ウエンディ


「うわっ!」

 ――捕まった……!?

 扉がバタンと閉められ、助けを呼ぼうとしたところをまた何者かの手によって口を塞がれる。まぁ、確かにこの状況下で助け呼んだところで意味は無いのはもちろん分かってはいるが、それでも極度の焦りからか行動せずにはいられない。

 しかしどうにかして振りほどこうとするもその手はなかなか離れず、焦燥感ばかりが募る中、いよいよ噛み付きでもしてやろうかと考えたその時――警告するような声が上から降ってきた。

「しっ、静かにして。見つかるわよ」

 それは少女の声だった。

 その声がしてから間もなく、通りの方からたくさんの足音がし、地響きと共に建物の前を次々と通り過ぎていく。

「……良かった、うまく撒けたみたいね」

 彼女はそう言うと、青年の口を塞いでいた手を離し、部屋の灯りをつけた。

 この部屋の中はパン屋ということもあってか、棚には焼き立てのパンが並び、よく嗅いでみれば香ばしいような麦の香りが部屋中に広がっているように思える。しかし店主は不在なのか、それとも“元から存在しない”のか――その分この部屋の存在が不気味にも思えたのも事実だ。

 そして目の前に立つ少女に視線を向けると、彼女は「大丈夫?」と言いながら青年の方へと振り返った。

「怪我はしていないかしら。ここなら少しの間は見つからないから大丈夫なはずよ」

「君は……?」

 未だ状況がよくつかめていなく呆けたままの青年に、少女はニコリと笑いながら手を差し出しす。

「私はウェンディ、あなたを助けに来たのよ。よろしくね、“クリストファー”」

「!」

 ――俺の……名前……

 なぜだろう、この笑顔を懐かしいと感じてしまうのは。気が付けば、彼は自然と彼女の手を取っていた。

「もしかして……俺達、どこかで会ったことでもあるのか?」

 不思議そうにウェンディの顔を覗き込むクリストファーに、彼女は少し驚き混じりに悲しそうな顔をすると、そのままそっとその手を払った。

「やっぱり、なにも分からないのね……私のこと、本当に覚えてないの?」

「あぁ、ふと気が付いたらこの街の駅にいたんだ。自分の名前はともかく、確かによく考えてみれば街の内装やお前の顔も見たことがあるような気がするんだが……すまない、何も思い出せないんだ」

 彼は顔に暗く陰を落としながらにそう言うと、チラリとウェンディの顔色を窺う。

「しかし、どうしてお前は俺のことを知ってるんだよ。その口振りじゃあ……ただの顔見知りって訳でもなさそうだよな」

「それは……」

 訝しむような彼の発言に彼女は少し口ごもると、大きく首を横に振った。

「今は駄目……まだ、思い出してはいけないから……」

 ウェンディはそう言うと、窓から通りを窺うように覗き込み、通りに人がいないことを確認する。

「さぁ、今のうちにここを出ましょう。ずっとここにいても埒があかないわ」

「あっ、おい、まだ聞いてないことが……!」

「分かってるわよ、歩きながらちゃんと話すつもり。さぁ、着いてきて!」

 先に歩き出してしまった彼女の差し出した手に導かれるようにして、思わずその手を握り返す。これから起こることに不安を抱えながらも、クリストファーはそのままウェンディの後を追い掛け、ここを出ることを選んだのだった。



『――それが、君の選択かい? 』




  



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