漆之神


 ぞくり、と背筋が凍りつく。つり上がったその口角の隙間からちらりと真っ赤な下が覗いて、舌舐めずりをする。ぎらぎらと光その瞳は完全に獲物を捕らえてしまった目。全身の毛が逆立つ。気持ち悪いと、異常な反応を示して体は震えが止まらない。目の前にいるそれは、あの時と変わらない恐ろしい生き物だった。

「ねぇ、名前」

 ああ、まただ。この人には敵わない。どこにいても、見つかってしまいそうで。でも、助けを呼ぶことすらできない。

「この前、誰と会ってたの?」
『…』
「君の大好きな鎧糸?」

 ぞくぞくと、寒気が襲う。

「俺、匂いには敏感だからさ。ふーん、鎧糸と会ってたんだ。でも縁切ったんじゃなかったっけ?」

 嘘を見抜く瞳がぎらついている。

「しかも鎧糸が一方的に切ったんだよね。なのにまた会うなんて、名前も良い神経しているよね」
『…彼が悪いわけではありません』
「じゃあ名前が悪いって? そうだよねぇ、俺の所為で別れちゃったんだから」
『…』
「それに角も折られちゃったんだもんね。綺麗な角だったのに」
『…比企、様』
「うん? ああ、ごめんね。でも、名前は鎧糸とは釣り合わないよ」

 びくり、と体は素直に反応する。そんな分かり切っていることを口にする彼は、ずるい。そうやって言葉巧みに私を騙した、彼には、今でさえも逆らえず様付けの状況だ。

 どうして、東王公様はこの場にいないのだろうか。早く戻ってきてと力いっぱい心の中で叫ぶが、誰も助けに何か来てくれない。足を切られてなお、この禍々しく毒々しいオーラを放ち全てを冒そうとする。中てられてはいけない、だけど、竦む手足が言う事を聞かない。いつの間にか、彼は私の腕を引いてぐいっと自分の口を私の耳元に持ってきた。

「名前はずぅっと、俺のものなんだから」

 喉の奥に、なにかが詰まっている。吐きだしたくても吐きだせない。息が乱れるのは、毒の所為かそれとも。

「鎧糸なんかに、お前はやらないよ」
『はっ…、…ぐ、…う』

 息苦しさで息がつまりそうになる。このまま死んでしまえたら、なんの問題もないのに。でも、彼は絶対に私を殺そうとはしない。

「可愛い俺の奴隷は、俺だけのもの」

 自分に言い聞かせるような比企は、なにを安心しきっているのだろうか。こんな時に、どうして彼の名が脳裏をよぎるのだろうか。呼んでしまったその名を、もう一度呼ぶわけにはいかない。だけど、

『っう……い、…』

 ぴくりと、目の前の彼の眉が顰められる。それに気づいても、どうすることもできないけれど。

『が、いし………鎧、糸…』

 助けはこないと分かり切っている。彼が来るはずもない。それでも、求めてしまうのは、私が捨てた言葉が、まだ私の中に残っている所為。

「…こんな状況で俺以外の名をいうなんて、名前、正気?」

 ぐん、と体に圧力がかかる。もうこれ以上、意識を保っているのは無理だ。既に力は入りそうにもなかった。意識を手放してしまおうと、ゆっくりと瞼と閉じかけた時だった。

「名前!!」

 部屋の向こうから駆けてきた東王父様に名前を呼ばれる。そして瞬間移動を言っていいほどに私の比企の所までやってきてべりっと私達を剥がした。助かった、そう思って気が抜けて意識が遠くなった私を支えたものは、とても、懐かしい匂いがした。



111220



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -