蛇は聴覚が弱いが、代わりに嗅覚や皮膚感覚が鋭い生き物だ。皮膚から振動を捉え、匂いや味を舌で捉えて獲物を追跡する。だとすれば、いま自分達は追い詰められた獲物というワケだ。こんな状況下で嫌でも冷静に頭が働いてしまうのは培った経験の豊富さゆえだろう、と清花は顔を真っ青にしている彼らを一瞥して乾いた笑みを浮かべた。
 何度も命の危険に晒された挙句、強制的に戦いを覚えさせられたのは懐かしいことに幼少期のことだ。物心ついた時には既にアチラ側のモノが視えてしまっていたし、危機感と恐怖だけは外に出る度に襲ってきたために、幼体には負担が掛かりしょっちゅう体調を崩していた。同様に力の強かった次兄と共に父及び祖父に鍛え上げられたせいで、いまでは危機感よりも鬱陶しさの方が優ってしまっているが…。
 無理矢理連れていかれた鎌鼬退治の時くらいの奴かなぁ、とぼんやり思い出に浸っていた清花を現実に戻したのはガチャガチャと鳴りだしたドアノブだった。



「ひっ、」



 塞いだ口から洩れた声に反応したかのように、ガチャガチャガチャガチャとドアノブは更に五月蝿さを増す。内鍵をかけているとはいえ、物理破壊に及ばれたらひとたまりもないと必死に押さえる清花だが、次にどんっ!と大きな音が鳴ったことに部屋に緊張が走った。



『(体当たりか…)、跡部さん』



 扉を挟んだ向こう側の壁に背を預ける跡部に声をかければ、びくりと肩を揺らした彼が彼女へ怯えた視線を寄越す。それに安堵させるように清花は表情を緩めた。



『このままだと開けられるのは時間の問題です』

「ッ、ああ」

『なので、殺られる前に殺ります

…出たわ、清花の人格障害

「謙也クン魂飛ばさんと戻ってきて」



 普段の温厚な態度から一変してヤる気スイッチが入った清花に頭を抱える謙也。小春が声をかけるものの既に現実逃避に入ったあとだ。ドンッ!!ドンッ!!と体当たりで揺れる扉を身体で押さえつけながら清花は全員に向かって作戦を話す。



『いいですか。まず皆さんでこの扉を押さえてください。わたしが合図を出したら内鍵を開けてほんの少しだけ扉を開けて奴の一部をこちら側へ入れます。そしたら躊躇いなく扉を閉めて絶対に開かないように押さえつけてください。これが流れになります』

「一部って、それどうするつもり?」滝の言葉に清花は遠慮ない一言を放った。

切り落とします

「「「………」」」

「また、ずいぶんと、過激だな…」

『真っ向勝負で逃げ切れる相手ではないですからね。攻撃で怯んだ隙を見てホールに駆け込みましょう』

「…やるっきゃないなぁ」



 顔を引き攣らせながらも覚悟を決めた忍足の一言で作戦はすぐに決行される。何度も何度も体当たりをしてくる扉を男五人掛かりで押さえつけて、清花は扉の開く側に待機すると鞘から刀を抜き取りタイミングを見計らって声をかけた。



『謙也さんっ』

「おうっ」



 一番手前側で押さえていた謙也が手早く内鍵を開けてドアノブへ手を掛ける。そしてやってくる衝撃に耐えるように彼らは脚に力を入れた。そして――。



ドンッッッ!!!!!



「ぐッ」

「くっそ!」



 ぎしりと音を立てて開いた隙間を見逃さなかった外のソレはガッと勢いよく扉を掴むと舌と尾を滑り込ませてくる。だがその瞬間を待ち構えていた清花は扉に顔を押しつけている蛇女と目が合うと、『閉じて!』と号令を出せばこちらも体当たりを行うように扉を閉めるが挟んでいる指と舌と尾のおかげで完全には閉めきらない。
 少なからず痛みを感じながらも必死に押し開けようと向こうから体重をかけてくる蛇女に、清花は容赦なく舌と尾を斬り落として鱗に覆われた手の甲に刃を突き立てた。



「ヴア゛ァァアァアア゛ァアアァ゛ア!!!!!」



 絶叫を上げるソレになりふり構っている暇はない。謙也達は扉から離れると彼女の背後へと回り、清花は素早く刃を抜き取るのと同時に扉を開け放った。人間の上半身と蛇の下半身、胴体は五メートル以上はあるだろう長さで髪も同様に長い。あまりの痛みに両の手で顔を覆った蛇女の指の隙間からは血走らせた瞳が垣間見え、彼らの恐怖心が一気に煽られる。



『《バサラ、ヤシャ、ウン!》』



 相手の隙を見逃さず、また手出しも許さないよう清花は呪文を唱えれば、彼女から放たれた気が蛇女へぶち当たり向こう側の壁へと吹っ飛んでいく。



『今です、走って!』



 震える全身に鞭打って、彼女の言葉に従い慌てて彼らはホールへ向かって走り出す。それを許すまいと床に這いつくばったまま尾を伸ばす蛇女だったが、清花の小太刀がその胸を貫いた。



「ア……ゥァア…、ア゛ッ…」

『…異形に堕ちなければよかったものを』



 二度の死を体感することなどなかったのに、と続けて清花は小太刀を抜き取ってその首を胴体から切り離した。ころん、ころんと転がっていった首は溶けるように消えて胴体も同様に跡形もなく消え去った。



『次は、神の眷属に志願してほしいね』



 蛇は竜や蛟の姿によく似ているからなのか、謂われは様々だが水神等として祀られていることもある生き物だ。怖い生き物として捉えられるよりも縁起がいい担ぎものとして捉えられた方が彼女達にとっても良いに決まっている。だからこそ次があるならば怨恨で心を蝕まれることなく、神使の道を選んでくれることを清花は願い浄化の言葉を口にすると急いで彼らの後を追いホールへと向かった。
 使用人部屋からホールまでの距離はそんなにあるわけではない、徒歩十分、駆け足ならばもっと早く着くだろう。ジャージの袖に差したペンライトが足元を照らしながら元来た道を警戒心を緩めずに進んでいけばホールの入口で佇む人影が見えた。どうやらほんの少しだけ扉を開いて外の様子を窺っている。



『金ちゃん…?』

「っ、姉ちゃん!! 白石、光、姉ちゃん戻ってきたで!!」

「清花っ! 無事か!」



 扉から身を乗り出して切迫した表情で出迎えた白石に、彼女はにこりと微笑んで見せる。



『只今戻りました。この通り、怪我もありませんよ』

「そうか…良かった……。跡部君達が血相変えて部屋に駆け込んできたときは流石に肝が冷えたで」

『ご心配をおかけしてすいません』そういい中に入れば扉に隠れていた財前と視線がかち合う。

「微塵も心配なんてしとらんかったけど、謙也さんがヘビィィイイって発狂しながら入ってきたのには正直ビビったわ」

『あー…それはトラウマ植えつけちゃったかも。でも謙也さんってエンカウント率高い気がするんだよね』

「なんや前回と言い、今回も厄介な奴に出くわしたんか。謙也さんも不憫やっちゃな、経験重ねるごとにどんどんヘビーな状況になっていくとか」

「ケンヤやからなぁ、しゃあないしゃあない」

『謙也さんの扱い雑すぎじゃありませんかね…』



 謙也にはもう少し優しくしてあげよう、とひっそり彼を憐れんだ清花だった。





VS 蛇女

第三章 刺客




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