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 宮治が宮侑に対してずるいと思ったのはいつだったか、もう覚えていない。いや、その身に覚えが有り過ぎて逆に分からないのだ。最初に自分が褒められても、自分のものになっても、最後は侑が良いところを掻っ攫っていく。その法則のような、一種のお決まりのようなものに気付いた……いや、感じたことでさえも、明確なきっかけを覚えていない。名字名前のこともそうだ。侑と親し気に話す彼女の横顔はとても可愛らしく治の腹の居所をよーく刺激した。

 そもそも、俺が一番部外者やんな。当事者はふたり、名字名前と宮侑。そして、歪な関係を壊すきっかけを作った角名倫太郎。宮治は誤解を解くために、走り回ったが、それは侑も一緒だった。名字さんと特別話すようになったわけでもないし。ただ俺と侑は昔から好きなものが被る。絶対被る。今回もそうだ。侑が彼女のことが好みのタイプというなら、俺だってそうだ。ただ人に対しては見た目が好みというだけで、好きという気持ちが全部傾くわけでもないが。

「……もっとマシな出会い方したかったわ」
「誰と?」
「うっわ、角名か。驚かすな」
「治が勝手に驚いたんでしょ」

 はい、借りてた漫画と机に置くと、角名は特に何か言う事もなく席に戻って行った。そろそろ授業が始まるらしい。またなーと手を振って、自分の教室に帰る侑に向かって、手を振り返す彼女の姿もあった。まじか。俺ずっと一人で考えてたんか。時間の速さに驚いていると、席替えで隣になった彼女も戻ってくる。

「治くん?」
「ん、なに?」
「ううん、なんか難しい顔をしてたから」
「ほんま?」

 うん、と頷く彼女の雰囲気が大分変ったなぁと治は改めて思っていた。びくびくしていた怯えも、おどおどしていた警戒もなくなった彼女は素直でまったりとしていた。せかせかと早い展開で話す侑の話を、ときどきワンテンポ遅れて理解することもある。そのワンテンポ遅れて理解したときに、頭上にハッと気付いたようにビックリマークが出るのだ。いや、出ているようにこちらから見える。その顔が面白くて可愛いくてたまらない侑はわざと早いテンポで話すことがあった。

「……名字さんは侑のこと好きなん?」
「……」
「……」
「エッ」

 した。ハッと気付いた顔をした。まるで、キャラクターのような仕草だった。確かに面白い。治は頬杖をつきながら、彼女を見つめた。質問を理解した彼女の頬が赤くなったときに、治の眉がぴくりと動く。だが、彼女の様子がおかしくなっていた。次第に赤から青へ、そして冷や汗をかき始めた。嫌な予感がした治は彼女の腕をとって、立たせる。彼女の異変にいち早く気付いたのは治だけではなかった。

「名前」
「稲荷悪いけど、俺ら保健室行ってるって伝えて貰ってええ?」
「え、……いいけど」
「頼むわ。名字さん行こ」
「う、うん」



「おさむくん、あの」
「ごめん。俺が変なこと聞いたから」
「いや、その、……治くんの質問って、その」
「もちろん。恋愛的な意味やで」

 治は彼女の腕を捕まえたまま、ゆっくりと静かな廊下を歩いていた。彼女の中で、混乱状態になっていた。やっと学校でも落ち着けるようになったところに、あの質問がダメだった。あくまで、彼女にとって宮侑は理由が分からないけど怖い人から、誤解が解けて怖くない人へ変わっただけで。それから、恋愛に発展させる発想はなかった。そもそも、今の平和な空間のままでいい。これ以上は望まない。それが彼女の素直な気持ちだった。

「……えっと、そういう目では見たことない、です」
「そうなんや」
「うん」

 治は意外やなと、やっとそこで彼女の方へ振り返った。彼女の頬は未だに血の気がなかったが、冷や汗は引いていた。教室という場所が悪かったのかと気付いた治は彼女の両手首を捕まえた。

「名字さん教室で変なこと聞いてごめんな」
「え、う、うーん、そうだね、教室じゃない方が良かったかも」

 苦笑い気味に気にしないで、と首を横に振る彼女を見て、治はもやもやしながらまた「ごめんな」と繰り返した。正直、好きか嫌いかなら、好きに近い。好きか、気になるかなら、気になるに近い。それが治が彼女に対して抱える気持ちだった。きっと普通に出会っていたら、素直に好きと言えたかもしれない。罪悪感、侑への対抗心、そんなものがゼロなのか?と問われたら、自信がなかった。

「あの、治くん?」
「んー?」
「さっきから、その、手を……」

 困惑している彼女に、今度は治が苦笑いになった。この手を離したくない、という気持ちがあることに今、気付いてしまったのだ。
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