「治くんやばい。めっちゃ美味しそう」
「……」
「うわあ〜これ全部食べていいんだよ!もうヤバい!」
「せやな」
「……?
 なんかいつもより、元気ない?」
「んーん。ちゃうよ、スイーツバイキング初めてやから、圧巻されてもうた」
「確かに、こんなに可愛くていっぱいあるもんね」

 眉を下げて笑う治に、名前は深く頷いて改めて会場を見渡した。あっちを見ても、こっちを見ても、色鮮やかなフルーツとスイーツがきらきらと盛り付けられている。彼女はうっとりとして、頬を両の手のひら包んでため息をついた。幸福、という文字が似合い過ぎる横顔に治は手のひらで口を隠した。

あかん。稲荷、すまん。俺も「待て」無理かもしれへん。だって、名字さん可愛い過ぎるんやけど!聞いてへんし!こないに可愛い格好して、可愛い顔を見せられるって聞いてへんし!

「治くんテーブル行こう!」
「おん」

 治は彼女に手を惹かれながら、若干気が遠くなっていた。あかん、今日一日もつ自信ないんやけど。だいたい稲荷はアホやろ。可愛いスイーツ×可愛い名字さんやで?可愛いの二乗やないか!無理や、耐えれん、俺には早かったんや。治はブラックコーヒーで気を静めながら、彼女と一緒に盛り付けたケーキを口に運ぶ。ホテルのスイーツバイキングとだけあって、どれも美味しかった。治はスイーツの美味しさに感動したり、彼女の可愛らしさに悶えたりと忙しかった。

「このチーズケーキうま」
「治くんチーズケーキ好きなの?」
「うーん、特に好きって感じはないなぁ。名字さんは?」
「私はね、チョコと、マンゴーと……あと、うーん、あ、いちご!」
「……」

 合掌。治の頭の中には、その二文字があった。考え込んだ末に、彼女は丁度食べていたショートケーキのいちごをぷすり、と、フォークで差して、頬の横でポーズを決めるようにニパァーと笑う。完全に女子会のノリであった。治の気遣いもあるが、治の元々もつ雰囲気のせいで彼女はとってもリラックスしていた。それこそ、稲荷と一緒にいるような気分だった。自分に対して、何の先入観も、期待も、ない空間は心地が良かった。思うままに、正直に、振る舞えることはとても幸せだ。彼女はその幸せを噛み締めている途中の毎日なのである。

 そんな彼女の可愛らしい素顔を見せられるたびに、治は手を出したくなる。自分のものにしたくなる。自分だけ、のために笑って欲しいと、欲が出てしまう。その欲が出てしまったら、彼女が気付いてしまったら、彼女は笑わなくなる。いや、笑えなくなる。困ってしまう、から。

「治くん?」
「俺もいちご好き」
「食べる?」
「んーん。自分で、取ってくるわ。それは名字さんが食べなさい」
「うん」

 彼女は大人しく頷いて、いちごを食べながら、ショートケーキを取りに行く治の後ろ姿を見ていた。



「フルーツタルト美味しい」
「酸味あるのもええなぁ」
「ねえー。はあ、本当に美味しい」

 彼女はストレートの紅茶を飲んで、ふぅと一息ついた。一通り食べたいものは食べて、今はゆっくりタイムだ。治は自分を褒めていた。良かった。もうすぐ時間的に、この楽しくて苦しくて、美味しい時間も終わりに近い。制限時間があって、良かった。ちゃんと彼女にとって楽しい時間で、終わることができる。

「治くん」
「んー?」
「今日はありがとう。本当に楽しかった」
「……俺も楽しかったわ。ケーキ美味かったし」
「ね。……治くんがいてくれて、よかった。
 私いなちゃん以外こっちで遊べる人いなくて……、だから嬉しくて。それにね、正直言うと、少し不安だったの。
 でも、今日治くんとケーキ食べて、喋って、すごい楽しくて、……治くんのこと巻き込んだ形になったけど、本当に、楽しくて、………」
「うん」
「また、治くんと甘いもの食べに行きたいって、思った」

 彼女はときどき目を逸らしたり、声を小さくしながら、治に気持ちを伝える。言っていいか、迷った。でも、伝えたかった。

「ほんま、名字さん可愛すぎ」

 可愛すぎるわ、と続くはずだった言葉が途中で止まってしまう。目の前で、楽しそうだった彼女の表情が固まったから。治はくらり、と眩暈がしそうになる。まるで、初めて彼女に接触した日の再現のようだった。俺はまた彼女を怯えさせて、泣かせてしまうのか。治の頭はすぐ後悔でいっぱいになる。今すぐ自分の口をホッチキスで止めてやりたい。

「ち、あ、……」
「おさ」
「すまん。……ごめん、聞かんかったことにして」
「え、えっと、おさむく」
「ごめん、ほんまごめん。分かっとったのに、ごめん」

 彼女が口を挟む隙もないくらいに、治は何度も「ごめん」と繰り返した。治の顔がどんどん赤くなって、眉がきゅうっと寄せられる。とても申し訳なさそうに、自分から目を逸らす治の行動に彼女は困惑していた。どうしたのだろう。どうして、そんな顔を治くんがするの。そんな、傷付いた顔をするの。私は、どうしたら、いいの。

「治くん、あの、分かってた、って……?」
「名字さんが、こういうこと言われたくないって、分かっとった。
 でも、名字さんが可愛くて、俺我慢できへんかった」

 思わず、治の言葉に彼女は顔を俯かせてしまった。治はそんな彼女の様子を目の当たりにして、ずきん、と酷く心が痛んだ。「ほんまに、俺かっこわる」彼女は絞り出すような治の声に、反射的に顔を上げる。そこには、ひとりの男の子がいた。自分でしでかしたことを後悔して、見ているこっちが泣きたくなるぐらい反省している男の子。そんな顔しないで欲しい。治くんには笑ってて欲しい。一緒に楽しくいたい。

「そんなこと、ない」
「名字さん?」
「治くんはかっこ悪くないよ。すっごい優しいよ、だって、……」

 こんなにも私のこと気にかけてくれてる。傷付かないでほしい。でも、なんて、言葉をかけたらいいか、分かんない。

「嬉しかった」
「え」
「さっきの。可愛いって、言ってくれて、いやじゃ、なかったよ」
「名字さんほんまに?」
「うん。
 む、むずかしいことは、分かんないけど、単純に嬉しかった」
「嫌やなかった?」
「うん」

 繰り返し聞く治の問いに何度も彼女が顔を赤くしながら頷けば、治の顔にやっと安堵の色が戻ってきた。

「あ、そろそろ時間や」
「そ、そうだね、行こうか」
「そやな」





 『好き』とは……、なんだろう。あの日から治くんのことが忘れられない。名字は自室のベッドに横になりながら、唸っていた。自分のことを可愛いと言う、治が嫌だったのではない。驚きと戸惑いは正直あった。でも、嬉しいとも感じた。治に悲しい思いをさせたくない、という気持ちと、照れて顔が上げられない。そんな状況とは知らない治から見れば、彼女に拒絶されたと思っても仕方がない。未だに治は名字さんは優しいから気を遣わせてしまった、と思い込んでいる。ちなみに、そんな勘違いをさせたとも、彼女も気付いていない。

 あの日の帰りも、治くん気まずい雰囲気だったけど、送ってくれたなぁ。危ないからって。私だったら、そこまで気を使えずに、駅で帰っちゃうと思う。

「私治くんに守られてる気がする」

 ぽつり、と呟いた言葉に、彼女は頬を熱くして、一人で気まずくなってしまった。



「は……?」

 彼女は口を開けて、目の前の大男を呆然と見上げていた。大男こと、治は彼女の反応にびびりながらも、言葉を続ける。あまり生徒がこない渡り廊下でふたりは話していた。どうしても、あの日の出来事が忘れられない治が彼女を呼び出したのだ。やはり、なあなあにはしておけない。ならば、一度リセットさせてほしい。

「あの日言ったこと、忘れて、ほしい……?」
「いや、ほんまに自分勝手やなって思うんや、けど」
「……」

 あかん、怖い。え、なんで、なんで、名字さんめっちゃ怒ってるやん。こんな名字さん見たことないんやけど。まったりも、のんびりもしていない彼女は目尻を吊り上げて、目力を強めにして、治を見上げる。上目遣いなんて、可愛いものはそこにはなかった。治は思わず後ずさりそうになった。

「治くんは軽い気持ちで言ったって、こと……?」
「違う」
「なら、なんで忘れて、なんて、言うの?私ずっと、あの日から、ずっと」

 治くんのこと考えてるのに。悩んでいるのに。向き合おうとしているのに、どうして、治くんは逃げようとするの。

「ずるいよ」
「あの、名字さん」
「だって、あんなの、忘れるわけないじゃん。忘れられない、よ……?」
「……」
「……」

 あの日とは立場が逆転している。泣きそうな顔でこちらを見上げる彼女の反応に治は戸惑いながら、必死に自分の理性を保っていた。だって、そんな目で見ないで欲しい。まるで、諦めるなと言われているように感じてしまう。

「なんか」

 フフ、とたまらず治が笑ってしまうと、彼女は何がおかしいのか、とさらに顔を険しくさせた。治はほんのりと頬を赤くさせながら、彼女を見つめる。その優しい治の眼差しに彼女の心臓は大きく音を立てた。ずるい、また、そんな顔をして。治くんはずるい。

「俺名字さんに告白されとるみたいやなって思って」
「え、そんな、の、……」

 彼女は初めてここで我に返った。そうだ。私は今の日常でいいと思ってた。それ以上はいらない、って思った。それは本当だ。でも、今の私は、そうじゃない気持ちもある。治くんのこと、もっと知りたい、もっと一緒に居たい、治くんのこと……。でも、それは。彼女は眉を寄せて、治から距離をとろうとした。そのとき、治が動いた。

「わ」
「名字さん、無理なんかな?」
「え、ええ、なにが?」

 治に優しく手を引かれた彼女は、治の胸に倒れそうになった。なんとか、治の胸板に手を置きながら、治の言葉に顔を上げる。治は考え事でもするようにちょっと視線を上げてから、じーっと見上げてくる彼女に視線を合わせた。

「名字さんが大切にしたいことと、俺のこと」
「うん?」
「その二つの両立って、無理なかなぁーって」
「……む、無理だと思う。治くんともっと一緒にいたら、また」
「色々言われるようになるからやだ?」
「……」

 彼女は渋い顔をして、治から視線を逸らした。

「守るよ」
「え」
「名字さんが色々言われんよう、俺が名字さんのこと守る」
「治くん、あの」
「名字さんは俺のこと、どう思ってる?」

 そっと、優しく大きな手が彼女の両頬を包む。強制的に治の方へ顔を固定された彼女は嫌でも、自分の気持ちと向き合うことになった。少しだけ目尻を下げてこちらを見つめる治を思い出してしまう。「美味しい?」と視線で聞く治に、美味しいとリアクションで返せば、治はさらに目尻を下げるのだ。やさしい治と一緒にいると、素直な自分を出せた。治と一緒にいると、楽しかった。安心して、居心地がよかった。

「もっと、一緒にいたい」
「俺と?」
「うん」
「俺も、名字さんと一緒におりたい。
 名字さんのこと好きやから」

 予想よりもするっと、口から出てきた言葉に治自身、正直驚いた。彼女の顔がみるみる赤くなって、治はふにゃふにゃと頬を緩ませる。

「うう、苦しい。治くんが可愛い過ぎる」
「名字さん冷静になって。可愛いのは名字さんや」
「いうあ、いや、治くんだよ」
「名字さん呂律回ってへんけど、大丈夫か」
「だいじょうぶじゃない」

 彼女は嬉しさと、恥ずかしさでいっぱいになって、たまらず治にぎゅう、と抱き着いた。治は予想外の彼女の反応に大きく身体を揺らす。これ、抱き締め返して、ええんかな。

「なあ、名字さんは?俺のこと」

 治が彼女に頬ずりしながら甘えると、彼女は変な唸り声を上げる。

「す、すきです……」
「へへ、俺も」

 治は心置きなく、彼女をぎゅう、と抱き締め返した。

〜後日女子会(いなちゃんに報告)にて〜

「宮治は足し算引き算得意そうだよね」
「算数?」
「いや、恋愛の駆け引きの話」
「!(たしかに……!)」
「素なのか知らないけど。見事に釣られてて笑う」
「ひどい!」
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