「えっ、そんな……ええ、え、うそ」
「ほんと」


 保健室のベッドの上で目を丸くする彼女に、角名は丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。リボンを外して、ブラウスのボタンを一つ多く外しただけで、彼女の首元は酷く無防備に見えた。角名は白い肌から目を逸らして、意味もなく自分の指を絡ませて遊ばせる。なんだか母親に悪さしたことを告白しているときのようだと、角名は視線を落とした。彼女に告げた。宮侑と名字名前の関係が歪んでしまった発端は、自分とそっくりの女の子だと。彼女は上手く自体を飲み込めずに、意味もなく掛け布団を握りしめた。


「名字さんは侑のこと、きらい?」
「……え、きらいとか、そういうのじゃないと思う」
「生理的にムリ?」
「それでもないよ!
 どうして嫌われてるのか分からなかったから、それ以前の問題っていうか……
 えっと、こわいとは、思うけど」


 彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。沈黙状態に彼女が耐え切れなかったのか、切り替えるように彼女は明るい声を出した。


「えっと、でも誰が悪いとか、そういうのじゃないから、うん、
 時間が解決してくれるよ、ね」


 尻すぼみに弱々しくなる声に角名が顔を上げると、彼女がじっとこちらを見つめていた。そうだよね、と言ってほしそうな瞳にうっと角名は内心呻く。ここで否定したら、彼女が泣く気がする。その証拠に、彼女の瞳は次第に潤み始めていた。角名は慌てて、首を縦に数回動かした。






 稲荷は目の前に立つふたり大男に囲まれて、表情には出さずとも困っていた。どうして私がこんな目に……、早く名前のところに行きたいのに。宮侑と治は傍から見ていても、名字と一番仲のいい稲荷に接触を試みた。事実を知った侑は彼女に謝りに行くべきだと、保健室に直行しようとしたが、治が力任せにそれを止めた。侑本人ではなく治でも、彼女は泣き出してしまうほど怯えてしまうのだ。いきなり侑が現れたら、それこそ怯え切って倒れてしまうかもしれない。まずは彼女からではなく、彼女をよく知る友人からだ。


「えっと、なに……?」
「俺たち名字さんのこと誤解しとって」
「誤解?」
「稲荷さんは知らんのか。あんな中学のとき……」


 治の説明に、稲荷は盛大に眉を顰めて侑を見上げる。侑は居心地が悪そうに視線を逸らして、「安易やったと思っております……はい」と記者会見にに出された議員のように頭を下げた。彼女のランチボックスを持ち直して、稲荷は口を開いた。


「宮くんたちは名前に謝りたいってこと?」


 稲荷の言葉に、侑と治は大きく頷く。私が口を出すとしても、どこまで言っていいのか……。稲荷はうーんと首を捻って、侑と治を見上げる。


「あ、じゃあ……とりあえず二人はそれとなく、名前の誤解解いてほしい。
 みんな直接何か言ったりはしないけど、視線とか今でも気になるし」
「わ、分かった!誤解とけばええんやな!」
「そ、それとなくね、自然に、あんまり大事にしないで欲しいと思うし、名前も」


 侑と彼女以外の生徒にとっては、このふたりの険悪な関係はただの話題性、他人事でしかない。彼女に直接被害はないものの、自分の知らない生徒たちに自分とは関係ない噂を事実だと、事実かもしれないと思われている時点で間接的に気が滅入ることが起こるのだ。本当の彼女を知らないから、噂を信じて、色眼鏡で彼女のことを見てしまう。本当のことを知ろうとしないなら、他人事だから、尚更その色眼鏡は濃くなる。あと、一年と少しとは言え、毎日過ごす場所でそんな風に見られることはやっぱり耐えかねる。解決できる問題なら、解決した方がいい。稲荷にとっても、名字はこちらに越してきて、初めてできた大切な友達だ。


「お願いします」
「いやいや」
「俺らが勝手に勘違いしたのが先やし」
「名前も落ち着いたら、直接会っても大丈夫だと思う。今は怖がっちゃうけど……」


 気まずそうに稲荷は視線を落として、侑も治も首を横に振った。知らないデカい男子高校生に睨まれて、素知らぬフリをするのは精神的に結構きついものだと思う。その男子高校生が学校のアイドル的存在なら、さらに。


「じゃあ、私名前にお弁当届けなきゃいけないから」
「呼び止めてすまんな」
「稲荷さんありがとう!」
「ううん」


 保健室へ急ぐ稲荷の後姿に、侑と治は顔を見合わせて頷いた。






 彼女は角名から事実を教えてもらって二週間ぐらい経った頃から、違和感を覚え始めた。以前よりも、視線を感じるような……、感じないような……?後ろへ振り返ると、戸惑った顔した女子生徒と目が合って、反射的に逸らしてしまった。あと、クラスメイトが優しくなった気がする。別に無視をされていたとか、モノを隠されたとかはなかった。ただ彼女が会話に混じろうとすると、会話が止まったり、雰囲気がおかしくなったりすることがあった。それが、最近はないのだ。


「……」
「名字さんどうしたの」
「あ、角名くんおはよう」
「おはよ」


 下駄箱で考え込むように立っている彼女に角名が挨拶をすると、彼女は稲荷に向ける笑顔を角名に向ける。角名は後ろにいる双子からの視線には気付かないフリをして、彼女の顔を覗き込んだ。顔色は悪くないか……。少しずつ、彼女の周りが変わっているのに、彼女は気付いているだろうか。流れで一緒に教室まで行くことになった角名は彼女の横に並んだ。


「うーん、なんか最近周りが優しいような気がして」
「ああ、それか」
「角名くんも分かる?」
「侑と治が噂の誤解解いてるらしいね」
「……え!」
「まあ、名字さんに悪いことしたなって、あの二人も思ってて」
「そんな……なんか、申し訳ない」


 いや、べつに、名字さんが申し訳なく感じる必要はないと思うけど。彼女は自分のために他人から何かされることが、苦手なのかな。角名は素直に喜ばない彼女の頬を軽く摘まんで、ニヤッと笑った。


「むしろ大きなお世話だった?」
「そ、んな!わけないよ!」
「なら、素直に二人の気持ち受け止めてあげてよ」
「……うん。
 角名くんって、もしかしてちょっと意地悪……?」
「どうだろうね」


 じりじりと距離をあける彼女に角名は薄っすらと笑うだけだった。


 背中めっちゃ痛いんだけど。彼女に気付かれないように振り返れば、眉を吊り上げた侑と、そんな侑を見て呆れている治の姿があった。確かに、侑はその名字さんとそっくりさんのことは嫌いだったかもしれないけど、名字さんのことは多分違うんだろうな。まあ、だから名字さんが自分のこと全然眼中ないことに、イライラしてたんでしょ。「角名くん?」「ううん、何でもない。教室行こ」「うん」角名が見せ付けるようにわざと、彼女の肩に手を置けば、治までに眉を吊り上げる。


「名字さんファイト」
「え、え、何の話」
「いや、気にしないで」


 あの双子に好意を持たれるなんて、大変だろうなぁ。

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