「――はぁぁああぁぁあぁああ!!?」









 ヴィエーディマ騎士団の本拠地である黒曜宮内に怒号ともいえる大絶叫が響き渡った――。








 その大絶叫で目を覚ました名前は、眠たげに目を擦りながらわなわなと肩を震わせる親友をぼうっと眺めた。友梨は気が短い方でよく声を荒げるが、ここまでの大絶叫は久しぶりに聞いた気がすると呑気にも欠伸を噛み殺し、また風夏が問題でも起こしたのかと思案する。

 中世的な美貌の持ち主である友梨は、その濃藍色の瞳をこれでもかというほど吊り上げて、目の前に座るビスクドールのような美少女を凝視している。その熱い視線を受ける緩やかに波打つプラチナブロンドの美少女、宗形麗は赤みの差した頬を膨らませて視線を泳がせていた。その険悪ともいえる雰囲気さえ除いてしまえば、どんなに友梨が恐ろしい形相をしていようとも美貌は美貌、とんでもなく絵になる光景だ。

 しかし名前は幼馴染である麗が頬を紅潮させて、小鳥のように唇を尖らせる光景に戦慄が走った。氷人形アイス・ドールの異名を持つ彼女の、いつもの凍てつくような氷の笑みと高慢で威圧的な態度はどこへいったのやら。失礼な話、こんな年相応の少女らしい一面など、長年幼馴染をやってきたがいままで一度も見たことがない。
 そして親友の友梨が絶叫した相手がヴィエーディマ騎士団一の問題児である風夏ではなく、彼女を共に玩具として弄んでいる麗というのが名前の思考を目覚めさせるのには十分な驚きだった。


「こっ、こここ婚約くらいで友梨ったら大袈裟だわっ…!」


 普段の女王様の態度とは打って変わって、耳まで紅潮させてしどろもどろに抗議する麗は、さながら『恋する乙女』と言ったところだ。え、誰これ知らないんだけど。唖然として彼女を見つめる名前に、呆気にとられていた友梨が我に返って身を乗り出す。


「ま、待て麗! どこぞの馬の骨とも知れない得体のわかんねぇ奴にお前はやらねぇぞ!」
「それどこの父親よ…」


 混乱している友梨に思わずツッコミを入れてしまう名前だが、彼女自身麗の口から飛び出た『婚約』の一言に一瞬思考回路が停止した。男と無縁とさえ云われるヴィエーディマ騎士団の女性陣は、王宮内――特に同じ騎士である男性達から悉く悪評を貼り付けられている。
 ヴィエーディマ騎士団、通称を『黒薔薇騎士団』。マスカレード皇国に特別に設けられた女性のみで結成されたまだ歴史の浅い騎士団である。しかし結成して日も経たぬ内にその美貌で国内に一躍知れ渡ることとなり、今では国外にもその名を轟かせているのだ。そんな彼女達は誇りをもって日々忙しく国の守護に勤しんでいるのだが、皇国騎士団とはなにかと折合いが悪く『ゲス野郎』『魔女』と罵り啀み合っているのだ。

 お互いの実力は認めてはいるものの、両者共に自尊心プライドが高く個性が強く負けず嫌いで構成されているのも理由の一つだろう。顔を合わせるだけで喧嘩が勃発するのだから子供かと名前は呆れてしまう。しかし名前もまた皇国騎士団が好かないので、普段の仲裁役はどこへやら、喧嘩の中へと消えていくのだった。

 そんなわけで王宮内きっての悪女魔女と名高い騎士団の第四分隊隊長が『婚約』したのだ。これは事件以外の何物でもない、と十人中十人が頷くだろう。名前はよいしょと重い腰を上げるといきり立つ友梨の隣へと移動してその肩へと手を乗せた。


『まあまあ、友梨落ち着いて』
「これが落ち着いていられるか!麗が、あの麗が婚約だぞ…!?」
『うん、天変地異だね、吃驚だね』
「名前、貴女失礼よっ!」


 歯に衣着せることなくさらりと本音を口にした名前に、麗が真っ赤な顔で抗議の声をあげる。だがそんな彼女の抗議の声は名前から見れば子猫の威嚇程度のものだ。いつもの迫力があるならば別だっただろうが…。
 名前はどうどうと双方を宥めると落ち着いて腰掛けるように促した。そして自身も席に着くと不満を募らせている麗に尋ねる。『お相手はどちら様なの?』


「……若」
「………は?」


 ぽつり呟くように発せられたその名前に、名前も友梨も彼女が一体何を言ったのか理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。麗は友梨に聞き返されて、柄にも似合わず声を荒げて主張する。


「…だからっ、日吉若よ!貴女達も良く知っているでしょう!?」


 日吉若。名前は確認するように口の中でその名を繰り返すと、恐る恐る右隣に腰かける親友の顔を盗み見た。瞬間、これでもかというくらいに真っ青な顔の友梨が唇を震わせていた。
あ、これ駄目なやつだ。名前が片手で顔を覆うと同時に本日二度目の絶叫が響き渡った。


「日吉若ぃぃぃいいいいいぃぃいいいい!!?」


 日吉子爵家次男、日吉若は友梨の幼馴染である。
 彼は皇国騎士団に所属し、磨き上げた剣の腕で出世街道を駆け登っており、現在は蒼竜騎士団第一分隊副隊長を務めている。名前や麗は友梨を通じて騎士候補生時代から彼と面識があるため、人と身形はわかっている。そんな冷徹真面目で人を小馬鹿にしたような態度の男と婚約したと知った友梨の心中は計り知れない。ましてや建国当時から続く名門中の名門侯爵家令嬢と武勇に優れた将を輩出する子爵家次男、身分差が有り過ぎる二人がどんな紆余曲折を経て婚約に至ったのか名前は気になった。だが今は悲嘆にくれる友梨をどうにかしなくてはと策を巡らせる。


『まー…日吉だったから、良かったんじゃない?見ず知らずの男よりも素性が知れているし』
「全っ然よくない!! 若?あの高慢不遜、冷徹無慈悲の若だと? あ り 得 な い!!


 ダンッと握った拳を机に思い切り叩きつける友梨に、名前は頬を引き攣らせて麗に視線をやればその蜂蜜色の瞳がキッと友梨を睨みつけた。この時点で名前は和解は無理だろうと諦め、身を引くことを決意した。


「若は貴女が思っているよりもずっと思慮深くて紳士的なんだから!!」
「騙されるな麗!あいつは血も涙もないような男だ!!あたしの目が黒いうちは婚姻なんて絶対に認めない!!」
「貴女はいったいあいつの何を見てきたの!?あんな良い男が側にいて気づかないなんて勿体なくってよ!!それにっ、友梨に認められずともわたしは若と、その、こっ婚姻するわ…!!」


 段々日吉の性格についての口論から互いの貶し合いに変わっていく様に耐えきれなくなった名前は早々に退場を試みた。友梨と麗が口喧嘩をするなど滅多にないが、一度起こってしまえば暫くは停戦しそうにない。酷ければ武器を取り合うので、責任を被る前にとんずらするのが賢いのだ。もう、勝手にしてくれ。ぎゃあぎゃあと喧しい声を背に、名前はもう一眠りしようと第二分隊の執務室へと足を向ける。


(麗が婚約、か……)


 友梨はきっと男性を尻に敷いてきた麗が、よりにもよって自身の幼馴染――いや、結局誰であろうと――婚約することに納得がいかないのだろう。彼女にとって麗は妹のような存在だから、寝取られたような気分なのだろうと名前は思案する。しかし彼女も幼馴染がなんの相談もせずに婚約、そのまま婚姻への道を辿ろうとしているのだから内心では不満を抱き憤っていた。だが特定の恋人すら持たずに男を侍らせてきた麗が、女としての幸せを掴んだのだからどこかほっと安堵しているし羨ましくも思う。

 名前は根っからの男嫌いだが、結婚願望はあるし普通の女の子と同じように幸せな家庭を築きたいという気持ちだって持ち合わせている。でもやっとの思いで上り詰めたこの地位を、女の幸せのために投げ捨てたくはない。ここまでどれだけ血と汗を流し、壁にぶつかるたびに幾度と人知れず泣いてきたことか。類い稀なる才能の持ち主で『天才』と謳われる友梨や元より素質があり技量が良い麗に比べれば、努力して手に入れたこの地位に対しての執着は根強かった。


「あっ、名前っ!」
『風香』


 元気よく名前を呼んだ明るく澄んだ声の持ち主は、猪にも劣らぬ猛進で彼女へと駆けてくる。紗花は目の前で急停止した風香を「今日も元気だな」と呆れながら、幾分か背の高い彼女を見上げた。


『巡回帰りか?』
「うんっ!もお、ほんと今日は参っちゃったよねー!肉屋のおじさんと牛肉について揉めてたらさぁ、八百屋のおじちゃんが参戦してきたかと思うと魚屋のおばちゃんが止めに入ってきたんだけどおばちゃん腰悪かったみたいでぎっくり腰になっちゃってね、慌てておばちゃんの旦那さんがやってきたかと思うと、ほら、魚屋のおじちゃんとおばちゃんラブラブでしょ?だからおじちゃん怒っちゃってもうそっから先は喧嘩でさー」
『…あー、そう。大変だったねぇ』


 ぺちゃくちゃとマシンガントークの風香は本日も通常運転だ。その可愛らしい顔立ちと人柄から市井の人々と親しみがあり、友梨とは別の意で老若男女に愛されている。ただ、その頭の弱さ(彼女達の言葉を借りれば馬鹿さ加減)は尋常でなく、そのために友梨のパシリに使われている。名前は一人一方的に喋り続ける風香に「めんどくせぇ」と思いながらも、にこりと万人用の笑みを貼り付けた。


『風香ー、いま中庭に行くと面白いものが見れるから行ってごらんよ?』
「えっなになに!?気になる行ってくる!!」


 びゅーんと風のように瞬く間に中庭へと消えていった風香の後姿を見送り、名前はにやりと口角を吊り上げた。今頃中庭は大戦争もいいところだろう、争いごとは積極的に参戦する風香のことだからきっと飛び入るに決まっている。名前は過ぎ去っていった嵐を心配することもなく執務室へと急いだ。
 その後名前が執務室のソファで仮眠をとっている最中、騒ぎを聞きつけた風香が口喧嘩の中に割って入り、とばっちりを受けて頭に三連のたんこぶを作っていたのは余談である。


お年頃な魔女たちの恋愛模様@



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