冷気を帯びたようやな、と財前は落ち着かない心臓の音を聞きながら思った。
 静まり返った教室の中には、いつも明るく賑やかな先輩達が生気を失った顔で窓の外を呆然と見つめている。勿論、自分も例外ではない。それに状況が把握できない中、かける言葉すら思いつかない。

 I keep going to the river to pray Cause I need something that can wash all the pain…

 突然鳴りだした音に全員がびくりと肩を震わせた。それに花菜が慌てて「すいません」と口にして、ポケットの中からごそごそとスマホを取り出す。着信相手として表示されていた名前は――三輪清花。
 花菜はそれに驚きつつも急いで着信へと切り替えてスマホを耳にあてた。



「も、もしもし…っ」

≪あ、花菜。ごめんねー、返信遅くなって、≫



 普段と変わらない調子の清花の声に、安堵したように花菜が口を開いた。



清花先輩っ!!!!



 花菜が電話口に大声で叫べば、受話器の向こうにいた清花が『うぉっ…』と思わず悲鳴をあげる。そりゃ耳元で大声なんぞあげられたら迷惑だろう。だが、花菜の呼んだ名前に一同が救いの手を求めて群がる。



「清花! 清花なんやな!?」

「ほんま助けて! 俺まだ死にとうないんや!!」

≪ちょ、なに…聞こえないんですけど、≫

「あーもう! 先輩達、ちょっと待ってくださいっ、一斉に喋ったらわかりませんよ!」



 花菜が次々と言い募ってくる周囲を牽制すると、スピーカーへと切り替えた。そして一呼吸おいて話し始める。



「清花先輩、助けてくださいっ! なんか、いま、もう状況がわかんないです…!!」

「ねーちゃん、ヘルプ! 外は真っ暗やし、墓はあるしなんやのんココ!?」

≪ど、どうどう、金ちゃん。……で、えーと、まずは経緯を説明して欲しいんですが≫



 それに応対したのは財前だった。



「なんや、ぴんぴんしとるな、お前」

≪あ、財前君? ごめんね、連絡入ってたのいまさっき気づいた≫

「とにかく状況説明するで。さっきまで部活しとったんやけど、諸事情あって2号館入った途端、別世界みたいなとこにいたんや。ようわからん足音にも追われるし、とりあえずどっかの教室に身を潜めてるとこなんやけど…」



 幾分早口で事情を述べた財前だったが、清花は『なるほど』と呟いてほんの少しの間を置いて、返事が返ってきた。



≪とりあえず、落ち着いていまから言うことに従って。この通話を終えたあと、すぐにそこから出て廊下を右に進む。二百メートルくらいしたら左手に階段があるから、二階に移動したら図書室に向かって。構造は2号館のままだから、図書室の場所は分かるよね?≫

「ああ、大丈夫や」

≪ん、了解。図書室に向かう間も油断しないでね。いつ、なにが起きてもおかしくないから≫

「待って! 清花ちゃん、ここがどこか分かってるん!?」



 小春の切羽詰まった声に、清花は「ええ」と返答する。



≪ですから、いつまでもそこにいると危険です。はやく移動してください≫

「わかった。切るで」



 ブツッ……という音を残して終了した電話。財前はスマホを花菜に返すと、彼女はどこか安堵した様子でそれを握り締めた。心なしか全員の顔に生気が戻り、希望の光を見つけたような、そんな感じに変わっている。



「ほな、清花の言う通り急いでココから出るで!」

「そうやね。花菜、体力は大丈夫と?」

「だいじょうぶです、頑張ります!」

「あかんくなったらいつでも言うてな! ワイ、おんぶして連れてく!」



 金太郎の無尽蔵な体力は誰もが認めているので、一先ず安心だろう。一同は互いに顔を見合わせたあと、白石の号令と共に一斉に廊下に出て説明された道を走り出す。
 するとまた誰かの携帯が鳴りだす。そのアイドルソングに聞き覚えのある一氏が「小春の電話や」と口にすれば、小春は非通知表示になっているそれに出た。



「もしもし、」

≪もしもし。私、メリーさん。今、校門前にいるの

「…え、」



 ぶつり。と向こうから切られた電話に小春の顔から色が失われていく。それに一氏が「どないした!?」と尋ねれば、小春が信じられないと言った表情で呟いた。



メリーさんから、電話や…



 その言葉一同が再び真っ青になり走るスピードをぐん、と上げた。そして漸く階段が見えてきたところで再び着信音が鳴った。



「…もしも≪私、メリーさん。今、昇降口にいるの≫…昇降口やて!」



 階段を駆け上がる一同にメリーさんの居場所を伝える小春。まだ昇降口。いける、と一同は心の中で思った。だが階段を上って過ぎてすぐ、また着信音が響く。



「早すぎんか!?」

「っ、もし≪私、メリーさん。いま一階にいるの≫一階…って一階のどこやねん!」



 思わずツッコミを入れる小春に、急げと白石が声をかける。着信に怯えながら走る一同に間髪入れずにまた、着信音が鳴る。



≪私、メリーさん。いま、階段の踊り場にいるの≫



 着信ボタンを押していないのも関わらず、しかもスピーカーとなって放たれた無情な声にぞっとする。瞬間移動もいいところだ、と全員の表情が凍りついた。



「急がんと…!」



 謙也の声も虚しく、またすぐに電話がかかってきた。一同の目には「図書室」の表札が映る。



≪私、メリーさん。いま、二階にいるの≫



 先頭を走っていた白石が乱暴に図書室の扉を開いて中へと飛び込む。息を切らして次々と図書室へと入っていくなか、最後尾の小春が足を踏み入れようとした瞬間、



「私、メリーさん。いま、



あなたの後ろにいるの



 ぞっと背筋の凍るような冷たい声が、真後ろで聞こえた。恐怖で竦んだ足が図書室の敷居を跨げずに廊下につく。



「い、いるっ…!」

「小春! 絶対に後ろ振り向くなやっ!!」



一氏の声に、全員の心臓が煩わしく打ちつけられていた。そのとき、



『皆さん、ご無事ですか』



 凛とした、落ち着いた心地の良いアルトボイスが図書室の奥から聞こえた。衣擦れの音をさせて現れた人物に、花菜が思わず破顔する。「清花先輩ッ!!!」
 清花は安堵させるように一同に微笑んだまま、視線を彼らから小春の背後――つまりメリーさんへと向けた。



『メリーさん。ご無沙汰しておりますが、お元気そうですね』

「あら、驚いた! 伯爵じゃないの。お久しぶりねえ」



 落ち着いた声音と鈴を転がすような美しいソプラノボイスが飛び交い、唖然としていた一同が我に返るとすかさずつっこんだ。



「「「なに普通に話してんねんっ!!!」」」



 先ほどまでの緊張感はどこへ吹っ飛んだのやら。清花は悪びれた様子もなく謝罪する。



『ああ、すいません。久しぶりに顔を合わせたものですから…』

「あら、なあに。もしかしてこの子達、伯爵のオトモダチ?」

『はい。ですから手出しは無用です』

「わかったわ。それにもう十分驚いてもらえたし、満足よ」



 うふふと満足げに笑うメリーさんの声に、一同は恐る恐る後ろを振り返り見る。



「に、人形が喋っとる……!」



 金太郎が口にした通り、そこには体長四十センチ程のフランス人形が浮いていた。
 ふわふわと波打つ淡いプラチナブロンドの髪に、ばさばさと長い睫毛の下から覗く切れ長の透き通るビリジアンの瞳。新緑を思わせる色合いのロココ調のドレスを身に纏う人形は、人形とは思えないほどの美貌であるメリーさんに彼らは言葉を失う。「別嬪さんやなぁ…」と思わず呟いた小春に、花菜が大きく頷いた。



『さて、と。では皆さん無事のようですし、とりあえずひと息つきましょうか。メリーさんも、どうぞ。紅茶を淹れましょう』

「ええ、是非頂くわ。伯爵の淹れる紅茶は最高ですもの」



 メリーさんふわっと弧を描いて清花の肩へと移動すると、彼女は彼らを図書室の奥へと招いた。一同は呆然としながらも、清花に招かれるまま彼女の後ろをついていった。

私、メリーさん。

第二章 四天宝寺の怪談




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