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ゴールデンウィークの不可解な事件から早三ヶ月。全国大会を終えたばかりではあるが、四天宝寺テニス部は引退する三年生もまだまだ活発に活動し、相変わらずの賑やかな日々を送っていた。
そんな八月某日の昼休み。二年七組の教室内で、清花は携帯片手に盛大な溜息をついた。彼女の目の前に座っている財前は眉根に皺を寄せて背後を振り返った。
「なんやねん、人を目の前にしといてその溜息は」
『あー、ごめん…。悪気はないです』
友人達と食堂での昼食を終えたのち、たまたま帰り足が一緒になった財前と清花は他愛無い会話をしながら教室へと戻った。夏休み明けの席替えで前後の配置になった二人は自身の席へと腰掛けたのち、次の授業の教科書やノートの準備をしていた。そうしていると清花は制服のポケットに入っていた携帯が震えたことに気づいて届いたメールの内容を確認したところ、先ほどの溜息へと繋がった。
「大袈裟すぎる溜息つくとか珍しいな」
『ああ、うん…。ちょっと、色々あってね』
返答に困るなぁ、とひとりごちて再度送られてきたメールの文章に目を通す。
相手は京都にいる幼少期から付き合いのある知人だ。毎年夏休みと正月は家族で京都にいる祖父の元へ挨拶に行くのが三輪家の習わしだが、清花が中学へ進学しテニス部のマネージャーになってからは夏休みには京都へ行けなくなった。理由など単純明快、全国大会出場常連校である四天宝寺テニス部は勿論夏休みも毎日練習漬けであるから。マネージャーである清花も部員達のサポートを全力でしたい思いが強く、夏休みは清花を除く家族が京都へ行く。それをどうやら不満に思っている知人が今年痺れを切らして連絡をいれてきたのだ。
とはいえ夏休みに会えない分、正月は必ず挨拶に行くので年に一度は顔を合わせているのだからそれでいいのでは、と清花は肩を竦める。どうせ顔を合わせてもねちねちと嫌味を言われるので口喧嘩に発展するのは恒例行事になりつつある。高校生にもなってまだ反抗期なのか、と言いたくなるが本人が聞けば口より先に拳が飛んでくるのは目に見えている。「喧嘩するほど仲が良いのはいいことよ。でも、ほどほどにね?」と微笑む母には「いや、そういうわけじゃないんですが…」ともいえず乾いた笑いを返すほかない。
“多忙なんは認める。けど立場上問題ありや。秋彼岸にでも顔出しぃ。正月に痛い目みたくないやろ。”
『…脅迫状ぉ……』
「は?」目を丸くする財前に清花は首を横に振る。
『なんでもない』
家帰ってからにしよ、と携帯をポケットにしまう清花の口からは溜息が漏れる。椅子の背凭れに体を預けるように向き直った財前は紙パックにストローを挿し、口にしようとしたとき廊下からどたどたと音がして二人は教室の前側の出入り口へと顔を向けた。
『廊下走っても怒られないの、四天宝寺だけだよね』
「ネタかまして笑い取れば許されてまうからな」
『それが新聞部で今月の廊下ネタとして取り上げられるんだから凄いよねえ』
新聞部の執念にドン引きすればいいのか、四天宝寺の笑いに対する情熱に感心すればいいのかわからない。よく振ってからお飲みくださいの表記通りかしゃかしゃと缶を振ってれば、ズザァァァアアアアというスライディング音をたてて教室のドアに張り付いた見知った先輩に二人は「やっぱりな」と思った。
「財前!おるか!!」
「うるさいっすわ…」
顔を覗かせたその人物は財前の呟きを拾うことはなく、その姿を捉えると遠慮せず後輩の教室へと入ってくる。
「おったな! お、清花も一緒かー、お前らほんまに暑苦しいくらい仲ええな」
「ケンヤさん妬いてます?」
「妬いてへんわアホ!!」
『誰か紹介しますか?』
「いらん!!
……いや、嘘ちょっと待ってええの? ああ、もう!ちゃうちゃう!! 財前お前告白されたってほんまか!!?」
テニス部の先輩である謙也が大声で放った一言に、二年七組の半数ほどのクラスメイト達がいた室内は一瞬で静まり返った。告白?誰が?財前?まじか!と束の間の静寂ののちに囁く声とざわめきが沸き上がる。
しかし当人である財前は数分前の清花のような、それでいてわざとらしく盛大な溜息をついてみせた。
「ケンヤさん、それを確認するだけの為にわざわざ俺んとこまできたんすか? 暇人なんすね」
「せやかて相手はあの庄司さんなんやろ!? これが確認せずにいられるか!!」
「ああ、あの人庄司っていうんすか。いま知りましたわ」
「ハァ!?! 名前も知らんかったん?!」
「すんません、声量抑えてくださいうるさい」
ぎゃあぎゃあと温度差激しい喧しいやりとりをする二人を前に、清花は振り終えた缶のプルタブを持ち上げて抹茶ラテを口に含み嚥下する。一部のクラスメイトは「あのやりやり見ておきながら缶振っとるとか…三輪さんマイペースすぎるわぁ」と感心してたのは余談である。
『謙也さん、その庄司さんって家庭科部の?』
「お、清花は知っとるんか」
『いえ。以前先輩方が三年生で美人なのは誰か、みたいな話してたじゃないですか。それに名前が挙がっていたような〜と思って』
「それ二ヶ月くらい前の話やん、記憶力えぐいわ」
『ありがとうございます』
「褒めてへん褒めてへん」にっこり笑う清花に謙也は顔の前で手を振る。
「あの人は美人っちゅーか、可愛いよりの人ちゃいます? 守ってあげたくなる小動物的な」
『ああ、例えるならウサギみたいな』
「いや犬っぽい。同じ小動物でも藤原はリスや。俺はマヌルネコの方がええわ」
「
は? イグアナ一択やろ?」
『そこで争わないでください。話を戻しましょ。その庄司さんから財前君は告白されて、それを謙也さんは確かめに来たんですよね?』
「せや!! で、どうなん財前。返事は?」
「なんでわかりきっとること答えなあかんの。断ったにきまってるやないですか」
心底うざい、と顔に出したまま早口で答えてやっとのことでストローを口にした財前。その返答に謙也の反応はというとガッツポーズである。なぜ。煽ってんのかこの人と清花は若干引いた。
「うぉっしゃああ!!!!! やっぱな! そうやと思ったんや!!」
『………』
「えっ、うわ、美人がフラれて喜ぶとかケンヤさん性格悪いっすわ。見てくださいよ、清花もドン引きっすから」
『謙也さん乙女心を何だと思ってらっしゃるんですか…?』
「ちょ、んなわけないやろが阿呆!! 焦っただけやて、
俺らの財前がまさか清花差し置いてって清花そんな目で見んな俺のガラスのハートが傷つくから!!」
『…ヘタレ非道とか誰得なんですか』
「清花さんちゃうって誤解やってその目やめて怖い!!!」
清花が「ちょっと付き合い考えさせてください」と真顔マジトーンで発言するのを必死に宥める謙也。目の前でぎゃんぎゃん騒いで清花に謝り倒す謙也を煩わしく思いながら、財前はずずず、と飲み物を啜りながら今日のブログの内容にしようと携帯をぽちぽちする。その光景にクラスメイト達はちょっとほっこりしている。謙也が週に一度はこのクラスを訪れては騒ぎ散らすのでもはや慣れたもの。うん、通常運転通常運転、平和が一番やね。ちなみに先ほどの内容は全て聞いていたので把握済みである。しかし、再びどたどたと駆けてくる足音(しかも今度は複数)に気づいて思わず出入口へと視線を向ければ、ズザァァァアアアアというスライディング音をたてて教室のドアに張り付いた、またもやテニス部の先輩。
「財っ前!! おま、告白されたってほんまか!!?」
「どういうことなんか、署できっちり吐いてもらうわよ!!」
なんというデジャヴ。これだからテニス部は有名になるのだろう。さらに面倒くさい先輩達の来訪に、財前は嫌な顔を包み隠さず盛大な舌打ちをして迎えることになった。貴重な昼休みが終わる十分前の出来事であった。「あ、そいえば合宿あるらしいで」と去り際に告げて予鈴が鳴ると同時に去っていった先輩達が視界の隅から消えたと同時に彼は机に突っ伏した。
「ええ加減にせえよ…」
疲労感たっぷりに吐き出された愚痴に、背後の清花は苦笑するしかなかった。
束の間の日常
第四章 荒城の子守唄