名字名前の脳内は、はてなマークでいっぱいだった。自分の手を取って前を走る男の子が、自分の知っている角名倫太郎とは全く異なっていたからだ。異なっているというよりは、想像と違っただけなのだが。パンプスの低いヒールが悲鳴を上げる。当たり前だ。このパンプスはオシャレのためであって、走るためではない。彼女は角名の手を引いて、声もかけた。

「す、すなくんっ」
「あ、ごめん」

 駅から距離が離れたところで、角名はやっと足を止めた。もう少し早く振り返れば良かった、と後悔した。彼女のせっかくセットした髪も、服も少し乱れていた。涼し気な服装だなぁと思っていたくらいだったが、肩に引っかかっている細い紐が見えていることに気付いた角名は急いで目を逸らした。彼女も、角名の反応を訝しげに思い、すぐに気が付いて軽く整えた。

「ほんと、ごめん」
「ううん、だいじょうぶだよ。
 でも、あんなところで宮くんたちに会うなんてびっくりだね」
「ほんとにね」
「ね……」
「うん……」

 気まずい。会話が続かない。彼女は彼女で、角名のさっき言った言葉が気になるし。角名は角名で口走ってしまったのはいいが、その後どうすればいいかまでは考えれてはいなかった。あ〜角名くん、どういうつもりで言ったんだろう。いやあ、あの二人に変な勘違いさせないため?私を庇ってくれたのかな?角名くんやさしいしなぁ。わがままだけど、その優しさは苦しいよ。彼女の表情がどことなく曇っていく様子に、角名は自分の気持ちが正しく伝わってないことだけは分かった。

「名字さん」
「うん?」
「あその公園でちょっと休んでかない?」
「あっ、そうしようか」
「時間だいじょうぶ?」
「全然だいじょうぶ!」



 角名は手の中の缶コーヒーを持て余しながら、考えていた。どう切り出せばいいのか。ふと、角名が横を盗み見ると、頬を真っ赤にして瞳を潤ませている彼女がいた。いつかのときの保健室の出来事を思い出す。名字さんは俺の前で泣いたり、泣きそうになったりすることが多かったなぁ。最初は好奇心だった。だって、明らかにこんな無害な女の子が、侑に熱心にアピールするような度胸があるはずがない。冷静に彼女を見つめれば、分かることだ。そう思って、確かめたくて、自分の感じたことが正解だと知りたくて、近付いた。でも、もう認めて覚悟決めるとか、そんなのではないと今分かった。自分の横に彼女がいることがとても嬉しい。シンプルに、そう思った。本当は彼女が自分に抱いている好意は刷り込みではないのか、と考えていた。こんなにも俺の行動に、言葉に、心を動かしてくれる名字さんが居るんだ。刷り込みとか、そんな彼女の気持ちを疑う前に、目の前の彼女を見ないといけなかったのだ。

「名字さん」
「は、はいッ」
「さっきはいきなり走らせてごめんね」
「ええ、いいよ、本当に大丈夫」
「うん、ありがとう。でね、俺言いたいことがあって」
「うん?」

 意を決して、角名は彼女の方へ身体を向ける。角名の雰囲気を感じ取って、彼女も角名の方へ身体を向けた。互いに真正面から、見つめ合う形になった。改めて、角名は彼女を見つめて思った。

「……名字さんかわいい」
「え」
「あ、間違えた……いや、間違えてない、ないんだけど、その」

 目の前ので、頬を赤くして視線を泳がす角名に、彼女は瞬きを繰り返した。こんな角名くん見たことない!すごいかわいい……!という思考回路と、自分が何を言われているか分かろうとしているのに、分からない状態に陥っていた。

「す、すなくん、あの」
「すき、なんだけど」
「すき、え?」
「……名字さんのことが好きなの、俺」
「え、ええ、ほんと?」
「ほんとに好き」
「わ、わたしも……わあ、ちょ、っと」
「ごめん、嬉しくて」

 彼女は目の前の光景が信じられなかった。自分の気持ちを伝えた途端に、角名が笑ったかと思うと、抱き着いて来たのだ。少し痛いほど抱き締められる角名の腕の中はたくましくて、とってもドキドキした。角名は自分の腕の中で固まっている彼女が可愛くて仕方ない。口に出せば、もう今までの抵抗なんてできっこない。このまま気持ちが溢れて行きそうだった。彼女の感触を確かめるように、手のひらで彼女の背中をなぞる。自分より、小さくて、柔らかい。異性の身体だった。

「名字さん……名前って呼んでもいい?」
「い、いいよ」
「名前ほんとかわいいね」

 彼女は角名にぎゅうう、と抱き締められて、自分の肩にうまる角名の頭の距離の近さにくらくらしていた。言葉も、行動も、全て角名の全てから溢れる気持ちを目の当たりにした彼女は恥ずかしさと嬉しさでどうにかなりそうだった。

「やばい、キスしたい」
「えっ」
「うん、分かってる。ここじゃしないから、安心して」
「……すなくん」

 ボソッと言われた言葉に彼女が驚いていると、角名は少し距離を作って戸惑う彼女を安心させるように笑った。

「それに俺名前にキスしたら、キスだけじゃ済まないと思うし」
「え?」
「だから、今度俺の部屋でしよ」
「えええ」

 自分がずっと、一文字で会話している気がしてきたと彼女は思った。だって、そうだろう。冷静で落ち着いている(?)クラスメイトがガタが外れたように、甘ったるいのだ。彼女は知らないが、角名はここずっと自分の気持ちを誤魔化して、我慢してきた。彼女に手を出すことで起こる面倒ごととか、それに引き換えてでも彼女のことを想う気持ちがあるのかも自信がなかった。うだうだしていた。実際は覚悟も何も、我慢できなくなるものだと角名は知った。

 好き、という気持ちは簡単に押さえられるものではない。

「ごめん。がっついてるよね、引いた?」
「……引いてないよ、びっくりしてるだけ」
「良かった」

 やっと落ち着いたのか、角名は彼女から腕を離して、困ったように笑っていた。彼女は赤い頬のまま首を横に振って、そおっと角名の手を捕まえる。

「名前?」
「……あのね、私もあるの。
 角名くんにずっと言いたかったこと」
「え、なに?」
「あの日、話しかけてくれてありがとう」

 彼女の言葉にたまらなくなった角名は彼女の手をひいて、彼女のことを力いっぱい抱きしめた。

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