個人的な持論だし、変なこと言わない方がいいか、と友達は早々にこの話題を終わらせた。



 練習試合後、佐久早と彼女は生徒の少ない中庭で落ち合っていた。昼休憩をとって、佐久早はまた部活に戻らないといけなかった。

「佐久早くん」
「名前」
「お疲れ様、今日もかっこよかった!」

 彼女が頬を染めて近寄ってくるので、佐久早は腕を広げる。彼女はきょろきょろと周りを確認してから、その腕の中へおずおずとお邪魔した。佐久早は彼女のことを抱きしめると、マスクを下げて、確認するように彼女の首筋に鼻を近づける。そこには、ちゃんと自分の好きな匂いがして、ほっとする。恋人らしいことが苦手な彼女に、佐久早が頼んだことがある。自分の好きなボディミストをつけてほしい、と。

「名前」
「ん、ちょっと苦しい」
「悪い」

 佐久早は彼女の言葉に、腕を緩めて、彼女の顔を覗き込む。彼女は何となく読み取って顎を引くが、少し目を泳がせた。

「佐久早くん……外だよ」
「……」
「今日元々お家お邪魔する予定だったし、その」
「俺の部屋ならいっぱい、していい?」
「……」

 佐久早の指先が彼女の唇をなぞる。彼女は恥ずかしさでいっぱいいっぱいになって、小さく頷いた。佐久早はそんな彼女が堪らなく可愛いく思って、むぎゅうと思い切り抱きしめてしまった。彼女に苦しいと文句を言われると分かっていても、抱きしめてしまった。



「佐久早くんって、ボディミストとかつけるの?」
「なんで?」

 彼女は佐久早の部屋に招かれても、やっと落ち着けるようになった。佐久早の膝に乗せられて、彼女は渡されたボディミストを見つめる。シンプルだが、可愛らしいデザインのものだった。香りも、自然なもので、ふわっとかおるシャンプーのような感じだった。あんまり強くない香りだ。

「だって、これ佐久早くんのかな?って」
「違う。名前に買ったやつ」
「!」
「なに、その顔。返品不可」
「ええ、もう、そういうの、良くないよ」

 彼女はマスクをしていない佐久早の顔を見上げて、唇を尖らせる。お互い学生なのに、こんな出費するなんて……!しかも、佐久早くんの大事なお金が私に使われるなんて!ファンの彼女と、恋人の彼女が解釈違いを起こしてしまった。佐久早は、変な顔をして黙った彼女を見下ろして、彼女の頬を撫でる。名前はすぐ意識がどっか行く癖直らないだろうか?俺と一緒に、いるのに。彼女はハッと我に返って、佐久早と目を合わせた。佐久早の伺うような目つきは、何故か可愛らしい小動物を連想させるので、不思議である。こんなに大きいの男の子なのに。

「姉貴が使ってて、名前にも合うと思って」
「……もう」
「名前は嫌い?」
「ううん、私もこの匂い好き」
「だと思った」

 佐久早のドヤ顔に、彼女は眉を下げた。なに、その、自信。なんで、そんな、嬉しそうなの。もー、佐久早くんかわいいなぁ。

 彼女が甘えるように見上げると、佐久早は彼女の頬に触れて、少しだけ彼女の顎を上げる。彼女は目を閉じて、佐久早の唇を受け入れた。しっとり、と互いの唇が触れ合う。触れ合うだけの、口付けを佐久早は気に入っており、彼女には内緒で薄っすらと瞼を上げる。「分かった。じゃあ、キスするときは、目開けるの禁止ね!絶対だよ!絶対だからね!」という約束は、佐久早の中で既に破棄されていた。割と、最近までは真面目に守っていたのだが。

 少しだけ暑かった日だった。佐久早はふと瞼にかゆみを感じて、目を開けたくなった。ただ彼女との約束を破ってしまうことになるし、今ほど彼女とキスができる関係でもなかった。関係というか、彼女が佐久早とキスをすることに慣れていなかったのだ。佐久早は人並みに、欲求を抱いた。しかし、肝心な相手はそうではないので、キスができるときはなるべく、長くしていたい。佐久早はぎりぎりまで我慢していたが、つい瞼を上げてしまった。

 そこには、なんとも可愛らしい彼女の姿があった。少し悩まし気に寄せられた眉に、ふるふると震える睫毛、佐久早は早々に後悔した。こんな可愛い彼女の姿を知ったら、絶対に、また目におさめたくなるに決まっている。その佐久早の確信は、事実に変わり、その日からずっと彼女とキスをして、少し経ったら目を開けるのが癖になっていた。

 その暑かった日は、いつも焚いていたベープマットを焚くのを忘れていたというオチだった。

 佐久早は彼女の唇の感触を感じながら、彼女の腰を抱いていた手でTシャツの上から彼女のお腹を撫でるように動かす。ぴくり、と彼女の睫毛が震えて、足先がもじもじともどかしそうだった。お腹を撫でていた手が少し下に動いて、彼女の下腹部をねっとりと撫でる。彼女はじわじわと、外から佐久早の体温に触れられて、いけない気分になってきた。ぎゅう、と強く瞑って、自分の頬に触れる佐久早の手を掴む。佐久早は急いで、目を閉じて、ゆっくりと唇を離した。

「限界?」
「うん……」

 佐久早が再び目を開けると、彼女は恥ずかしそうに視線を落としていた。佐久早はたまらず彼女の首筋に唇を寄せて、ちゅ、ちゅ、と何度もキスをした。あ、やばい、佐久早くん、スイッチ入った。彼女は太ももをぎゅっと閉じながら、佐久早からの刺激に耐えた。佐久早は首筋から耳にかけてキスをして、耳の輪郭を唇でなぞる。つぅーと、耳の輪郭にそって触れる唇が佐久早のものだと思うと、頭がおかしくなりそうだった。耳元で感じるダイレクトな生々しすぎる吐息に、彼女は佐久早の腕を掴んで、頑張って耐えるが、早々にギブアップしたくなっていた。

 そして、耳の下のところに、チクッとした痛みを感じて、目を開いた。

「さ、さくさ……くん、いま」
「うん、つけた」
「いやいやいや」
「ダメなわけ?」
「いや、だめとか、そういうのじゃなくて、その、恥ずかしいというか」
「髪下ろせば、見えないとこだし」
「……」

 佐久早はそう言うと、後ろに流れていた髪を前へもってきて、彼女の顔を真正面や横から確認して、うん、と一人で頷いている。彼女は納得しない顔をしながら、本当は気付いていた。少しずつ佐久早に抵抗できる自分が居なくなっていることに。佐久早の自分に対して抱いてくれる欲求や気持ちを少しずつ、素直に嬉しいと受け止めることができるようになって、嬉しい気持ちと不安な気持ちが半分ずつだった。私これ以上、佐久早くんのこと好きになったら、どうなっちゃうんだろう。



「わーちょっと待って」
「俺の部屋でなら、いっぱいしていいって言っただろ」
「言ったけど……」

 彼女は佐久早にTシャツを脱がされかけて、慌ててストップを止める。彼女は約束通り佐久早宅にお邪魔して、いつも通り佐久早ルールを守って、佐久早の膝に乗せられて……と、そこまでいつも通りだった。触れるキスをして、もぞもぞとした佐久早の動きは怪しいと思ったが、まさか脱がされそうになるとは思ってもいなかった。

「口とか、いつものとこだと思って……」
「……」

 彼女の言葉に、佐久早は気まずそうに視線を逸らした。自分が滅茶苦茶なことを言っている自覚はあるらしい。佐久早は彼女が逃げないように、抱きしめると、ぼそり、と告白した。

「もうちょっと先に進みたい」
「……え」
「今すぐ、じゃなくてもいいけど。意識はして欲しい」
「さくさ、くん、それって」

 彼女はお尻の下に感じる、違和感に大きく肩をびくっと揺らした。どくん、どくん、と耳元に心臓があるのではないかと錯覚するくらい、自分の鼓動が早く大きく聞こえる。

「うん、名前としたい」
「……」
「名前?」
「……ま、前向きに検討します」
「!」

 正直、拒否されることも覚悟していた佐久早は、彼女の言葉に目を見開き、彼女の顔を覗き込む。真っ赤な顔をした彼女は佐久早の視線に気付くと、慌てて佐久早の胸に顔を押し付けれて、隠れてしまった。きっと以前の彼女なら、恥ずかしくて佐久早から逃げるときは必ず佐久早の腕から逃げようと、もがいていたのに。佐久早は人知れず目尻を下げると、彼女の頭を優しく撫でて、ぎゅうと抱き締めた。
 



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