ゆめのなかで、わたしはいきていた。



「大将、」

 からりと開け放たれた障子の向こうから姿を現した小柄な少年は、珍しく息を切らしその顔に焦燥を滲ませていた。書き綴っていた報告書から顔を上げた名前は、驚いたように筆を硯へと置いて体ごと彼へと向き直った。

『どうしたんです、薬研』
「鶴の、旦那がっ…」
『! 鶴丸殿に、なにかあったのですか』

 第一部隊のなかに長谷部が連れ帰った鶴丸国永を投入してから数日が経つ。まだ他に比べてレベルは低いが、本人の実力も相まって確実に強さを増してきてはいる。ただし油断はならないから前線には出ず後衛支援に徹しろ、と忠告をしていた。その鶴丸になにかあったというのだろうかと名前が顔を強張らせれば、息を整えた薬研がぽつりと言った。

「たったいま、第一部隊が戻ってきたんだが…妙なモン拾ってきやがった…」
『…え?』

 妙なモノ?と首を傾げた名前は、ドタドタと近づいてくる足音に気づいて腰を上げた。そして障子戸に手をかけてそっと濡れ縁へ顔を出せば、此方に向かってなにかを引っ張ってくる鶴丸と燭台切、そしてその二人のあとをついてくる大倶利伽羅の図が。
 傍らに立つ薬研が「大将、厄介事かもしんねぇ」と呟いたのに、名前は同意を示すように頷いた。先頭切って向かってくる鶴丸が彼女達へ気づくと、片手をあげて「よっ! 無事帰還したぜ!」と声を張り上げ軽快に笑う。名前はそんな鶴丸に『御無事でなによりです…』とぎこちない笑みを浮かべて、その斜め後ろをついてくる燭台切の形相に慄いてしまう。
 あの普段冷静で人の良い笑みを浮かべている燭台切が、瞳孔をかっ開いたまさしく死に物狂いのような表情でずんずんと近づいてくるのだ。これを恐怖と言わずしてなんというか。思わず後ずさりした名前の背を薬研がぽん、と押し返す。

「気持ちはわからなくもねえが、あんたがしっかりしねぇと」
『ええ、そうね…ありがとう薬研』

 名前はほっと息をつくと、三者が目前でぴたりと立ち止まり肩を上下に動かしている。余程急いできたのだろうか、先ほどの薬研よりも息を切らしていた。

『まずは鶴丸殿、おかえりなさい。それから…燭台切と大倶利伽羅、伊達組が勢揃いとは何事です』

 戸惑いがちにこえをかければ、肩で息をしていた燭台切が顔を上げた。その顔はなにか信じられないようなものでも見たようで、名前はこれは本格的にやばいのでは、ときゅっと唇を引き結んだ。

「ごめんね、主。こんな取り乱してしまって…実は、」
「おい、そろそろ離せ。苦しくて息ができねぇんだよ…!」

 懐かしい声だった。ひどく耳朶に馴染んだ、声だった。
 名前はそんなはずがない、とぎょっと目を見開いたまま燭台切の後ろにあるものへと目をやった。癖のない柔らかな髪に、蒼い陣羽織。大倶利伽羅が手にする三日月の兜。ぜんぶ、知っている。この人は、独眼竜―――

「…ま、さむね、さま」

 喉の奥から絞り出した言葉は、確かにその人へと届いた。

「……名前、か…?」

 くるりとこちらを振り返り見たその人は、紛れもなく、あの時代を共に駆け抜けた主だった。



■  □  ■




『次元の歪み…?』

 政府から派遣されたという男は、困ったように笑って蝙蝠をぱちん、と閉じた。

「まあ、簡単に言えばそういうことになりまっしゃろか」

 飄々とした態度を崩さない鼻から下を面紗で覆い隠した男は「せやな、お嬢」と傍らの少女へと同意を求める。男と同様に鼻から下を面紗で覆う少女は白藤色の狩衣を纏い、斜め後ろに小夜左文字を控えさせている。彼女は名前と同様に審神者であるが政府の上層部出身者とのことで、政府から要請を受けて審神者兼視察官としての役目を請け負っていると以前訪れたときに彼女から伺っていた。そんな彼女は視線を膝元に落としたまま淡々と言葉を並べていく。

「歴史修正主義者達との戦いが長引いているおかげで、政府の時空制御装置の抑制が限界を超えてしまい、現在複数の本丸において次元の歪みが発生している模様です。そのため暫くは出兵を控えるようにとのことです」
「ほなわけで、そこの伊達政宗公は事態が収まるまでここで面倒見たってや」

 男がちらりと名前の隣に胡坐をかく政宗へと視線をやれば、先ほど大まかな説明を受けた彼は理解はしても納得いかないようでぶすくれていた。名前はそんな元主人を尻目に、彼らへと深々と頭を下げた。『…畏まりました』名前の承諾に男はほっと息をつく。

「えらいすんまへんなぁ。うちらも早急に対処進めますんで、大目に見てもろてもええですかね」
『私共審神者は政府から雇われているようなもの。政府の御意向に従わないわけにはいきませぬ故』
「ほんま名字さんは寛容でええわぁ」

 男がそう瞳を細めれば、その隣の少女が苛立ちを見せながら嘆息する。「あまりむやみやたらに真名で呼んでは駄目ですよ、百鬼さん」
 少女のいうことは最もだ。刀剣男士は仮にも神の末席に値する付喪神。ゆえに真名を知られるということは相手に魂の権利を与えるようなもの、だからこそ審神者は名を明かさず大半は偽名を使っていることが多い。政府の役人でさえも偽名を使っているというのに、名前の目の前の男はさらりと彼女の本名を、まあ苗字だけではあるが口にしたのだ。
 いまこの場にいる刀剣が対面する少女の背後に控える小夜左文字だけとはいえ、部屋の外には薬研達を待機させている。万が一にでも聞こえていたら、と思い名前ははたとする。そういえばさっき、自身の主は己の名を呼んだ。つまりは、魂の権利を晒してしまった。名前の顔が一瞬青ざめるが、それに気づいた少女はまったくと百鬼と呼んだ男を睨み毒づいた。

「百鬼さん、貴方のせいで審神者様の身に危険が一歩近づいてしまいましたよ。どう責任取るおつもりですか百鬼さん」
「いや…言うてあんたもさっきから俺の名前連呼しとるやん」
「わざとです百鬼さん」
「…わかった。わかったから清花、ちょお落ち着いてーな」
「わかっているならわたしの名前を呼ばないと思いますがね、百鬼さん」

 そういい互いの名前を連呼しあう二人に名前は呆気にとられ、思わず清花の背後に控える小夜左文字へと視線を向ければ彼は「また始まった」というようにひっそりと嘆息していた。どうやら日常茶飯事ということなのだろうか、と名前が首を傾げれば政宗が「…そんで」と低く声を発した。

「大体の事情は把握したが、ひとつ聞きてぇことがある」

 それに百鬼と清花の動きがぴたりと止み、揃って政宗へと涼しい視線を向ける。その一瞬の様変わりに“役職”としての表情を見せた二人に名前はやはり只者ではないと改めて実感させられる。

「死んだこいつがなぜ此処にいる」

 ぴくり、と小夜左文字が反応を示すが言葉を発することはなく、ただじっと政宗の顔を見つめていた。百鬼は彼と交わっていた視線をすぅっと細めると、ふっと息を吐いて肩の力を抜いた。

「そんなおっかない顔されると、迫力ありまんなぁ」
「…おい」政宗の眉間に皺がひとつ刻まれる。
「名字名前さんがなぜ此処にいるか、ですか。そう申されましても……そういうんは神様の気紛れやないんですかね。幾ら時代が経過していようと、死んだ人を生き返らせる術はありまへん。なれば輪廻転生の歯車に組み込まれた、いわば神様に愛でられし者というたところやないでっしゃろか」
「ハッ。なるほど、気に入らねえ理由だな」
「世の中理屈だけやないっちゅーことですわな」

 せやから、与えられた猶予は大切に使わんとあきまへんえ。
 面紗の下ではきっと三日月を描いているであろう口元に、閉じられた蝙蝠を添えて百鬼は政宗を視線を交わす。腹の探り合いにも思えるそれに終止符を打つべく行動に出たのは清花だった。「では、そろそろお暇いたしましょう。百鬼さん、仕事山積みでしょう?」
 どうやらまだまだ仕事は残っているらしい、政府の役人というのも大変のようだと名前が同情の眼差しを向ければ、百鬼と呼ばれた男は政宗からふっと視線を逸らすと不服そうな声を漏らした。

「えぇ〜少しぐらい休憩したってええやろ?それに名字さんとこは菓子も茶も美味いさかい、ゆっくりしてこうや」
「周囲への配慮を考えてください。小夜、行きましょうか」
「うん…」
「なっ……あぁあもう!ほんま真面目一徹なんやから。じゃあ名字さん、またなんかあったらすぐに連絡しますんで、それまでよろしゅう頼んます」

 『はい』と返答して百鬼を見送ろうと立ち上がった名前に、「見送りなんて大層なものはええですから、いまはゆっくりなされてくださいな」と百鬼はほんの少し意地の悪い笑みを浮かべて――実際には口元は覆われていて分からないのだが――先に出ていった少女達をゆったりとした足取りで追いかけていった。
 室内に残されたかつての主従の間には、妙な沈黙が落ちた。

逝く夏@



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