どんっ!
 清花はぶつけた鼻先を軽く押さえて、ここ数時間の間に見慣れた制服だと気づく。視線を持ち上げれば、自身よりもはるかに大きいそれが射抜くように彼女を見下ろしていた。



『…すみません、』



 そう一言謝れば彼は無言でその場から立ち去った。その後ろ姿を見送り、清花はうわぁと思わず口中で呟いた。『…威圧感半端ないな』
 野生の虎のような危うさをあの一瞬で感じた清花は、出来ることならもう二度と顔を合わせたくないなと願った。ただでさえ身長差があってあの双眸に見下ろされるのは堪ったもんじゃない。しかし清花も怪異と対峙するときには彼を凌ぐ威圧感と剣幕の持ち主であるのだということ、それも無意識にやっているのだから人間相手じゃないだけで怪異には同様の感想を抱かせるだろう。
 するとまたとん、と今度は軽く誰かの肩とぶつかり人の流れのせいもあって、清花は後ろへと重心が持っていかれそうになる。だがどうにか踏ん張って、体勢を立て直してほぅとひと息つけば「ごめん、大丈夫?!」と声を掛けられる。上目遣いで見上げてみれば、ひょろっとした少年が慌てたようにわたわたとしていた。



『あ、はい、だいじょうぶです』

「ホント!? よかった〜。ん…あれ? 三輪さん、だよね?」



 ころころと表情の変化が激しい彼に少々呆気にとられながらも、清花は素直に頷いた。



『はい、そうですけど…』

「俺、同じクラスの小金井慎二! 三輪さんの隣の席の水戸部とは中学から一緒なんだ」



 確か左隣の寡黙、というよりも無口な男子生徒が水戸部という名前だったな、と清花は思い出す。



『えっと、三輪清花です。改めてよろしくお願いします』

「こちらこそよろしくね! ところでさ、三輪さん部活ってもう決めた?」



 転学してきたばかりだ、ということは始業式後に行われたクラスの自己紹介で説明済みだ。一斉に好奇の目を向けられたのは記憶に新しい。



『いや、まだ決まってないよ』

「ならさ、バスケ! バスケに興味ない!?」

『えっと……よくわからないんだけど、マネージャー募集って感じなのかな?』

「うん! もしよければ、どうかな! ほんとは募集してないんだけどね!」



 …How come?どゆこと?

 清花はニコニコと目の前で笑うクラスメイトに首を傾げる。募集していないのに勧誘するってアリなのかと疑問に思いながら、清花は口を開いた。



『(テニス部じゃないから、まあ…でも)…んーと、見学、とかアリかな?』

「えっ…あ、うん! 多分アリかな…。俺、カントクとかけ合ってみるよ!」



 人懐こい笑みを浮かべる明るい小金井に、清花はかつての後輩のようだなあと調子を崩される。『じゃあ、よろしくお願いします』



「オッケー! そいえば三輪さんさー、転学してくる前は何してたの?」

『男子テニス部のマネージャーをしていました』

「えっ、マジ? 俺も中学んときテニスしてたんだよね」

『そうなの? でも、いまはバスケ部に…?』

「色々あって、高校からバスケ始めたんだ。でもテニスやってた時よりすげー楽しい!」

『(あ…)』



 きらきらと輝くその目が本心を語っていることに気づき、清花はへぇと関心を向けた。
 それと同じ瞳を幾度となく側で見てきた清花にとって、彼は本当にバスケが好きなのだと思ったのと同時にここのバスケ部の部員環境の良さを悟った。
 彼女の所属していたテニス部も部員同士張り合いがあり、ときには騒動や一悶着もあったりしたが全国制覇を目標に練習に励んできた。そうやって切磋琢磨し、全員が一丸となることは珍しい。だからこそ清花は興味が沸いた。



「どうかした?」

『ふふっ、いや。なんでもないの。あの、小金井君。連絡先教えてもらってもいいですか?』

「えっ!? い、いいけど…」

『その監督さんとかけあってもらって、了承が得られたら連絡ください。今すぐってわけにもいかないでしょうから』

「わわ、わかった!」



 清花は小金井と電話番号とLIMEを交換すると適当に言葉を交わして別れた。
 その後はどこかのブースに立ち寄ることも勧誘に乗ることもなく、清花は帰路へと着いた。ヴヴウヴとポケットの中のスマホが鳴り、彼女は誰だろうと電話を取った。



『はい、もしも…――』

≪清花ぁ! 出んの遅いで!!≫

『…謙也、さん?』



 清花はあれ、と首を傾げる。先ほど着信画面に出ていた名前は「忍足謙也」ではなく「財前光」だったはずだ。



≪ひっさしぶりやんなぁ! 元気しとるか?≫

『はい、変わりなく。謙也さんも変わらずお元気そうですね』

≪浪速のスピードスターはいつでも元気っちゅーは「謙也うるさい」ちょ、白石!?≫

≪清花ごめんなぁ、謙也テンション上がりまくってしもうて、煩かったやろ≫

『白石さん。お久しぶりです、全然気にしてませんよ』

≪すまんな。んじゃ財前に変わるで。俺も話したいことは仰山あるんやけど、めでたい日に財前の機嫌損ねるのは勘弁やからな≫



 ああ、それは誰もが遠慮したいだろうと清花は苦い笑みを浮かべる。



≪今日、金太郎と花菜の入学式やったんよ。そんで今から入学祝いに行くところやねん≫

≪白石さん、はよ変わって下さい≫

≪ああ、すまんすまん。んじゃまたな≫

≪はあ……清花、≫



 漸く電話口に出た財前の声に、清花は思わず失笑する。



『お疲れ様、光。こっちも今日入学式だったよ』

≪知っとる。せやから終わった頃やろな思うて電話した≫

『そっか、ありがと。……ねぇ、光』

≪なんや≫

『あのね、なんか、楽しくなりそうな気がするんだ』

≪…ほお。お前の勘はあたるからな。せやけど、てっきり弱音吐くんかと思ったで≫

『まさか。だって、約束したでしょ?』

≪…無理するんやないで≫

『心配性だねぇ』



 いま、隣にいない君が恋しいと思うのは仕方ないんだろう。



『光こそ、無理しないか心配だよ。ストッパーになるの白石さんくらいだし、謙也さんへの被害は甚大だろうし』

≪さっきも右ストレートかましたばっかや

Σちょっ、……まったくもー』

≪てかゴールデンウィークなんやけど、≫

『うん?』

≪部長に聞いたら氷帝と練習試合するいうてたから、多分そっち行くことんなるわ≫

『あ、ほんと? でもレギュラーだけでしょ。光のことだからレギュラー落ちはないと思うから心配してないけど』



 事実、氷帝の下剋上と同じくらいにやってのける奴だ。心配は微塵もしていない。



≪当たり前や。せやから細かいこと決まり次第連絡するわ≫

『わかった、楽しみにしてる』

≪……、それと、頼みがあるんやけど≫



 先ほどと打って変わって落ち着いた声に清花はおや、と瞠目する。



『なに?』

≪新しい御守り用意しといてくれへんか≫



 先輩らの分も含めて、と口にした財前に清花の表情が真剣みを帯びる。
 清花は四天在学時代に様々な心霊現象に仲間達と巻き込まれた。その際に霊感が強まり能力が開花してしまった仲間達ひとりひとりに、彼女は念のためにと御守りを渡していた。御守りは定期的に交換され、清花が大阪を離れる際には全員に新しいモノを手渡していた。
 なにかあれば大阪にいる妹に頼めばいいと伝えていたのだが、それが自分に頼むとなれば清花の内に不安が落ちる。



『…なにか、あったの?』

≪あったちゅーほどでもないんやけど…。前にお前にもろた強力な数珠あったやろ。あれの効力が薄まってきた気がして、ヒビみたいなんも見っけたからお前のおとんに預けたんや≫

『え……?』清花は思わず足を止めてスマホへと耳を傾けた。

≪ほんで暫くは代用品と御守りだけで過ごしてんけど、代用品もすぐに曇るし白石さんの御守りの紐も切れるしで、なんや気味悪いな思ってな…≫



 財前は元より見鬼の才があったために、清花は周囲よりも強力な御守りを複数持たせていた。次期当主候補に名を連ねる彼女の力が込められたそれは、そう簡単に効力が薄れるものではないしましてや壊れるものでもない。彼女自身、能力に慢心はしていないが自負している、だがそれが破られたとすれば、ことによっては重大だ。



『…お父さんはなんて?』

≪すぐに対処してくれはった。広範囲に結界張ってくれたし、俺ら全員に数珠持たせて逐一報告いれるように言われとる。本気でやばなったらお前呼ぶんちゃう?≫

『…わかった。ひと月先の話だけど、やばいって思ったら即教えて。いつでも渡せるように用意しておく』

≪すまん、助かる≫



 重々しく感じるその一言に、清花は久しぶりに気が引き締まるような気がした。



≪ひっかっるぅ〜! いつまで清花ちゃんと話しとんのぉ?≫

≪そんなにお熱やと置いていくでぇー≫

≪…先輩ら、うっさいすわ≫

≪光せんぱーい! あたしもあとで連絡しますって清花先輩に伝えてくださーい!≫

≪ワイも姉ちゃんと話したい!! 光ばっかりずるいで!!≫

≪自分でかけろや…≫



 拍子抜けする茶化す声や笑い声が聞こえて、清花は懐かしい感覚に襲われる。



≪うっ、俺、俺、もっと清花と話したかったんやけど…うぅ≫

≪謙也なに話せなかったくらいで泣いとんねん≫

≪うっさい! 白石には分からんのや! この前やて財前の奴俺に一度も変わることなく電話切りよったんやで!!≫

≪ほなら自分で電話かけたらええんとちゃうの謙也クン?≫

≪用もないのに電話かけるか阿呆!≫

ならなんで用もないのに話したいんや…

『ふっ、ははは…! ユウジさん相変わらずツッコミ厳しい…!』

≪…おま、どうした? ネジ外れたんか?≫



 突然笑い出した清花に心配そうな財前の声がかかる。



『えー? 懐かしくてさ、ついね』

≪やっぱ寂しいとちゃうん?≫

『かもね。あー、もう。やんなるなぁ…笑かしたモン勝ちっていうか、笑わらされたモン負けっていうの?』

≪らしくないな≫

『ほんとうにね』



 受話器越しの二人の笑い声は、隣り合って笑っているように錯覚するほど近かった。
 だから向こう側の≪財前が、財前が笑うとるー!!≫≪写メ!はよ写メ!≫という声は、清花の耳には届かずに変わりにドゴッ!と鈍い音が聞こえた。


引き寄せられるように

第二章 日常に潜む怪異




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -