宮侑は視線の先に、ある女子生徒を見つけて舌打ちをした。隣にいた銀島は侑の態度に眉を下げて、適当な話題を口に出した。こんな侑はあんまり好きではない。友達と楽しそうに歩ていた女子生徒がふとこちらへ振り返る。きっと意味はない。何となく視線を感じたからだろう。そして、ばちっと侑と彼女の線が合う。彼女は大袈裟と言っていいほど、勢いよく視線を逸らし、足早に教室の中へと入っていく。その態度が気に入らないのか。侑は二回目の舌打ちをした。


 名字名前と思われる女の子、と宮侑が初めて出会ったのは中学生の頃だった。直接話したことはなかった。ただ毎回試合の度に、観客席に彼女がいた。初めて彼女が自分のファンだと分かったとき、侑はご機嫌だった。女の子に好かれて、浮かれる年頃だ。また、何より彼女は侑の好みのタイプだったのだ。しかし、彼女への好感度はすぐさま急降下することになる。今では、彼女が侑のことが好きだったのか、侑のバレーが好きだったのか、よく分からない。熱烈やなぁと済まされていた応援が日に日に酷くなっていた。それには侑も、周りの人間の目も彼女を見る目が変わっていった。とうとう我慢が出来なくなった侑が直接彼女の方へ出向いて、注意をしに行った。その日から、二度と彼女は侑の前に現れなくなった。


 平和が訪れたはずだった。


 高校に入学し、クラスメイトたちと顔合わせ。バレー繋がりもあって、侑は入学前から顔見知りが多かった。教室に入ろうとしたときに、中学時代のクラスメイトの女の子が駆け寄ってきた。その顔は険しい。侑は首を傾げて、腕を引っ張る女の子についていく。


「侑!あの子おるんやけど!」
「はあ?あの子?誰や」
「ほらぁ、侑がめっちゃ見た目好みやけど、中身最悪な子!」
「あ?……あー!?嘘やろ!」
「ほんま!ほらぁ、あそこ見てみ」


 言われた通りに教室の扉から、中を覗き込む。元クラスメイトの指す指先には、楽しそうに女子生徒と話す彼女の姿があった。記憶の中の彼女と少し雰囲気が違う気もしたけれども、明らかに姿形は記憶の通りだった。少し似てるとか、面影があるとか、そういうレベルではない。完全に、同一人物だった。侑はあからさまに眉を顰めて、彼女を睨んだ。元クラスメイトはどうする?と目配せしてきたが、どうすることもない。俺が考えることはやないし。一回脅したら、彼女は侑と接触しなくなったのだから、もう関係ない。侑の知り合いはだいたい彼女の存在を知っていた。


「でも気滅入るわ」
「まあ、どんまい。一年経ったら、クラス変わるやん」
「その一年が嫌なんやろ」
「ほらぁ、教室入るで」
「へいへい」


 侑は無理やり背中を押されて、新しい教室に足を踏み入れた。




 そう。別に、彼女と俺は関係ない。いや、そもそも何の関係もない。赤の他人なんやけど。気にしなければいい。ないものと扱えば、楽しい高校生活になるはずだ。そもそも、このクラスは比較的に侑の中学出身の子やバレー繋がりの子が多く、必然的に彼女のことを知っている多いのだ。もちろん、悪い意味で。それなのに、彼女はにこにこと平和に笑っている。侑のことなんて、最初から知らないとでも言うように接して、明らかに気にしているのは、意識しているのは侑の方だけだった。次第に、侑はその事実に苛立ちを感じ始めた。


「名前音楽室行こう」
「いなちゃん待って」
「早くー」
「いなちゃん待ってってば」
「はいはい」


 パタパタと小走りをして、稲荷の腕に抱き着いて、楽しそうに歩く彼女の姿に侑は内心舌を出した。何が待ってってばや。ぶりっ子。あの走り方も、腕に甘えて抱き着く癖も全て気に入らない。彼女は素でしている仕草だろうが、侑から見ればあざとい仕草にしか見えない。もっとイラッとくるのが、やっぱり彼女が可愛いと思ってしまう自分自身にだ。憎たらしいほど、彼女の造形が好みで仕方ない。"今"の彼女なら、付き合ってもいいぐらい外見も、中身も好みだ。弁当に好きなおかずが入っていて嬉しそうな顔も、展開の早い授業に半泣きになりがらもノートをとる姿も、可愛い。彼女のことを可愛いと思うほど、苛立ちが増していく。


 なんで、俺だけ意識しなあかんのや。全然俺のこと見てへんし。気付かんし……、わざとか?わざと、白々しいほど、知らないふりをしているのだろうか。俺の気を引くために?仕返し?それとも、なかったことにしたいのか?


「宮くん」
「……」


 侑は教室の空気が変わるのが肌で分かった。静かにでも、確実に視線でクラスメイトたちが注目して、囁き合っている。彼女も、感じているだろう。俺と彼女の間に流れる、不穏な空気を痛いほど感じている癖に、彼女は何も分からない顔をして、今日も眉を下げて戸惑った顔をしている。


「あの、先生が古文のノート提出してないの、宮くんだけって」
「で」
「で、で?……えっと、今日中に職員室に、えっ」
「名字さんが先生に言われたなら、出しといて」
「え、わたし、伝言だけ、で」
「あかんの?」


 彼女は侑に押し付けられたノートをつい受け取ってしまったが、もごもごと口を開いた。わざと身長を意識して、高圧的に彼女を見下せば、彼女は分かりやすいほど目を潤ませて侑に怯える。言葉もなく、首を横に振って彼女は教室から出て行った。只ならぬ二人の空気に、ふたりのことを知らない生徒たちも興味本位に侑へ尋ねる。ふたりの、間に何があったんだと。侑は口を噤んだ。決して自分では言わなかった。ただ侑の知り合いが勝手に口を開いて、日に日にその噂の内容は悪化していった。いつしか何が事実なのかも分からない状態になっていた。


 彼女が教室で、学年でどういう立場にいるか侑は分かっていたが、何もしないし、どうもしなかった。たまに苛立ちが酷いときに、彼女に声を掛けられると無視をしてしまったり、必要以上に言葉が荒くなった。その度に、彼女は泣きそうな顔で侑を見上げてくる。その瞬間だけ、侑の苛立ちはなくなった。いや、なくなったというより、ゾクゾクと一瞬の快感があった。自分だけ何も知らない、覚えていないという態度だった彼女が侑を見て怯える。彼女の怯える姿はとても可愛い。侑は自然と彼女を見つめていた視線が鋭くなっていった。


 そんな歪な二人の関係が一年経ち、侑は彼女とクラスが離れてしまった。つまらない、率直にそう感じた。


「侑」
「なんや、治。お前顔色ひど」
「名字さんのことや」
「……アイツの名前出すなや」


 彼女の存在は中学の頃から、侑の隣にいた治も当然知っていた。好みのタイプの女の子に応援されてずるいと思っていたこともあったが、エスカレートしていく彼女の応援……いや、マナーの悪い態度には侑でなくても、目に余るに決まっている。いざ進学して、相手が全てを忘れたような顔で接してきたら、そりゃあ腹も立つことだろう。


「なあ、俺たち中学の頃……名前知らんかったよな。あの女の子の」
「……治何が言いたいんや」
「名前も、出身中学も全部知らん。あの子のこと」
「知らんけど、見た目まんまやろ。間違えへんわ」
「見た目だけやん」
「……」
「名字さん……侑と初めて会ったの高校入ってからやって、言っとる。高校に上がってから、こっちに越してきたんやて」
「……嘘やん」
「ほんま」


 侑は治の言葉に目を見開いて、くらりと眩暈がした。

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