霧舟の爆弾発言に騒然となった場は、麗の「まあ、私と清花でなんとかなるでしょ」というなんともお気楽な一言によって無理矢理だが収められた。霧舟とマネージャー二人を筆頭に二階の客間へと向かう道中、清花は自身の真横にぴたりと添うように歩く財前をちらりと盗み見て、斜め後ろに控える麗へと不服そうな視線を送る。



『……で、なんで先陣切る中に財前君と日吉さんを配置したのよ』



 それに答えたのは麗よりもその隣を歩く日吉の方が早かった。



「女が先陣切って無事とは限らないだろ。俺は武術の心得があるし、ある程度は役に立つ自信がある」

「あら、日吉って意外に紳士なのね」

「意外は余計だ」

『…じゃあ、財前君は?』

「お前が無茶せんように見張るだけや」

『………、』



 財前の一言に完全に表情が強張る清花。そんな清花に麗はくすくすと笑う。



「私が頼んだのよ」

『麗…』

「清花を止められる人って、唯一彼くらいじゃないかしらと思ってね」

『…余計なお世話』



 あらそうだった?とおかしそうに笑う麗に、清花は苦笑せざるを得ない。昔から麗は頭の回転が速く気が利いていた。そのおかげで助けられることも多かったと清花は思う。多少過保護すぎるのがたまにキズだが。



「ここかしら」

「…淀んだ気が流れてるのぉ」



 目を細めた霧舟に同意とばかりに清花は頷く。息詰まるような重々しい空気が、扉の向こうから流れ出てきている。僅かだが扉の隙間からは黒い靄のようなそれが漏れ出していることに気づけたのは先頭にいた者達だけだったが、雰囲気の悪さを感じ取った後方の彼らの表情は曇っている。
 清花は一つ深呼吸をすると掌を扉へとあてる。ひんやりとした冷たさに覚悟を決めてそれを睨みつける。



『…ぶっ壊せるかねえ、これ』



 清花の物騒な発言に、日吉の眉根が寄せられる。



「押しても引いても無理なのか?」

「試してみたらいいんじゃない? まぁおそらく、無理よ」



 麗はほら、と促し清花が横へと除ける。ドアノブへと手を伸ばした日吉がぐっと体ごと扉を押そうとするがびくともせず、逆に引いてみても効果はなかった。眺めていた財前も「蹴ってもダメそやな」と足裏をぶつけてみせる。



「じゃあ、やっぱり私の出番ね」



 男子二人の背後でにこりと微笑んだ麗の手には、やはり似つかわしくない釘バットがしっかり握られていた。いやいやそれでも無理だろ、と視線を投げかける彼らに清花が声を掛ける。『二人とも、下がって。麗に任せれば多分なんとかなるよ』



「いや、男子の力で開けられへんのに女子は……」

「えっ、麗の怪物握力ここで発揮されるん?」

「逆に聞くけど、ここ以外でどこで発揮したらいいの?」



 忍足の発言に思わずツッコミを入れる滝だったが、「そのツッコミも十分問題ですよ」と小さく鳳が呟いた。



「わしと金太郎はんが試してみればええんちゃうか?」

「せやな銀! 姉ちゃん、ワイ開けたる、」



 ドガァァァン、という大きな破壊音によって金太郎の言葉は非情にも遮られた。



「でー…?」

『あー…、ごめんね金ちゃん。開いちゃったみたい』

「後輩の手を煩わせるまでもなかったわね!」



 ふふん、と自慢げに鼻を鳴らした麗の目の前の扉は木っ端微塵になってしまっていた。後方から「さっすが麗せんぱい! カッコいい!!」という声が飛んできたがあえてスルーしておこう。真後ろにいた日吉は頭を抱えて財前はぽかんと珍しく驚いており、そんな二人に清花は苦笑するしかない。



『だから危ないから下がっていた方がよかったかと……まあ、いっか。危険なのは今からだろうから』



 袖に差していたペンライトの灯りを室内へと向けて、清花は霧舟へ目配せする。彼女の指先から垂れる糸は暗闇の中へと続いており、それを辿った先が出口だろう。しかしただならぬ雰囲気の室内へ踏み入ったとき、何かが起きればこの人数で対処は難しい。



「ジロー、顔真っ青だけど、大丈夫か?」

「うん……、ちょっと、気持ち悪い」

「忍足と小石川さんの傍にいなさい。少しは楽になるだろうから」

「宍戸、ジローを支えてやれ」

「わかった」

「俺も手伝います」



 多少なりとも霊感のある芥川にとっては、この禍々しい気を強く感じ取るせいで体調に支障を出しかねない。耐性のある四天宝寺の面々もまた然り。ちらりと隣の財前を盗み見れば、彼もまた顔色が悪いが経験を積んでいる為かまだ持ち堪えそうだ。一刻も早く、この場から離れることを優先しなければと清花は動く。



『霧舟、メリーさん、皆さんの安全確保を頼みます。それと可能な範囲でわたしの援護をお願いします』

「よかろう」

「わかったわ」


『麗、真っ先に出口確保して。無理はしないように、脱出は慎重にね』

「任せてちょうだい」



 清花はそれぞれの返事を受け取ると、ペットボトルと小瓶を取り出して鞄を麗へと預ける。そしてペットボトルの中身である清め水を室内へと撒き散らし、大きく柏手を打って息を吸い込んだ。



『《この声は我が声にあらじ。――――この声は、神の声。まがものよ、禍者よ、呪いの息を打ち祓う、この息は神の御息》』



 神咒かじりを唱えはじめると、目に見えずともぐらりと部屋の空気が揺らいだ気がした。



『《この身を縛る禍つ鎖を打ち砕く、呪いの息を打ち破る風の剣》』



 両手で刀印をかたどり詠唱を続ける清花の額に嫌な汗が滲む。視線が彷徨ってしまうのは相手の気配を明確に捉えることが難しいせいだ。慎重に、集中を切らさず、自分の持てるものをぶつける。禍々しい気がより一層強まって息苦しさを増す中、最後の詠唱を口にする。



『《妖気に誘うものは、》』



 瞬間、ずるりと彼女の目の前にそれは現れた。真白く細長いそれ――皮膚の下から更に白い骨が見えている五本指が彼女の顔面を、眼球目掛けて伸びてくる。



『っ、《利剣を抜き放ち打ち祓うものなり――――!》』



 寸でのところで刀印を薙ぎ払った清花の指と、それの指がばちん!!と凄まじい音を立てて反発する。



『麗!!』

「了解したわ! みんな、こっちに!!」



 名前を呼んだだけで彼女が意を汲み取ってくれたことに、清花はふと口角があがってしまった。流石、長年経験してきただけはある信のおける友人だ。
 ばたばたと駆けていく足音と共に目の前に対峙する指の主の姿が徐々に鮮明になっていく。清花を襲った指の先――赤と黒が滲んだ繊細な白のレース、ところどころが破れ元の美しさを保っていない純白のドレス、整えられた髪型はほつれて台無しになり小さなティアラが今にも落ちそうになっている。窪んだ眼窩の中、濁った青い瞳が憎らし気に清花を睨みつけていた。



『…この場がチャペルだったとは聞いてなかったけど』



 対峙するのは金髪の花嫁。跡部の別荘が元々礼拝堂であったならば、花嫁の幽霊がいてもおかしくはない。ただ曰くつきの場所を跡部財閥が購入するとは考えられない。そしてこの狭間という空間にいるということは紛れものの可能性が高い。



――…アナタが、紅姫ね…?

『…べにひめ? 悪いけど、人違いでしょうね』

―― いいえ、アナタだわ。あの人から教えて頂いた特徴と一致する…

『あの人とは、誰のことだ』

――…ふふ。アナタを憎らしく思っているわ。とてもとても。だから私が送り込まれたの。アナタを害する為に。ほんの小手調べのご挨拶程度にはなってしまったけれど。

『挨拶、ね。……だったら、わたしだけにするべきだ。彼らは関係ない』

――駄目よ。あの人がアナタを傷つける為に彼らが必要なんだもの。まあ、退屈凌ぎの玩具くらいにはなってくれそうだとわかったし、何人か美味しく喰べられそうな仔もいたから、味見くらいはさせてもらおうかしら?



 くすくすと嗤う花嫁を睥睨し、清花はポケットにしまっていた小瓶を素早く取り出して口元へと持っていく。そして栓を口に含み乱暴に外すと中身を花嫁へと投げかけた。



――あ゛ァ゛ア゛アアアっ!!



 もろにそれを被った花嫁はジュウウと焼ける音をたてて火傷を負う。『特注の清水はよく効くだろうね』と表情一つ変えない清花の追撃の手はやむことなく、続けて符を放つ。



『《謹請し奉る、降臨諸神諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令!》』



 閃光と悲鳴が混じりあい、花嫁はよろよろと後退しながら崩れ落ちる。これで最後だと畳みかけるように符を手にして花嫁へ一歩近づいた瞬間、それは起きた。
 花嫁の足元から突然どす黒い竜巻のようなものが彼女を包み込み、二人の間を遮断させる。一瞬の出来事に呆気にとられる清花を見逃さず、どす黒い塊は突風となって清花へと向かってきた。



『くっ…』



 避けきれないことを悟り思わず片腕を顔の前に翳す清花だったが、その耳元でくつりと笑う声に思わず目を開ける。ぞくりと背筋が凍りつくような冷たいそれが頬を撫ぜたことに身体が強張る。



――今回はお前の勝ちだな、紅姫



 低く重厚感のある男の声、だった。しかしそのたった一言が鉛のように重く、蛇のように取り巻き、筋一本動かすことすら許さない憎しみが込められていた。例えようのない感じたことのない恐怖に清花は立ち竦むしかなかった。



――次は、本番といこうじゃないか



『っ〜〜!!!』



 ふっと煙のように黒いそれは消えて、対峙していたはずの花嫁の姿もない。清花は未だ何が起こったのか理解できず、ただ力が抜けてその場にへたりと座り込む。薄く開いた口からうまく息ができているのかさえわからない。茫然とする清花を現実へと引き戻したのは両の腕を掴んだ力強さと聞き慣れた声だった。



「清花! 無事か!」

『………財前、くん』振り向けば目前に凄まじい形相の財前がいた。

「せやから、無茶すないうたやろが!!」



 怒鳴りつけられるのはなんと久しぶりだろうか、ぐわんぐわんと鼓膜から伝わる振動で頭が痺れるような感覚。



「ほんま、たいがいにしい」



 ごん、という痛みは手刀が諸に脳天に直撃したからだ。今回はチョップと来たか、と痛みに顔を歪める清花は自分の指先が震えていることに気づく。そして服に覆われていない部分が鳥肌をたてていることに、先ほど襲ってきた恐怖を思い出させられてしまい、思わず財前の上着の裾を掴んでしまった。



『…ごめん。ごめんな、さい』



 それしか、口にすることができなかった。彼女の挑発ともいえる侮辱に我を忘れていなければ、もっと強ければ、油断してなければ、あれは不可抗力、など言い訳は嫌というほど頭の中に浮かんでくるのに、謝罪の言葉以外は喉を通って出てこない。申し訳なさと悔しさとどうしたらいいか分からない感情が複雑に絡み合って、清花は俯きがちにそっと上着の裾から指を離した。



「……自分、顔真っ青やで。たてるか?」



 小さく頷き、行動するよりも先に財前の手が清花の指先を握った。ぐい、と引き上げられるように立たせられたことに目をしばたたく清花を無視し、財前は仲間の待つ方向へ歩いていく。握られた指先から伝わる財前の体温が、いつもよりも高いような気がするのは気のせいだろうか。心配そうな面持ちで待つ四天宝寺の面々や、ほっと息をつく氷帝一同がはっきりと捉えられるくらいになって、清花は彼に聞こえるだけの声量で言った。



『ありがとう』



まだ、終わらない

第三章 刺客




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