三月某日。晴れ。
 あれから数日経過し、荷物整理も一段落した清花は地理探索へ出かけようと思っていると、近くに住む叔父から連絡が入った。
 どうやら部活に行ったイトコが弁当を忘れていったらしく、届けてほしいとの申し出に清花は快く承諾した。近場の秀徳高校に通う同い年のイトコとは実の姉妹のように仲が良かったし、彼女とは暫く顔を合わせていないのでいい機会だと思ったのだ。

 アディダスの黒パーカーにショート丈のホワイトデニム、ダークグリーンのレギンスと動きやすい服装へと着替え、ショルダーバッグに必要なモノを詰め込んで清花は家を出た。
 徒歩十分程度の距離にある叔父の家は総二階建ての一軒家で、庭には叔母の趣味で作ったちょっとした菜園がある。将来はこんな家に住みたいと毎度のことを思い浮かべながら、ピンポーンとインターフォンを押せば間を置かずして叔父が出る。「はい、三井です」



『おはようございます、清花です』



 そして一分も経たないうちに叔父が玄関の扉を開けて迎え入れてくれた。トレーナーにジーパンとラフな格好で四十近いが、体格とそれから精悍な顔つきもあってか実年齢よりもだいぶ若く見受けられ、格好良いと自慢できるほどだ。



「悪ィな。急に呼び出したりして」

『いえ、暇を持て余してたので、ちょうど良かったです』



 可愛らしいキテイちゃんのトートバッグを受け取り、清花は彼の後ろにスポーツバッグが置かれていることに気づき小首を傾げた。



『いまからどこかへお出かけですか?』

「ちょっくら神奈川までな。久々に高校時代の仲間が集まんだ」



 清花の叔父――三井寿は元全日本バスケットボール代表選手で、学生時代は無論バスケ部に所属していた。その影響もあってか、今から弁当を届けに行くイトコはバスケ部のマネージャーをしているし、その兄は神奈川の大学でバスケ部に所属している。
 そして清花の心友である流川友梨の父・流川楓とは、三井の高校時代の後輩であり全日本でも共に活躍した仲である。といっても、二人の仲が良いとはあまり言えないのだが。



『楓さんに会ったら、友梨によろしくと伝えておいてください』

「おう。んじゃ気をつけて行けよ」

『はい、叔父さんも』



 挨拶を済ませた清花は三井家をあとにして秀徳高校へと向かう。
 イトコの通う秀徳高校は古く歴史ある、校則も厳しい学校として知られる。そして男子バスケットボール部は三大王者の東を担う歴戦の王者の強豪校という話だ。
 校舎内に足を踏み入れると、清花は真っ直ぐに一番大きな体育館を目指す。理由は簡単、強豪校ならば当然のこと学校から優遇されるので、体育館も優先して大きなものを使わせてもらえるはずだからだ。ちなみに部外者ゆえに本来は職員室に顔を出さなければいけないだろうが、面倒かつ休日に生徒が所用できたと思わせる作戦で挨拶は省くことに決めた。

 ダム、ダムとボールをつく音が徐々に聞こえ始め、清花はほっと胸を撫で下ろす。そして体育館の扉を静かに開けて中を除けば、隅の方で監督らしき人と話し合うイトコの姿を発見する。清花は靴を脱いで中へと入ると足音を消し、彼女へ真っ直ぐと歩み寄る。



『ゆーっやちゃん』



 ひょいっと彼女の後ろから声をかければ、びくぅと肩を跳ねあがらせて清花へと振り向いた。



「清花…! びっくりした…」

『柚耶ちゃん良い反応するよね』



 目を瞬く柚耶に満足げに笑みを浮かべれば、彼女の側にいた二人のマネージャーも吃驚したように小さな悲鳴をあげた。
 清花は昔から人と比べて影が薄い方だ。自己主張を控えているからなのか気づかれることが少なく、本人も家業に携わるにあたり気配を殺すことを覚えたので並大抵のことでは気づかれない。一部には悪趣味とさえいわれる始末だ。
 マネージャーの悲鳴に気づいたバスケ部員は練習の手を止めて、悲鳴をあげた彼女達の方へと顔を向けた。柚耶と話していた監督はというと、部外者である清花に訝しげに眉を顰めた。勿論、清花それを予測していないわけもなく、ましてや気づかないわけがない。



『初めまして。いつもイトコがお世話になっています』



 にこりと人当たりの良い笑みを浮かべて挨拶をする清花に、彼は彼女と柚耶を見比べて嗚呼、と納得したように頷いた。



「三井のイトコ…、か」

「はい、監督。私のイトコで三輪清花ちゃんです。清花、こちらは中谷監督。お父さんの同僚だったんだ」



 柚耶が仲介して二人を紹介すれば、清花は驚いたように中谷を凝視した。



『叔父さんの……ということはかえ、流川さんともお知合いですか』



 中谷の片眉がぴくりと上がった。「あの生意気な流川と知り合いか」



『ええ。流川さんの娘さんとは心友なんです。幼い頃はよくバスケをしていました』

「清花は父にシューターとしての素質を見出されてバスケを教わったんですよ。いまはバスケはやっていないんですけどね。そういえば、部活動はどうするの?」

『んー、入学してから決める予定。百聞は一見に如かずだからね』

「相変わらずね」



 くすくすと顔を見合わせて笑う二人に、中谷は似ているなと目を細めた。



「入学…ということは、キミは今年から高校生か?」

『いえ。柚耶ちゃんと同級生なので、今年高校二年になります。大阪から誠凛高校に転学予定です』

「そうか…残念だな。うちに転学だったら是非ともマネージャーをして貰いたかったものだ」

『…柚耶ちゃんの後釜に据えるおつもりでした?』

「優秀な人材だからね。キミは三井同様に良い働きをしそうだ」



 なるほど、と微笑する清花はとん、と足元に何かがぶつかったことに視線を下に落とす。それはバスケットボールで、柚耶に弁当を手渡して転がってきたそれを手にする。



「悪りぃ、それこっちに投げてくんねーかー!」



 片手を上げて清花に呼びかける金髪の少年に、彼女は了承したようにひとつ頷いてボールを投げた。腕力があまりない彼女が投げたボールはダム、ダムと二つほど跳ねて彼の手の内に収まった。彼は「さんきゅー」と礼を言ってまた練習へと身を置いた。清花もそれを確認して柚耶と中谷へと向き直る。



「それで、キミは何の用でここへ?」

『ああ、柚耶ちゃんがお弁当を忘れたので、叔父さんに頼まれて届けに来たんです』

「三井は自分で届けに来ないのか…まあ、俺と顔を合わせたくないだろうしなー」

『ははっ、用事があったみたいですよ。じゃあ、わたしはこれで失礼します』

「えっ、清花もう帰っちゃうの? 良かったら少し見ていかない? いいですよね、監督」



 柚耶の突然の申し出に驚いたのは中谷ではなく清花だった。いやでも邪魔になるし、と口を開く前に中谷が「そうだな」と頷いて見せる。



「折角だ、見ていくといい。生憎私はこれから臨時会議でねー、席を外しちゃうんだけどゆっくりしていきなさい」

『…じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きますね』



 流石に人の好意を無下に扱うわけにもいかず、多少の興味もあった清花は見学していくことにした。中谷は柚耶に一言「じゃあ頼んだぞ」と告げて体育館から去っていった。それを見送った二人はコートへと視線を移す。



「お弁当有難う。あと無理に引き止めちゃったかな、ごめんね清花」

『ううん、だいじょうぶだよ。わたしも色々見て学びたいこととかあるし』

「学びたいこと?」

『今後のためになると思うことは、取り入れて知識にするべきだと思うから』

「…ほんと、清花は勉強熱心ねぇ」



 感心したようにいうイトコに、清花は『自己満足だよ』と笑って見せた。
 そしてふと妙な気配を感じて彼女はコートの中を探るように視線を彷徨わせれば、その正体を捉えることができた。小豆色のTシャツの、巨人ともいえる少年を見据えた清花は、呟くように言った。



『ねぇ、柚耶ちゃん。あの人、最近不調でしょ』

「えっ…?」

『あそこ、あの小豆色のTシャツの人』



 指を差すことはせずに目線だけを向けて静かにそう告げた清花に、柚耶は目を見開いた。そしてもしやと嫌な予感が彼女の内に彷彿し、恐る恐る清花へと問いかけた。



「清花…、もしかして、」

『うん、その“もしかして”だよ』

「っ…、…はあ」



 願うことなら違うと否定の言葉が返ってきてほしかったが、即答で肯定されてしまっては柚耶は嘆息するしかなかった。それを尻目に、清花はやれやれと肩を落として剣呑に目を細めた。



First noise を聞く者 T

第一章 新生活




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