腹が減ったら食う。眠たくなったら、寝る。欲しいから、取る。治はそれくらいシンプルだったらなぁ……と、女子から貰ったポップコーンを口に放り込んだ。相変わらず治は名字に対しての気持ちを上手く対処できずにいた。どこまで近づくことが許されるのだろうか。彼女の様子からして、なにか新しいこと……というか、外部からの刺激はもういりませんっという様子なのである。治は其双子の片割れとは違い、分かりやすく繊細で相手の領域に無造作に踏み込むことが苦手だった。

「え、いなちゃん行けないの?」
「ごめん。本当にごめん……法事で」
「嘘だ。私と行きたくないから?」
「そうじゃないから。今回は行かないと親に怒られるの」
「ふぅん。もう予約しちゃったのに」
「ごめんって」
「期間限定なのに」
「だから、ごめんって言ってるでしょ」

 珍しく仲良しふたり組が言い合いをしていることに気付いた治はチラッと隣の席を覗き見た。拗ねてそっぽを向く彼女と、そんな彼女を不機嫌ながらも宥めようとしている稲荷の姿があった。稲荷はふと治を見て、こちらに近付いてきた。

「宮ってさ、甘いもの好きだよね?」
「好きやけど」
「この日予定ある?」
「ないけど」
「じゃあ、名前と行ってあげてくれる?
 ここのホテルで使える商品券を名前が持ってるからさ。お金のことは気にしなくていいし」
「ほら、名前こっちおいで」
「え、う、うん」

 稲荷は連絡先の交換や当日のことについてテキパキとふたりに伝える。話についていけない、ふたりは流れるがままに頷いていた。



 治は自分のLINEに追加された彼女のアイコンを何度も確認してしまう。本当に連絡交換したんや。幸せを噛み締めている自覚がない治の前をせかせかと歩く稲荷の後ろ姿があった。連絡先交換のきっかけを作った張本人を見つけて、治はその背中を追いかけた。

「稲荷」 
「あ、宮」
「今日のアレ、どういうつもりや」
「……どういうつもりもなにも。私が行けないから、代わりに行って欲しいから頼んだんだけど」

 何で俺なん?口からすぐ出そう質問が出なかった。その先に答えに期待したい気持ちと、違ったらいやだなという気持ちで、何とも言えない顔だけになってしまった。稲荷はそんな治の心情を読んだかのように、淡々としゃべる。

「いないの。私以外」
「?」
「名前は私以外、こっちで遊ぶような友達いないの。
 私も、名前も高校からこっちに越してきたから」
「あ、稲荷も転校してきたんか」
「うん」
「……稲荷以外、友達おらんって……あ、俺らのせいか」
「いや、原因全部って訳じゃないけど」

 それでも、どうして俺なん?
明かに彼女と行きたいヤツはいるだろう。治は口を噤んで、気まずくなって目を逸らしてしまった。ぐずぐずしている治に、稲荷はイラッとして髪を耳にかける。

「それに、侑くんの方より、治くんの方がいいと思って」
「エッ」
「治くんはちゃんと名前のこと待ってくれると思ったの」
「名字さんの」
「そう。名前の気持ちが落ち着くまで待てる人かなって思ったから、名前のこと任せれるかなって。
 別にどっちの応援してるとか、そういうのじゃないけど、強いて言うなら、治くんかなって」
「……稲荷、お前ツンデレって言われん?」
「殴ってもいい?」




 侑より、俺の方が待てるから買われているらしい。待てる、というより、臆病の間違いやないやろうか。治は必要最低限のやり取りを見ながら、ため息をつきそうになった。自分の家とは言えど、同じ家に、同じ部屋に、同居人が存在するというのは時々煩わしい。生まれたときから一緒で、どんなに当たり前の存在でも。特に治の様子も気にしないで、スマホを触る侑の背中にチラリと視線を向ける。今日の出来事を侑が知ったら、クソ面倒やろうなぁ。

 治は思う。侑の遠慮もない自分本位な行動力が羨ましいと、時々思う。きっと、その行動力で侑は手に入れたものが幾つもあるだろう。そして、失ったものも。稲荷はそんな侑の本質に気付いていたのだろうか。同時に、俺の本質にも。俺が侑と比べれば、遠慮しがちな方だと。あくまで、比較対象は侑だが。

「なんや、治。明日デートなん?」
「まあ、そんなとこ」
「え、マジなん?」
「知らん」
「なんや、それー。治が前日に服ハンガーにかけ直しとったら、だいたいなんかあるときやん」
「そら、知らんかったわ」

 治は素知らぬふりをしながら、やはり部屋は別々の方がいいなと実感した。



「いなちゃんどっちがいいかな」
「うーん、こっちかなぁ」

 稲荷は急遽開催されたファッションショーに巻き込まれていた。彼女の部屋には服が散乱していて、足の踏み場も危うくなっていた。彼女はニットだけ身に付けて、下にはくスカートを探している途中なのである。稲荷は丸出しのお尻を見ながら、デート前の服選びにしては酷い格好だなぁと思ってしまった。彼女の無防備さは今に始まったことではないので、稲荷は特に何も言わずにスカート手渡す。

「かわいい?」
「うん、似合ってる」
「じゃあ、こっちにする。あとはー、メイクと髪の毛どうしよう」
「まあ、デートだからナチュラルメイクでいいんじゃない?
 髪型は食べるから、上げておけ……なに」

 険しい顔でこちらを見る彼女の反応に、稲荷は首を傾げる。私なんか変な事言った……?

「で、でで、デートじゃないよ!一緒にスイーツ食べるだけだよ!」
「ああ、そうだね、あくまで私の代わりだもんね」
「そ、そうだよ!いなちゃん代わりって言い方は失礼だけど」
「ああ、そうだね」
「ぴ、ピンチヒッター的な感じの、アレだからね」
「そうだね、アレだね」

 受け流すように稲荷が相槌を打って、散乱した服を片付けていると、ぐいっと彼女が近づてきた。ちか、邪魔。稲荷は迷惑そうに彼女を見ると、彼女は若干怒っていた。

「いなちゃん」
「なに」
「私いなちゃん相手でも、服もメイクも、髪型もめっちゃ準備してるからね!」
「……」

 彼女は稲荷の冷めた態度を、治相手だから張り切っているんだなぁと思われたと思っているらしい。稲荷はわざわざ報告してくる彼女に、思わず笑ってしまった。今更、そんなこと。当の昔に知ってるし。ふたりで買い物に行く度に、彼女は毎回毎回フル装備だった。

「いなちゃん聞いてる!?」
「聞いてるし、知ってるし」
「分かってる!?」
「分かってるし。
 ほぉら、髪とメイクやるんでしょ」
「うん、やるけど」
「あとさ、名前さ」
「うん?」
「もし宮治のこといいなぁーって感じたら、素直になってもいいと思うよ?」
「?!」
「気になってるんでしょ?」
「ええ、……まあ、ちょっと」
「ちょっとでも十分だって」

 少しだけ、寂しくて、嬉しい。稲荷と名字の友情は少しだけ、特殊だった。お互い知らない土地になって、お互い初めて友達になった相手。稲荷は自然と名字以外とも、友達になれた。ただ名字はいつになっても、一人だった。分からない違和感がずっと付き纏っていた。他の友達に、その違和感のことを話しても、困ったように笑うだけだった。稲荷の友達の中でも、宮侑と名字の噂を知っている子はいたが、わざわざ友達の友達を傷付けることを言う必要がないだろうと、口を噤んでいたのだった。

 稲荷は名字のことが心配だった。自分以外に友達ができるだろうか。自分がいないと、名前はひとりぼっちになってしまう。一歩間違うと、依存関係になってしまいそうな二人だった。

「良かったねえ、名前」
「うん?」
「なんでもなーい」

 稲荷はどっちでもよかった。名前に恋人ができようが、友達が増えようが、本当にどちらでも。ただ、名前が楽しそうに出かける準備をしていることが嬉しいのだ。そして、その準備の手伝いとして、名前に選ばれることも、とても嬉しい。

「明日楽しいといいね」
「うん!」
| back |
- ナノ -