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「花菜、無事だったかしら?」
「麗先輩ッ! 金ちゃんも!」
「花菜、白石ぃ!! 迎えに来たで〜〜!」
一階の厨房周辺を探索していた花菜達は、突然現れた麗達に驚き探索の手を止めた。
「えっと…迎えに来たって、どういうことや金太郎?」
不思議がる白石の問いに金太郎の代わりに麗がかくかくしかじかと説明すれば、成程と納得した一階探索班は指示に従いエントランスホールまで引き返すことにした。
用心しながらホールへと向かう中、なにやら怪訝そうに眉根を寄せている財前に気づいた花菜が不安げに声をかけた。
「財前先輩? どうかしたんですか?」
「………、」
「え、なんでもっと険しい顔になるんですか。怖いんですけどっ」
「…うるさいわ」
ぎろりと睨まれた花菜が怯むことはなく(ほんの数週間の付き合いでだいぶ睨まれることになれてしまったらしい)納得いかないと頭を捻っていれば、「あっ!」と小さな声を上げて財前と距離を縮めると口元に手を当てて小声で訊ねた。最後尾を歩いてはいるが、前を歩く白石との距離はおおよそ小股で五歩くらいだが、なんとなしに聞かれてはいけないような気がしたのだ。
「…もしかして、清花先輩絡みですか?」
「………」
「図星ですね〜? 先輩また無茶なことしたから怒ってるんですか?」
「…怒ってへん。こんな状況で幸運とも言えるメリーさんに出会えて、きちんと次の手を考えて実行出来るんはあいつしかおらん。そういう状況や。精力使うて身体に負担かかる作業やとしてもあいつしかできひんことやし、それが現状一番の打開策やとすればしゃあないやろ」
花菜にしか聞こえないような小声で、しかし淡々と言葉にする財前はどこか少しぴりぴりしたようなものを含ませているようにも感じ取れて、彼女は更に頭を悩ませる。
「ええ〜〜? ……んー、じゃあ心配?」
その言葉に僅かだがぴくりと瞼が動いたのを花菜は見逃さなかった。
「ビンゴですね」
「………アホ」
「アホってなんですか!?」
「喧しい」
「だって先輩が! アホって!!」
「なんや、財前。花菜のことまた苛めとるんか」
苦笑する白石に「ほんま弄り甲斐がありますわぁ」と返答する財前に「ほどほどにしなさいよ」と彼は釘を刺す。花菜は財前を睨みつけているが効果はないようだ。
「あとで清花先輩に言いつけますからねっ」
「好きにしたらええ。もうホールもだいぶ近うなってきたしな」
「もぉ〜〜……。でも、あの、清花先輩が周りに心配かけるのはいまに始まったことじゃなくて、それこそ、こういうことに巻き込まれるようになってからはずっとです」
「…せやな。それで喧嘩になったこともある」
「えっ、そうなんですか!?」
先輩達、喧嘩なんて一度もしたことないくらい仲良いと思ってましたよ!と花菜が吃驚だと目も口も大きく開いている間抜け面を一瞥し、「一年の時に何度かしとる」と財前は嘆息する。
「俺が質の悪い奴に襲われそうになった時は身体張って庇って怪我しよったし、浄化させるためやいうて半日霊と睨めっこして結果熱出して寝込んどった時もあった。そないなもん見せられて、心配すんないうのは無理やろが」
「あー…はは、たしかにー……」先輩ならやりかねない…と花菜は遠い目になる。
「…あいつが周囲を思って行動することは、命が幾つあっても足りんくらい、自分自身を危険に晒した自殺行為に繋がることもある。それは俺でなくとも納得できるもんやない」
――財前、くん……ッ、怪我、しなかった? だいじょうぶ?
なんで。どうして。
――これでもう、大丈夫だから。さ、帰ろう。
――三輪……、
震えとった。怖かったはずやろ。顔が歪められた。我慢、したんやろ。血が流れてた。…痛いに決まってるやろ。
なのに。なんで、なんで、なんで。
笑って、いられるんや…!!
「…せんぱい?」
花菜の呼びかけにハッと我に返った財前は、思い起こされたこの一年と少しの間に起きた出来事にそっと嘆息する。
「また、殴らんとあかんことになんのは勘弁やな……」
あの頃よりも硬くなった掌を見つめてひっそり呟いた財前は、目前に迫ってきたホールの扉の先にいるであろう彼女になんと声を掛けようか思案しはじめるのだった。
ホール外から近づいてくる複数の気配を感じ取った清花はふっと安堵の息をつく。
『ひとまずは、全員無事……。あとは…』
メリーさんが彼女を連れて戻ってきてくれれば、問題ない。そう願っていれば、左中指の霊糸がぎゅっと指の付け根を絞めつける感覚に、こちらももうすぐだとそっと手の甲を擦った。少し身体が重く、そして気怠く感じるのは霊力の消費が増えてきた証拠だろう。持久戦になることは、こうすると決めた以上わかりきっていたことだ。
『(でも、ここで少しでも疲れを見せたら、きっとみんな不安になる…)』
この場において対策を講じて動けるのは自分ただ一人。多少の無理無茶は、今までだってあったことだ。――しかし、一つの不安が胸の内に残っている。
『(…財前君が知ったら、)やっぱり、怒るよね……』
かつて無茶ばかりしてビンタとグーパンチ(どちらも手加減はされていた、はず)を食らったことのある清花からしてみれば、今回の自己犠牲ともとれる行動も彼のお怒りスイッチオンの対象となるであろうとは行動に移してから気づいたことだ。だが今回は手段を選んでいられるほど悠長な時間をとれないのも事実。魑魅魍魎の裏世に足を踏み込んだなら出入口は確定しているので問題はないが、表と裏の狭間となれば迷宮となる。ただでさえ常人には負荷がかかる不安定な場所に、長居はできない。
コンコン、というノック音で現実へと引き戻された清花は頭を振ると、笑顔で中へと入ってきた麗達を見てほっと安堵の息をつく。
そして無事に戻ってきた一階の探索班の面々に各々が声を掛ける中、ずんずんとこちらへ向かって近づいてくる財前に清花は思わずあちゃーと苦笑いを浮かべる。その表情が少し険しくやや苛立っているであろうと察しがつくのはこれまでの経験ゆえである。どうしようかと咄嗟に動いた右足の、足首にぐいっとふいに力が加わったことで清花は足元へ視線をやった。
きらきらと、何かが足首に纏わりついている。それが糸のようなものであると悟った瞬間、ずるりと真白い手が床から這いあがり、彼女の足首をがっちりと掴んだ。
「清花!!」
異変に気づいた財前が声を張り上げれば、一斉に皆の視線が彼女へと向けられる。しかし駆け寄ろうとする財前を手で制した清花は、その場にしゃがみ込むと真白い手をそっと掬い取るようにして両手で包みこんだ。
『呼び出しに応じてくださったこと、感謝します。ありがとう、霧舟』
清花が感謝の意を伝えれば、くすりと艶を含んだ笑い声が静まり返ったホールに聞こえた。そしてずるりと腕の先が床より浮かび上がったかと思うとそこには派手な着物を身に纏う絶世の美女が立っていた。
赤く縁取られた唇が弧を描き、清花を見下ろす漆黒の瞳は吸い込まれそうな不気味さを放つ。しゃらん、と髪を飾り立てるチリカンが音を鳴らす。
「遅くなってすまなかったわね、伯爵」『いいえ。迅速な対応ですよ。ありがとうございます、メリーさん』
霧舟の隣に顕現したメリーさんに礼を言えば、彼女はほっと安堵の息をつく。
「よかったわ。霧舟ったら、化粧が完璧じゃないってずっと鏡台の前から離れないんだもの」
「突然押しかけてきて妾の身支度に文句をつけるとは大した身分よな」 きっとメリーさんを睨む霧舟の威圧感に清花の傍にそっと移動していた財前がたじろぐ。しかしメリーさんは気にも留めずに腰に手を当ててやれやれと
「悪かったって言ってるじゃないの」と呆れた様子だ。
『わたしがメリーさんに頼んだから、元はといえばわたしが悪いの。ごめんなさいね、霧舟。でも今日も欠点が見つからないくらいとても綺麗だから安心して?』
「………嬢がそういうなら、許してやってもよい」 むくれる霧舟が照れたようにそっぽを向くので、清花は可愛らしいなあとこっそりメリーさんと目配せする。そして異様すぎる美女に呆気に取られていたギャラリーの半数はようやく我に返り、どうやら味方であることに安心する。
「三輪、その女がお前の言ってた助っ人か?」
興味津々らしい日吉の言葉に清花は大きく頷く。
『ええ。女郎蜘蛛の霧舟です。彼女の力を借りてここから脱出します』
紹介された当人は興味なさげにぐるりと周囲を見渡して、ふむと清花に尋ねる。
「…小僧らが多いの。嬢、これは世に言う“逆はーれむ”とやらか?」『うん、違うからね。これは部活の集まり。共通の趣味をもつ人たちが集まって活動している団体のことだよ』
霧舟が現世に疎いことを知っている清花は間髪入れずに否定と説明を口にする。
「なんじゃ、つまらんの。嬢にも春が来たかと思うたのに…。にしても、つまむ程度には美味そうな小僧どもが揃うておるな」 その一言にびくりと肩を揺らし顔面が真っ青になる男子達。品定めするかのような視線を向ける霧舟に清花は嘆息する。
『だめですよ。今回はわたしの精気だけで我慢してください』
「他ならぬ嬢の頼みだ、仕方あるまい」 そういった霧舟が両の四本の指先から糸を放出すると、糸は素早く床を滑りホールやその扉の先にまで張り巡らされる。そして――
「二階の客間……、そこに昔使われていた非常口がある。そこから出るのがよかろう」
「善は急げかしらね。みんな、聞こえたかしら? ここから出るわよ! 各々自分の荷物を忘れないようにね」 霧舟の言葉にメリーさんが周囲へ呼びかければ、それぞれがやっとここから出られるという安堵に表情が和らぐ。わあわあと活気が戻ったホールに清花もほっと息をつけば、隣の財前が小さく舌打ちをしたので思わず彼へ視線を投げた。
『……なに?』
「…また自己犠牲か」責めるような口調に清花は呟くように言った。
『…それが、一番最善だと思ったから』
「せやろな。だからお前は阿呆なんや」
「あ、あほって……」
清花は思わず言われたことを繰り返せば、財前は彼女を睨みつけるように見つめた。
「阿呆に阿呆っていってなにが悪いねん。お前は周りの気持ちを考えたことあるんか?」
『それは…』
「どんだけお前のこと心配してるかわかってへんやろ。いつもお前はなんでも一人で解決しようとする。せやから俺らは嫌っちゅうくらい心配するんやで。それが増していけば溝になるかもしれへんことも分からんか?」
『っ…!』
思ってもみない財前の言葉に、清花の瞳が大きく揺れる。
「家柄もあいまって責任感とかプライドっちゅーもんがあるかもしれんけどな、一人で突っ走ったってええことないやろ。少しは周りを頼れや」
――清花、一人で抱えたってなんもええことないわ。誰にも頼れなくても、俺くらい頼れや。
ああ、おんなじだ。彼が言ったことと、まったく同じことをまた言われてしまうなんて。
まったく、と嘆息する財前に清花は少し俯きがちになり、そして小さく抵抗の言葉を口にした。
『…できることなら、』
「あ?」
『できることなら、わたしだって……わたしだって頼りたいよ。でも、どうやって頼っていいのか、わかんないんだよっ』
――人に頼る生き方なんて、してこなかったのだから。
清花はそう呟いて、表情を歪めた。確かに彼の言うことは正しいだろう。肉親でさえも頼ることができなかったのは、家柄のせいか、今までの経験とプライドか。今更過ぎてどれが正解なのかは不明だが、おそらく全て当て嵌まってしまうのだ。
悔しいのか悲しいのか複雑に絡み合った感情のせいで、握り締めた拳にもどんな意味があったのかさえわからない。二人の間に落ちた沈黙を破ったのは、遠慮がちにかけられた後輩の声だった。
「清花先輩…? あの、荷物持ってきました……けど、お邪魔でした?」
『ううん、大丈夫。ありがと』
打って変わって明るい表情をつくった清花は『みんなは準備整ったかんじ?』と尋ねれば、花菜は大きく頷いてみせる。そして霧舟を仰ぎ見れば、彼女は誰もが見惚れるほどの微笑を浮かべた。
「さて、嬢。一戦ありそうな敵の本陣に向かうとしようか」『……んん?』
「「「えっ」」」
女郎蜘蛛の導き
第三章 刺客