清花は扉をひと睨みすると、急いで自身の鞄へ歩み寄りそれの飾りとなっていた天眼石の数珠を外して左手に巻きつける。そして鞄の中に入っていたポーチを取り出すと更にその中から全ての護符を抜き取り、手持ち三枚を除いてジャージのポケットへと無造作に突っ込んだ。その一部始終を黙ってみていた四天宝寺は「待ってました!」と言わんばかりに期待の眼差しを向け、氷帝は困惑するばかりである。



『………麗、手持ちは』

「護符十枚と清め水が入った小瓶が二つ、あとはこの水晶のストラップくらいよ」



 そういいストラップがつけられている携帯を持ち上げて見せる麗に、念のためにもう一つ確認をとる。



『…獲物は?』

「確認するまでもないわね」

『…だよねえ』



 やっぱり確認するまでもなかったか、と苦笑し清花は一度扉から白石達の方へと顔を向けた。



『皆さん、壁際まで下がっててもらってもいいですか? ちょっとよろしくない奴がいるので』

「い、いるってどこに!!?」

「扉の向こうに、ですよね。なにか良くない気配がします」



 向日の言葉に花菜が言葉を紡げば『御名答』と彼女は微笑んで護符を構えると一歩ずつ先ほどまで自身が立っていた扉へ歩を進める。その隣には当然と言わんばかりに麗がいて、そして驚くことに持っているモノがハリセンから釘バッドへと変化していた。



「またずいぶんと古風なモンを、ってどっから出したん!?」

「残念ながらそれは俺達にもわからねぇ。わかるのはアイツがお嬢様の皮を被った怪物だってことだけだ…」

林檎を素手で粉砕するような奴だからな」

「それはホンマに女か?」

「せやから怪物なんやろ…」

「あっは。先輩狩りに行く気満々じゃないですか〜」



 のほほんととんでもないことを口にした花菜に対して、その場にいた男子諸君は皆一様に「唯一の女子」として認定した瞬間だった。
 そんな会話が背後でされていることもしらず、二人は五メートルほどの距離を保って扉も前で足を止める。そして清花が護符を構え、麗がバッドを握る手に力を入れたとき。



バンッ!!!



「ひっ!」



 誰かの悲鳴があがり、そして息を呑む音さえもハッキリと耳にできるほどホールは静まり返っていた。勢いよく大きな音をたてて開いた扉の先には、禍々しい気を放つ髪の長い女が一人立っていた。ずるずると床を引きずる髪はまるで生き物のようにさえ思えて不気味でしかない。女は俯かせていた顔を上げると、蛇のような目を細めニタァと笑った。



『……何点?』

「百点よ、あなたは?」

『同じく。マイナス百点』

「キヒ…イヒヒ…キヒヒヒヒヒヒ!! 美味シ、ソウ…イヒ…、いひっ、コロス……ころす、ころす殺す殺す喰ワセロォォォオオ!!!



 弧を描いた口からぬるりと這い出た太く二つに割けた舌から唾液を滴らせ、飛びかかるようにして襲い掛かってきた化物に二人は驚くでもなく、清花はその場から飛び退き口上を唱えながら護符を投げつけ、麗は容赦なくバッドをそれに向かってスイングした。



『《玉帝有勅、霊宝府令、斬妖縛邪、万魔拱服、急々如律令》』

「ゥギャァァアアアア!!! ア゛アアア゛ァァアアァアアア!!!」

「口を開くと更に下品だわ、黙りなさいな」



 バッドは化物の腹のど真ん中にヒットし、それは扉の向こうへと吹っ飛んでいく。突き当りの壁に背中からぶち当たった化物は悲鳴を上げながらもなお襲い掛かってこようと覚束ない足取りでホールの中へと進んでくる。それに清花は短く息を吸い込むと神咒を唱え両手で刀印をかたどった。



『《この声は我が声にあらじ。この声は、神の声。まがものよ、禍者よ、呪いの域を打ち祓う、この息は神の御息。この身を縛る禍つ鎖を打ち砕く、呪いの息を打ち破る風の剣。妖気に誘うものは、利剣を抜き放ち打ち祓うものなり――――!》』

「ア゛ッ、ア゛アアア゛アアアアアア!!」



 印を薙ぎ払った瞬間、女は頭を抱えながら絶叫を上げて溶けるように消えていった。跡形もなく消えていったそれを見送り、清花は何事もなかったかのように扉の向こう側へと踏み出すと両扉に護符をぺたりと貼りつけて扉を閉めてから彼らの元へと戻る。麗はと言えば彼女の隣で自身の利き手をぐっぱっと何度か開閉して「…鈍ったかしら? もっとぶっ飛ばす予定だったんだけど」と恐ろしいことを呟いていた。
 そんな二人に「お疲れ様です! 先輩達かっこよかったですっ!」と花菜が的外れな労いの言葉をかければ、「オイ、何メートルぶっ飛ばした」とこれまた日吉が見当違いな質問を麗へ投げかける。待て、おかしい間違っているという単語を誰かが発するよりも早く一仕事終えたマネージャー二人が口を開く方が早かった。



『ありがと。わたしからすれば日常茶飯事だけどね』

「廊下の幅が大体五メートルくらいだから、約十メートルくらいじゃないかしら。残念ながら新記録じゃなくってよ」

出さなくていい。そんなギネス認定は見たくねぇ

「麗ちゃんならやりかねないもんね」

「ウス…」

「揃いも揃って失礼な同級生達ね。私だって死人出すようなことはしないわよ」

まず死人が出る前提の話が問題かと思うよ…

「え、えーっと…話の途中で堪忍な? アレは倒したってことでよかったん?」



 話の流れがおかしな方向に持っていかれる前に、と白石がそおっと会話に割って入れば清花が『気遣わせてすいません…』と一つ謝罪してから彼らへと向きなおった。



『とりあえずは倒しました。念のために扉に護符を貼りつけたので暫くは問題ないでしょう。ただ…交渉の余地がない、理性の飛んだ異形となると片っ端から襲われる可能性が出てきたので、流石に今回は状況が悪いですね。自分の身は自分で護るつもりでいてください』

「でもどうやってあの化物から身を護れって言うんだい? 俺達はキミのように能力を持ち合わせはいないし」

「麗のように物理攻撃で戦うしかねぇのか…あの化物に」



 一度経験済みの四天宝寺は重々承知と言うように頷くが、氷帝からすれば前代未聞の未知との遭遇・襲撃に耐性もなければ“己を護ることができるのか”――つまるところ、生死の安否についての不安が胸を埋め尽くしていた。対処の施しようがなく、なによりも恐怖が優っているいま、絶望的状況で頼れる縋りつける存在は清花と麗だけ。その思いを感じ取った麗が全身から不快を露わにして仲間達を「勘違いしないで頂戴」と一喝する。



「確かに清花は退治できる力を持っているし、経験も豊富なその道のプロよ。人助けのための能力だけど、本来それは一対一での対処、他人を巻き込んで使うものじゃないわ。だからね、氷帝然り四天宝寺然り、この場で守ってもらうつもりでいる人は足手まといにしかならない、邪魔にしかならないの。つまり、バラエティやお遊び半分の肝試しとはワケが違う。巻き込まれただけって思うかもしれない、でも私も含めここにいるみんな巻き込まれた被害者であるのは事実なのよ。護ってもらえればいいや、だなんて思わないで。自分の身は自分で護ってほしいの」

『麗、なにもそこまで、』

「清花、あなたは優しいから言えない、けどそれじゃあ駄目なのよ。あなたの為にも言うべきことはきちんと言わないといけないの。だから私が代わりに言わせてもらうわ。清花の力は決して万能ではないし、一人に責任を丸投げして全てを彼女のせいだけにするのはやめて。なんにせよ責任の押し付け合いをしている場合じゃないのは分かるはず。ここから脱出するためには各々が責任を持ち、全員で協力し合う必要があるの。もしそれができない人間がこの場にいるのなら、私は容赦なく見捨てるし非難するわ」



 本気だと分かるほどに真剣な眼差しの彼女に、ごくりと誰かの喉が鳴る音がやけにはっきりと聞こえた気がした。静まり返ったホール内で耳にするのは降り続ける雨の音だけだ。
 かろうじて理解はできても、受け止めることは難しいだろう。清花はそう思いつつも彼女に感謝していた。麗が彼らにはっきりと厳しく伝えたのは、きっと自分の無力さを思い知ったからだ。彼女は元々能力のある人間ではない、先祖を辿れば神社の家系にはいきつくがごく普通の一般人だ。それゆえに自分が犯した過ちに気づき己を恥じて、足手まといになりたくない一心で自分にできる限りの努力をして、今のように立ち向かう強さを築き上げたことを清花は知っているからこそ、掛ける言葉を見つけられずにいた。



「そんなん今更すぎるわ」



 驚くことにこの静寂を破ったのは財前だった。彼は麗を真っ直ぐに見据えると相変わらずの不愛想な顔をかえることなく言葉を続けた。



「こいつがうちらを守りたいって思うとるように、うちらかて清花のことを守りたいと思ってんねん、おあいこや」

『(あ…)』



 その言葉は以前にも聞き覚えがある言葉だった。財前の曇りのない真っ直ぐな瞳は射抜くような鋭さだがその奥にどこか温もりを感じられて、とくんとくんと高鳴る心臓の音を聞きながら清花は緩みそうになる口元を必死に引き結んだ。



「足手まといにはなる気は毛頭ないし、巻き込まれたもんはしゃーない。それなんにうちらがこいつのことを責められるはずないやろ。責める資格もないっちゅーねん」

「おーおー。うちの生意気な後輩がええこと言うてくれるやないか」

「清花ちゃんのことになると男前やもんねっ。流石去年の文化祭で“四天宝寺一お似合いで賞”を受賞しただけあるわなぁ」

「なんですかそれ!? 聞いてないです気になります!」

「それは遡ること去年の十一月……」

「なんで昔話話すみたいに語ってんねん、銀」

「まあ、つまりはみんな清花のことが大切やけん、蔑ろにすることは絶対になかよ」



 千歳の言葉に四天宝寺が一様に頷いて見せれば、強張らせていた表情を緩めて麗は頷き返した。



「ハッ、麗の言うことには一理ある。それに俺様が女に護ってもらっちゃ格好がつかないしな」

「跡部に同感や。男として不甲斐ないとこ見せたないし、清花だけに責任押しつけるのは納得いかん。力になれるかは分からんけど、無事に脱出する為なら協力は惜しまんで」

『跡部さん…侑ちゃん…』



 跡部と忍足の言葉に心動かされたのだろう、他の氷帝陣の不安な顔色も少しだけ払拭され、瞳には意志が宿っている。無理強いをしてしまったが、ひとまずは大丈夫そうだと判断した清花はふっと息をつくと微かな笑みを口元に描いた。



『ありがとうございます。では、これからのことについて話し合いましょう。とりあえず麗、氷帝の皆さんに護身術や九字の説明をしてもらってていい? その間にこっちは微調整を済ませておくことがあるから』



 「了解したわ」と返事をくれた彼女は氷帝メンバー達へとレクチャーを始めたのを確認し、清花は四天宝寺の面々が持つお守りの微調整と室内や周囲の確認へと取り掛かった。





分かってほしいこと

第三章 刺客




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