子犬に懐かれた気分はこんな感じだろうか。角名は教室に戻ってきた所にわざわざ自分の前まで駆け寄ってきたクラスメイトを見下ろしながら、そんなことを考えていた。

「角名くん?」
「うん?」
「いや、なんかぼーっとしてたから」
「あー、お腹すいたなぁって」
「治くんみたいだね」

 子犬は流石に彼女に失礼だろうと思った角名は咄嗟に適当に誤魔化した。名字はくすくすと笑って、ブレザーのポケットから飴を取り出して、角名の手に乗せた。そのとき少し触れた彼女の指先に、角名の胸はどきっと動揺する。表情に出なくとも、自分の中で感じる違和感に角名は気が遠くなりそうだった。彼女のことを意識するということは、結構めんどくさい。彼女自体はめんどくさいないし、むしろ好きな部類だが、彼女に手を出すといいことがとってもめんどくさい。いや、めんどくさいことになる。

 てか名字さん、俺に何か用?と言いかけて、角名は口を閉じる。彼女の性格を考えると、こんな言い方をしたら「用がなかったら、角名くんに話しかけちゃいけないんだ」という風に考える違いない。

「角名くんこの日空いてる?」
「えっと……まって、部活の日程見てくる」
「うん」

 席に戻る角名の後ろを付いて行きながら、彼女は内心安心していた。相手に予定を確認する=お誘いするということに高確率でなると思うのだが、自分が角名の予定を聞いても特に変わった様子はなかったので、自分は角名に予定を聞いてもおかしくないくらいは仲が良くなっているっぽい。たぶん。彼女の手の中にある広告紙には、角名と彼女が最近気になっているアーティストの名前があった。近くのショッピングモールでこのアーティストのCD発売記念イベントがあるらしく、彼女はこのイベントに角名を誘いたかったのだ。

 なんとか、クラスメイトという距離から脱したくて。

 角名は通学用のエナメルからクリアファイルを取り出して、予定を確認する。何気なく彼女は角名のクリアファイルの柄を見て、口元に変な力が入った。角名くん猫の写真のクリアファイル使ってる!かわいい!

「午後なら空いてるけど」
「ほんと?
 こないだ言ってたグループなんだけどね……」

 角名の答えに彼女は嬉しくて、角名に身体を寄せるように広告紙を見せて説明する。角名は背中に感じるチクチクとした視線と、微かに香るいい匂いにぐらぐらと心が揺れた。自分で言うのもなんだけど、俺けっこー面倒ごと回避するの得意だったと思うんだけどな。

「一緒に行かない?」

 できた。いけた。思ったよりもサラッと言えたぞ、私。ぎこちないなりにニコッと笑う彼女の顔はどこか緊張しているようだった。角名を誘う前に、ネットで彼女は色々調べていたのだ。相手を誘うときはなるべくサラッと、自然に。断られても気にしない。予定があるなら、仕方ない。自分と行きたくなさそうだったら、諦めるしかない。一年ちょっと歪だった高校生活の所為で、彼女は人間関係の築き方が同世代よりも慎重になっていた。

「いいよ、いこ」
「ほんと!?じゃあ、待ち合わせ場所とか決めよう」

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