角名は心臓が痛かった。待ち合わせ場所の駅前で、直前で、まだ名字と出会う前なのに、遠目で彼女の私服を見ただけで、動揺する自分に角名は自分で呆れてしまった。こんなの認めなくても、認めているようなものだ。

「げぇ」

 咄嗟に出た声は彼女には聞こえてなかった。良かった。角名に気が付いて、準備まだ出来ていない角名の心は気付かずに駆け寄ってきた彼女の姿に角名はまた心臓をいためる。ああ、俺は本当に彼女が駆け寄っている姿に弱いなぁ。

「角名くん!おはよう!」
「おはよ、名字さん」

 あーめっちゃかわいいね。

 口から零れも、言うこともできない言葉が自分の中に溜まっていく。角名は緩みそうになる表情筋に全力で力を入れた。彼女が怖がらない程度の無表情を心がける。そんな角名の努力をていっ!とストレートパンチをかますかのごとく、彼女は角名を見上げて、照れくさそうに笑う。それだけで角名にとってはダメージがある。

「角名くん私服でもかっこいいね」
「えっ……そう?ありがとう」
「うん、制服も似合うけど」

 え、むり。俺今日絶対名字さんにやられるじゃん。心臓苦しいし、痛いんだけど。角名は口元を手のひらで隠して、思わず上を仰いだ。もう、いいのではないだろうか。確かに自分の気持ちに素直になれたら、楽だろう。ただ面倒ことを自らしょい込むのは質じゃない。そんな意地を張るのに、これは拷問過ぎる。むりだ。あきらめよう。諦めた方がきっといい。

「す、すなくん?」
「……ごめん、なんでもない。行こ」
「う、うん?」



「……」
「……」
「良かった」
「最高」

 惚けたような空気から、角名と彼女は同時に感想を言っていた。ふたりの視線がそろりと合って、自然と落ち着いて話せる場所を目指して歩き出す。五分ほど待って、カフェに入ったふたりはそこで初めて、お互いとても喉が渇いていることに気付いた。

「うーん、私アイスティー」
「俺はアイスコーヒー。なんか食べる?」
「どうしようかなぁ……あ、ケーキセットある。ガトーショコラにしようかな」
「色々あるなぁ……、俺パンケーキ」

 彼女は呼び出しボタンを押して、少し迷っていた。メニュー自分で言った方がいいかな?角名くんの分も言った方がいい?う〜ん。初めての人とこういうお店行くときって、いっつも迷うんだよな。彼女の迷いを他所に、角名はウエイトレスが来たところで、先に口を開いた。

「ケーキセット二つで。パンケーキと、ガトーショコラ。飲み物がアイスティーとアイスコーヒーで」

 二人分の注文を言い終えると同時に、角名は彼女にこれで合ってる?と問う。彼女はぶんぶん、と勢いよく頷いて、注文を繰り返し確認して笑顔で去っていくウエイトレスにも頭を下げた。うわあ、角名くん他人の分も言ってくれるタイプなんだ。意外だなぁ。角名くんって勝手なイメージで受け身っぽいって思ってたから、リードしてくれるとちょっとドキッとする。

「名字さん?」
「え?」
「俺の顔なんかついてる?」
「いや、なんでもないよ!ごめん、さっきの余韻がまだ残ってるのかも」

 あはは、と彼女は笑って誤魔化して、角名から目を逸らした。ああ、思ったよりも自分は角名のことが好きなのかもしれない。油断すると、角名を見つめてしまう。それこそ、無意識のレベルで。メニューをしまう大きい手も、眠たそうな目付きも、好きだ。明確な理由も、きっかけも正直分かっていない。でも、目の前に角名がいることが嬉しくて、たまらない。彼女は鼻さきを両手で隠して、自分の気持ちを噛み締めた。

「そうだね。
 ミニライブだったけど、迫力あったよね」
「ねっ!」

 角名は彼女の様子に気付かないフリをして、そのまま会話を続ける。互いの感想を喋っている間に、注文したものが運ばれてきた。彼女はガトーショコラをいつもより慎重にフォークを入れる。特別食べ方が綺麗なわけでも、汚いわけでもない。ただ好きな人の前だから、なるべく綺麗に食べたい。油断して、ガトーショコラが倒れることだけは回避したい。少しの緊張と、高揚した気持ちの中で、ふたりは互いの距離感を探り合っていた。



「あー楽しかった!角名くん今日は付き合ってくれてありがとう!」
「ううん、俺も楽しかったから誘ってくれてありがとう」

 にこにこと本当に楽しそうな彼女の笑顔に、角名もつられて笑顔で返していた。彼女はその笑顔に、内心呻きながら、迷っていた。このまま今日を終わってしまうのか、どうか。ああ、もうすぐ駅についてしまう。どうしよう、どうしよう。彼女の葛藤が最高潮に達したとき、声がした。賑やかな声がした。

「あー角名や!こんなとこで!」
「侑騒ぎ過ぎや」
「げえ」

 角名は後ろから聞こえてきた声に、眉を顰めた。いつかはこうなるだろうと、分かっていたが、まさか今日になるとは。早すぎる。丁度角名に隠れて、彼女の存在は見えなかったらしい。

「あああ、名字さんや!なんで角名と!まさか、……デート?」
「……」

 侑のバカ。言いそうになった言葉を角名は咄嗟に口を閉じて、防ぐ。横で分かりやすく動揺して顔を真っ赤にする彼女に対して、角名はどんな対応をすれば正解になるのか誰かに教えて欲しい気分だった。はあ、仕方ない。決めるか、覚悟。

「えっと、その、……」
「そうだよ、デート。俺が誘ったの」
「えっ」
「なっ」

 侑と治が分かりやすく眉を吊り上げる。角名は見た目だけスマートに見せて、彼女の手を軽く取った。

「だから邪魔しないでね、また学校で。行こ、名字さん」
「え、う、うん?」

 宮双子が呆気に取られている内に、角名はその場を後にした。
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