51永遠

昼下がり、青空の下、そよ風を受けてワンピースが揺れる。

「これ運んどくね」

からりと乾いた洗濯物が詰まった麻のかごを持ち上げると、ハンスが勢いよくこちらに走り寄ってきた。

「ああ、ワタクシめにお任せください!」
「少しくらい動かないと体が……あっ」
「エ?」
「お腹動いたかも……?」
「ひ……っ!」

ハンスは慌ててわたしからかごを奪うと、「早く中に入ってお休みになって!」とキィキィ叫んだ。ハンスこそ病み上がりだというのに。

ホグワーツの戦いから、3ヶ月。

わたしとヴォルデモートは魔法省が用意した住居で、ハンスと共に暮らしている。生活環境の変化を考慮し、わたしとハンスが仲の良いことを知っていたドラコ様が、ハンスを自由にさせたのだ。ハンスは肩の療養を終えると、快くわたしたちに仕えてくれた。おかげで何不自由なく生活することができている。

住居は、ロンドン郊外の落ち着いた街のはずれにある何の変哲もない一軒家だ。3人で暮らすには十分すぎるほどの大きさで、二階建てで庭もついている。元は魔法省が危険にさらされた人たちを保護する場所だったそうだ。監獄なんて言葉とは結び付かない環境だが、わたしたちは申請が通らなければこの街から出られないし、何かあればロンドンから闇祓いたちが飛んでくる仕組みになっている。

しかし街を歩けるだけでも、しばらくマルフォイ邸の中にいたわたしにとっては十分すぎるほどの自由だ。思えばここはイギリス。ヴォルデモートの翻訳魔法のおかげで言葉は解るが、やっと海外に来た気分を味わえている。お洒落なレストランを見つけたので行ってみたいが、ハンスの作ったごはんはすべて美味しいので悩みどころだ。

家に戻ると、暖炉がごうごうと燃える音がした。8月だというのに暖炉が燃える理由は1つ。居間へ急ぐと、暖炉の中からヴォルデモートが出てくるところだった。
ヴォルデモートは魔法の使用を制限されている為、姿現しを使えない。だから移動はもっぱら煙突飛行ネットワークだ。こんなにも暖炉の音が好きなのはわたしくらいだろう。

彼はこの3ヶ月で眉や睫毛が生え揃い、髪も毛先が垂れるくらいにまで伸びていた。蛇のような姿の頃を思い出すと不思議な気持ちになるが、切れ長の瞳は変わらない。

かちりと目と目が合う。

「おかえりなさい」
「ナナシ」

名前を呼ばれ、吸い寄せられるように近付くと、背の高い彼は屈んでくれる。唇を数秒触れ合わせてから、下唇を何度か食べられて、熱が離れていく。お出掛け前後のキスは、もうお決まりだった。

「さっき、赤ちゃんが動いたんです」
「ほう……」

少し膨らんだお腹を細長い指先に触れられる。一緒になってお腹を撫でてみれば、手を重ねられて心臓を擽られた。きゅっと口角を上げて微笑むと、再びキスが始まる。ついばまれる度に鳴るリップ音に高揚してしまう。今日はいつもより、おかえりの戯れが長い。

「……ヴォルデモート様?」

高鳴っていく鼓動――なけなしの余裕を掻き集め、キスの合間に窺うように名前を呼ぶと、ヴォルデモートは動きを止め、わたしのことをじっと見つめた。

物言いたげな視線を察して黙っていると、彼は静かに口を開く。

「……名を戻すことにした」

「私の名は、トム・マールヴォロ・リドルだ」

心臓が震える。

凡庸だと、マグルの父と同じだと、捨てた名前。でもあなたの本当の名前。
その名前に戻ることは、彼が自分自身を認めようと、マグルを受け容れようとしているように思えて。
ただ……嬉しい。

「わかりました。では、何とお呼びすれば……?」
「ファーストネームでいい。敬称もいらぬ」
「えっ」

それはいきなりハードルが高いような。しかし「できないか?」とどことなく沈んだトーンで問われれば、やる他がなくなってしまう。

何度か頭の中で練習して。
意を決して、彼を見上げて。

「…………トム……」

小さな声で名前を呼ぶと、彼は目を細め、静かに息を吐いた。

「あの、嫌なら……」
「……嫌ではない。ただ、妙な気分になっただけだ」

耐えているようにも見える――その表情を窺うと、彼は首を軽く横に振って。

「あんなにも忌み嫌っていた名だというのに、懐かしく……おまえに呼ばれると、胸を擽られる」

そう言って、口角を上げる。その微笑みが優しくて、きゅんと胸の奥が鳴いた。

「……トム」

もう1度名前を呼ぶと、重なっていた手――左手を取られる。そしてそのまま薬指に触れられた。

還霊箱だった指輪の痕。
ヴォルデモート――トムを白い駅から呼び戻すことに、わたしは自分のものとしていた彼の魔力を使い切ってしまったようだ。もう蛇の声は分からないし、話せない。元通りのマグルだ。

しかし、指輪の痕は消えることのないまま、ケロイドとなって残っていた。

「ナナシ」
「はい」

左手を持ち上げられ、薬指にキスされる。まるで王子様のような所作。柔らかな唇の感触がくすぐったい。

どうしたんだろう。
なんだかやっぱり、いつもと違うかも。

わたしの手を握ったまま、トムは跪く。驚いて固まっていると、彼はもう片方の自由な手でポケットから小さな箱を取り出した。そして、箱を開く――――。

「私と、永遠を共にしてくれ」

箱の中には、ダイヤモンドが飾られた華奢な指輪が上品に輝いていた。

きれい。
始めに浮かんだのは、そのたった三文字。

指輪の輝きを見つめているうちに、トムの言葉の意味を理解する。そして目の前に跪く、いとしい人。まるで映画のワンシーンに自分が入り込んだかのような気分だった。

プロポーズ……?

指輪から黒の瞳に目を移す。トムは真っ直ぐにわたしを見ていた。その真摯な瞳に彼の想いが篭っていて、堪らない気持ちになる。

何も言えなくなって。コクコクと縦に頷くと、ゆっくりと指輪をはめられた。ケロイドに重なるように、でもぴったりと指輪が左手の薬指に収まる。
還霊箱の指輪をはめられたときのことが頭に浮かんできて、あの日からの時の流れを感じ、涙が溢れてきた。

「しあわせ、です……っ」

トムは立ち上がり、わたしの腰を抱き寄せる。彼の腕の中に閉じ込められて、でも少しだけ体を離して見つめ合う。

「それは私の方だ。おまえに出会うことができ、私は幸運だ。おまえは私に教えてくれた……私を救ってくれた……」

彼の瞳が赤を帯び始めた。その綺麗な赤の中にわたしが居て、わたししか映ってなくて。
ああ、涙で視界がぼやけるのが、惜しい。

トムはしばらくわたしを見つめ、薄く唇を開く。震えているように見えるほど……ゆっくりと。

「ナナシ」

「あいしてる」

時が、止まった。

体が宙に浮いているような感覚に包まれていく。

今……なんて…………?

ぼんやりとしているわたしの頬に手を添え、顔を寄せて――トムは再び言葉を紡ぐ。

「ナナシ。おまえをあいしてる」

甘い感覚に脳が支配され、痺れる。
彼しか見えなかった。

愛を理解できなくて。拒んで。認められなくて。
彼の生い立ちや取り巻く環境は、彼をそうさせてしまうのも無理のないものだった。

愛を受け容れても、心を通わせても、彼は愛を口にすることはできなかった。

でも、今――――。

涙はもう抑えようがない。トムは泣き崩れてしまったわたしを抱き寄せ、落ち着けるように頭を撫でる。

そして、もう一度……耳元で愛を囁いてくれた。

――――それから約1ヶ月後。
9月1日、澄み切った秋晴れの中。

わたしとトムはハンスに取り仕切ってもらい、庭で小さな結婚式を挙げることにした。

トムが用意したドレスはわたしによく似合って、自分でもいつもより綺麗に見える。胸の下辺りから裾が広がっていて、大きいお腹も気にならない。最後にお化粧を確認してOKサインを出すと、ハンスはパチンと指を鳴らして庭に繋がる扉を開いた。

「わぁ……」

扉からトムが立っているところまで白い薔薇が花道を作っている。庭へ一歩踏み出すと、花道のところどころに置かれた金色のボールから音楽が流れ始めた。
それに気付いて、トムが振り返る。わたしは小さく息を呑んだ。彼は白のドレスローブを纏っていて、整えられた黒髪が映え、とても魅力的だ。

ハンスにドレスの裾を持ってもらいながら、歩を進める。トムはわたしが近付いてくるのを真っ直ぐに見ていた。

彼の隣に立つと、ハンスは移動し、台の上にのぼる。その合間もトムはわたしを見つめ続け――独り言のように「美しい」と呟いた。
赤くなってしまった頬は、お化粧で隠せているだろうか。

「それでは……」

緊張した様子のハンスに尋ねられ、順番に愛を誓う。そしてお揃いの指輪を交換し終えると、誓いのキスの時間だ。

憧れていた時間の訪れに緊張していると、ベール越しに慈しむように頬を撫でられる。

「私の――私だけのナナシ」
「……とっくに、あなたのものなのに」

わたしの言葉に彼は眉を上げる。その表情が新鮮で、とてもハンサムで、見惚れてしまう。

「……本当におまえは…………」

ふわりとベールを捲られ、クリアになった視界。
溶かされていく距離。

「――いとしいよ」

甘い愛の言葉。
触れるだけの、誓いのキス。

身体がしあわせに包み込まれる。

わたし、この人とずっと一緒に居られるんだ――――。

「お二人の結婚に祝福を!」

ハンスが手を高々と掲げると、庭一面に星が舞い、わたしたちの周りに色とりどりの花がひらひらと降ってきた。

「ひゃっ!」

夢のような光景に見惚れていると、突然抱き上げられ、お姫さま抱っこで運ばれる。見れば、花道を形作っていた白い薔薇たちが、今度は丸く小さな円を描き、ダンスフロアを作り出していた。

フロアに着くと、トムは足を止め、わたしのおでこにキスをする。

想いが膨らみすぎて、破裂してしまいそう。

「あの、」

わたしを降ろそうとした彼の動きを止めて。

「どうした?」
「耳をお借りしてもいいですか」

不思議そうにしながらも、耳を向けてくれる彼に、口を寄せる。

トム・マールヴォロ・リドル。
きっとわたしは、あなたの為に生まれてきて、ここにいる。
あなたが生きる意味。あなたがすべて。

何度だって伝えよう。

永遠に消えることなく――残り続けるこの想いを。

「あいしてます……トム」

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