48瘢痕

ダンブルドアが絵に戻ると、ポッターと部屋を出た。不思議な体験と話の内容にぼんやりとしつつ歩いていると、来たときとは違う経路を歩いていることに遅れて気付く。どこに向かっているんだろうと疑問に思いながらもついていくと、ポッターは大きなタペストリーの前で足を止め、振り返った。

「――今。リドルは、自分の行いを後悔する苦しみと戦っている」
「…………え?」
「結果的にあなたは無事だったけど、あいつはあなたを殺したと認識し、悔やむことを選んだ。自らを滅ぼす可能性があるほどの痛みだ」

自らを滅ぼす……胸が張り裂けそうになった。自分がきっかけで、ヴォルデモートを苦しめているなんて。

「どうすれば――」
「いいんだ、このままで。リドルは耐え抜かないといけない」
「そんな!」
「それが、分霊箱の為に引き裂いた魂を元に戻す、唯一の方法なんだ」

ポッターはわたしと目を合わせる。訴えかけるような瞳だった。段々と彼の言葉を理解すると、心のざわめきが和らいでいく。
魂を元に戻す……本当に――?
わたしが次の言葉を待っていると悟ると、ポッターは「きちんと文献で得た情報です」と付け加えた。

「あなたが白い部屋で見たのは、傷付いたリドルの魂だと思う。僕もおそらく同じものを見た。あいつの魂を救いたいなら、見守らないと」

……ヴォルデモートの魂を救うことは可能だった。希望が胸の中に光を差して、あたたかくなってくる。

彼の傷付いた魂を救いたい。
白い部屋で知った彼の感情は……あんなにも痛く、苦しかった。抗うことのできないまま与えられた世界が憎くて、呪うしかなかった。とてもかなしかった。あのままなんて嫌。救いたい。

……そうだ、ポッターは大広間でヴォルデモートと対峙したあのとき、彼に後悔することを示した――そういうことだったんだ。

「ありがとう……」

敵であるのに、ヴォルデモート様に機会をくれて。
わたしとの約束を守ってくれて。

ハリー・ポッターという青年の優しさには感動すら覚える。心を込めてお礼を伝えると、ポッターは何度か首を横に振り、謙遜した様子を見せた。そしてまた、真っ直ぐにわたしを見る。

「あなたにリドルの傍にいてあげてほしい。苦しんでいるところを見るのは辛いかもしれないけど……」
「……大丈夫です。彼のところに連れて行って下さい」

わたしの返事を聞いて、ポッターは石壁の前を何度か往復する――すると先程までは無かったはずのところに、なんと扉が現れた。

「ここは“必要の部屋”といって、願えば必要なものを揃えてくれる部屋です。リドルはここで安静になれる場所と薬を得て、処置を受けてる」

「……開けますよ」

ポッターが扉を開けると、最初に薬品の香りが鼻を突き――。

「あ゛あ゛――――!!!」

耳を塞ぎたくなるような叫びが聞こえて、わたしの体は硬直した。

叫びは部屋の奥から聞こえた。10人程だろうか――魔法使いたちが何かを囲んでいて、でも遠くて中心は見えない。おそるおそる近付くと、ライムグリーンのローブを着た数人の魔法使いたちが忙しく動き、中心に向かって呪文を唱えているのが分かった。

中心には――両手足と腹部を拘束され、寝台の上で体を引き攣らせ、叫び狂うヴォルデモートがいた。

「……!!」

あまりにも苦しげな姿に息を呑む。体の力が抜け、床にへたり込みそうになったのをポッターに助けられた。

ヴォルデモートは暴れるせいか手足が拘束具と擦れ、出血している。首を大きく振り、体を痙攣させながら、痛みに耐えていた。体に何かが装着されていたようだが、外れてしまい散らばっている。目を見開いているが周りにあるものは何も見えていないだろう。しかし何かに怯えるようなその目に、心臓が震えた。

彼のこんなにも痛々しい姿は初めてで、涙が滲む。

「発作だ。抑えておかないと、自分を傷つけてしまうんだ」

ライムグリーンのローブを着た魔法使いたちは癒者といって、マグルで言う医者であるらしい。彼らはヴォルデモートに怯えた様子を見せながらも、彼を癒し、懸命に動いているようだった。ヴォルデモートの発作が治まると、彼の傷ついた手足を癒し、ぐったりと椅子に座り込んでしまった。

「波があるけど、暫く発作は起きないと思う……体を拭いてあげて下さい」
「はい……っ」

癒者ではなく黒いローブを着た魔法使いたちが魔法で布巾を動かそうとしていたところをポッターが止め、布巾を受け取り、ヴォルデモートに近付く。

体がいつもより細く、弱々しく見えた。呼吸も掠れていて、悪夢を見ているのか時折唸る。

まずは汗や唾液を拭き、顔を綺麗にした。それから汗ばんだ体を拭いて手足の血を拭う。傷は残っていなかったが、暴れて拡がった血の跡が痛々しかった。乱れた衣服を正したあと、手を握り、顔を寄せる。

「ヴォルデモート様……」

待ってます。
あなたと会えるのをずっと待ってます。

だから――耐え抜いて。

ヴォルデモートの頬に水滴が落ちる。わたしの涙だった。数滴垂れたところで顔を離し、彼の頬を拭う。手でごしごしと涙を拭って顔を上げると、ポッターが隣に立っていることに気が付いた。

「あなたが望むなら、ここにいて構いません。この部屋では願えば可能にできる」
「……ここにいたい……離れたくないです……」

ポッターの言う通りに、願う。するとヴォルデモートの寝台から一番近い壁に扉が現れた。わたしは泣きながらも目を丸くして、ポッターは少しだけ微笑む。扉を開けてみると小さな部屋に続いていて、生活するに十分な環境が整っていた。

ヴォルデモートが目覚めるまで、わたしはそこで生活することになった。よく見ると必要の部屋の中には他にもいくつか扉があり、癒者や黒いローブの魔法使いたちがそこで寝泊まりしているようだった。

魔法界には輸血や注射といったものが存在しないらしく、血液補充薬や栄養満点剤などをヴォルデモートに経口投与していた。彼らの看病を見守ったり、ヴォルデモートの体を拭いたり、わたしも一応診療を受けたり……そう過ごして数日が経つ。

ポッターは黒いローブの魔法使いの一人――キングズリー・シャックルボルトという背の高い黒人の男性とよく話し込んでいた。わたしがこんなにも自由に、こんなにも良くしてもらえるのは彼らのおかげなのだろう。必要の部屋にいる黒いローブの魔法使いたちは、ヴォルデモートを看病するというよりも見張っているといった様子で、ヴォルデモートを救っていることに疑問を思っているようにも見えた。熱心にヴォルデモートの世話をするわたしのことも、おそらく見張っている。

居心地の悪さを感じながらも、落ち着いて眠っているヴォルデモートの手を撫でていると、ポッターとシャックルボルトが近付いてくるのが見えて、体をそちらに向けた。

「……今更だけど、おめでとう」
「え?」
「赤ちゃんがいるのが分かったと聞きました」

ポッターは微笑みながらわたしのお腹を見た。少し照れ臭くなりつつもお礼を述べると、ポッターの後ろにいたシャックルボルトが前に出てくる。

「おめでとうございます。そして……大変失礼ですが……確実に、ヴォルデモートが父親なのですか」

シャックルボルトの問いにしっかりと頷くと、彼は決意を固めたような顔をした。

「僕らはずっと、リドルが目覚めたときの話をしていました」

ポッターの顔が穏やかなものから真剣なものへと変わる。少し緊張しながら、わたしは彼らの話に耳を傾けた。

「リドルは……罪を償わなければならない。僕としてはアズカバン――監獄に入るのが真っ当だと思ってたんだけど……」
「魔法省――魔法界の統治機関ですが――こちらとしては、恥ずかしながらヴォルデモートの手によりアズカバンを何度も破られている経緯がある。また、看守である吸魂鬼がヴォルデモートに協力的な為、奴らを抑圧するまではアズカバンへの投獄は了承できない」

わたしとしては監獄も嫌だが、どうやら無しになったようだ。しかしその代わりにどうなると言うのだろう……不安が拭えない。

「だから……別の、償いの道を考えてる。けど……」

ポッターはじっと、こちらを見た。わたしの反応を窺うように。

「あいつがまた……ヴォルデモートとして闇を生きようとするなら……止めなければならない。そして、そのときは……、……」

ポッターが言葉を詰まらせると、シャックルボルトは重たげに口を開く。

「魔法省はヴォルデモートの死刑を実行する」

死刑――――身体が内から凍る。わたしの全てがその言葉を拒否していた。

黒いローブの魔法使いたちは、おそらく魔法省の人たちだったのだろう。それにポッターやシャックルボルト……この人たちが敵になる。わたしなんてそうしようと思えば簡単に捕らえられてしまう 。何より、ヴォルデモートは弱っていて拘束されている……状況が悪すぎる。

もしヴォルデモートが闇を生きる選択をしたなら、彼の命は無いだろう。

「どうなるかは目覚めたときのリドル次第だ」

わたしの動揺を読み取ったのか、ポッターはわたしを落ち着けるように片手を揺らした。

「でも……ナナシ。あなたも鍵を握ってると思う。あなたはリドルに後悔させた」

「……あなたの気持ちを聞かせて下さい」

「あなたは……リドルが闇を生き、人を殺すことを受け容れてるの?」

それはずっと、悩み苦しんできたこと。

「わたしは……」

ヴォルデモートが人を殺すこと……それが闇の帝王の生き方なのだと、自分を説得していた。彼以外を捨て置こうとした。
でも、本能が叫ぶ。ヴォルデモートの傍で生きると決意したくせに、わたしは彼が殺人を犯すことを恐れてる。悲しくて怖い。彼が人を殺めない道を望んでる。セブルスを殺したとき、ヴォルデモートの魂が軋んでいるのを感じて、苦しかった。

……わたしは……これ以上、彼が傷付くのは見たくない。

――――そのとき。
ぴくりと、ヴォルデモートの手が動く。

「ヴォルデモート様……?」

顔を見ると、ヴォルデモートは口を微かに開いて浅い呼吸を繰り返していた。それは今にも途切れてしまいそうな弱々しいもの。

いつもの発作と様子が違う。

「ヴォルデモート様!」

彼の頬に縋るように片手を添え、もう片方の手でしっかりと彼の手を握る。

「ナナシ! 発作かもしれない、離れて……!」

一度発作のときに突き飛ばされ、危うく尻もちをつきそうになったことがあった。あのときポッターに支えてもらわなかったら怪我していただろう。それでも今、ヴォルデモートから離れてはいけない気がした。

「ヴォルデモート様……!」

遠くへ、戻ってこれないところへ、行ってしまうような。

「だめ、だめ、」

お願い。わたしの全部、捧げるから。

「ヴォルデモート様……こっちです……かえってきて……」

彼を戻して。

かえして。

――――すると。
願いに呼応するように、左手の薬指が熱くなる。力を失った筈の還霊箱、色を失いケロイドとなった指輪。

意識が遠のいて――そしてわたしは、真っ白な世界に立っていた。

ヴォルデモートの傷付いた魂を見た白い部屋と同じような空間であることは、すぐに理解する。しかし今度は部屋ではなかった。駅だった。ドーム型の天井、椅子……そして何より、真っ白な汽車が到着している。今にも出発してしまいそうだ。

汽車の前に立つ人物を見つけて、胸がぎゅうっと締め付けられる。

あの人だ。目を覚ましたときにヴォルデモートに首を絞められていた、あのときの夢。誰かがわたしに触れるだけのキスをした。泣いていた。
あのときはおぼろげで姿が分からなかったのに、汽車の前にいる人物がまさしくその人なのだと分かった。

今度は姿がはっきりとしている。やはりヴォルデモートだ。
きっと、魂が傷付いていない姿。蛇のような容姿は影もなく、写真で見た学生の頃の姿がそのまま齢をとったようだった。

汽車に乗ろうとしている――。

「だめ……!」

声が届いて。彼の動きが止まる。わたしは急いで駆け寄り、その腕を引く。
ぎこちなく振り返った彼は泣いていた。わたしを見ると目を見開き、また動かなくなる。

瞳の色が黒い。その黒の瞳にわたしが映っているのを見ていると、だんだんと赤みを帯びてきたのが分かって。その赤に胸が熱くなる。

あなたは愛を理解できないと言った。でもわたしの愛を受け容れてくれた。胸の痛みも感じてくれた。

遅くなってしまっただけで、きっといつか、あなたは……愛を理解することができる。

「わたしのところに、かえってきてください」

そう伝えると、手を絡め取られて。腰を引かれて。お互い吸い寄せられるように身体を寄せる。わたしは背の高い彼を見上げ、彼は少し屈んで、至近距離で見つめ合った。

「ナナシ」

……ああ、名前を呼ばれるだけで、こんなにも幸せになれる。

繋いでいない方の手を彼の頬に添えて涙を拭うと、彼は苦しそうに口角を歪めて。

「おまえと、生きたい……」

掠れた声で心を教えてくれた。

そのまま真っ白な世界に溶けながら、わたしたちは触れるだけのキスをした。

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