そのことに気付いたのは、稲荷と寄り道をした日から数日経った頃だった。

 彼女の前を歩く宮侑は同じ部活の銀島と楽しそうに喋っていた。あれ、私最近侑くんと喋ってない気がする。侑の姿を見つけると彼女は嫌でも意識してしまう。無意識のうちに、視線が逸らしがちになる。歩幅だって、小さくなる。なるべく気付かれたくなくて。そんな無駄な抵抗ばかりしていた。

 彼女の些細な視線に気付いたのか、ふと侑が彼女の方へ振り向いた。ばちっと思い切り目が合った。彼女の肩に力が入る。でも、侑は自然に視線を戻すと、銀島と話しながら、そのまま廊下の角を曲がっていた。

 彼女は思わず足を止めてしまう。今までだったら、絶対喋りかけてきたのに。た、たまたまかな?彼女が考え込んでいると、「名字さん?」と呼ばれたので振り返った。

「す、すなくん」
「どうしたの?こんなとこで立ち止まって」

 戸惑う彼女に角名はゆるやかに口角を上げていた。なんだか彼女はそんな角名に既視感を覚えた。

「角名くん侑くんになんか言った?」
「……なんかって?」
「……」

 角名のはぐらかすような言い方に彼女は眉を顰めた。最近の角名は優しくないのだ。以前はこっちが萎縮するくらい、過保護だった癖に。

 環境が変わって、平和になってから、角名は少し意地悪になった。前までは宮双子しか弄らなかったのに、その被害は彼女の方までに及んでいるのだ。弄り過ぎると、稲荷からの制裁があるため、加減は間違えないように気を付けているが。

「上手く言えないけど、……私がちょっと、ほんのちょっと困ってる、的なこと」

 やさしい彼女は言葉選びをいつも気を付けている。もう誤解されないように。自分が傷つかないように。誰も加害者にも、被害者にもならないように。角名はもう少し彼女をからかいたい気持ちもあったが、線引きを間違えると、彼女からの信頼をなくしかけないので、我慢することにした。

「もうちょっと周りのこと見たら?とは言ったけど」
「え」
「いきなりグイグイ来られたら、誰だってびっくりしちゃうよね」
「……」

 珍しく角名がやさしく目尻を下げていた。彼女にあんまり気にするな、気に病むなと言っているようだった。彼女は角名の言葉に、視線を彷徨わせて、つま先に落とした。

「うん……ちょっとびっくりしちゃっただけ、だよ」
「うん」



「え、なに?聞こえんのやけど」
「こら、侑教室帰るで」
「で、でも、名字さんと角名がぁ!角名が喋っとるのに!」
「名字さん離れ期間なんやろ!ほら、行くで」
「ちょ、銀!お前には慈悲がないんか!」
「あるわ、あるから名字さんから侑を離しとるんやろ!ええんか、名字さんに嫌われても」
「……」

 魔法の言葉を使えば、侑は唸りがらも大人しくなった。銀は侑の腕を引っ張って、教室まで侑を連れて行く。侑は教室に着くまで、ずっと未練がましく廊下の角を見つめていた。



 稲荷は目の前の男を見上げて、デジャヴだなと思った。

「……どんぐらいしたら名字さんに話しかけてもええと思う?」
「誰かに名前に話しかけるなって言われたの?」
「……あほ治とあほ角名に」
「ああ、なるほど」

 何でもない顔をしながら、稲荷は内心舌打ちをした。あのふたりは上手く伝えてくれると思ったのに。へたくそ。名前だって、鈍くない。むしろ、鋭い方というか……周りの変化には敏感な方なのに。

 侑の態度が急に変われば、怪しく思うし、余計に気に病むかもしれない。あくまで自然にやって欲しいと言ったのに。全く話しかけるとは言っていない。頻度を、タイミングを考えろと言っているのだ。それをあの二人がどうやって伝えたのかは分からないが。


「……最近、侑くんに避けられる気がする。やっぱり私の態度良くなかったのかな」


 気にしがりの彼女の言葉を思い出して、稲荷はため息を飲み込んだ。

「名前はゆっくり仲良くなるタイプだと思う」
「?」
「別に侑くんが特別とかそういうのじゃなくて、私とだってゆっくり仲良くなったよ。
 侑くんだって、出会っていきなり親友ってなったりしないでしょ?」
「た、たしかに」
「仲良くなりたいなって気持ちがあったとしても、いきなり相手にペース配分早めで来れたらついてけない」
「……でも、分からへんもん。名字さん会いたいって思ったら、会いに行ってまうし」
「……お喋りはもう二週間くらいなしで、挨拶なら会ったときに、くらいじゃない?」
「それ守ったら、名字さんと仲良くなれるん?」
「なれる」

 言い切る稲荷を侑は本当か?と思いながらも、誰よりも仲のいい稲荷の言葉を信じて、侑は自分の欲望と向き合う日々が始まった。
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