47奇跡
目を合わせる。肖像画と。
「お会いできて光栄じゃ」
「……こちらこそ…………」
動いたり喋ったりするのは知っていれど、名前を知る人と会話するのは初めてのことだった。しかもこの人は亡くなっている筈だ。なんとも不思議な体験に驚かずにはいられない。
「アルバス・ダンブルドアという者です。ミス、お名前でお呼びしても?」
小さな声で「はい」と返す。更にその姿に既視感を感じて見つめてしまうと、絵の中のダンブルドアはにっこりと笑った。
「わしの顔に見覚えがあるかね?」
「すみません……おそらく本だと思うんですけど」
「なんと。ナナシ、君は魔女であったら優秀だったことじゃろう」
――魔女だったら。自分で夢見たことは何度もあるが、他人にその話をされるのは初めてで、驚いてしまう。
ダンブルドアはポッターに視線を移し、ゆっくりと頷いた。
「実は、そこが肝心なのだと思う」
話がさっぱり読めなくてポッターとダンブルドアを交互に見ると、ポッターはそんなわたしに気付いて説明を付け加えた。
「あなたが起こした出来事に関してです。あなたはリドルの死の呪いを受けても生き残った」
唾をごくんと呑み込む。自分でも気になっていたことだった。閃光が当たった場所はなんともなっていないし、身体にも異常はない。赤ちゃんも無事。死の呪いは誰も殺めることがなかったが、ヴォルデモートが魔法を失敗するとは思えない。
「わしはセブルス・スネイプが知っていたことと、そこにいるハリーが知っていることを聞いておる。セブルスからは還霊箱のことを聞き、ハリーからは君の行動を聞いた。さて、ここから先はわしの予想じゃが――」
「ナナシ。君はヴォルデモート卿――トム・リドルの魔力を我が物としているのだと思う」
驚きすぎて、暫く言葉が出なかった。
ヴォルデモート様の魔力が、わたしのものになってる?
確か、還霊箱に彼の魔力が宿っていた……そのことだろうか。しかしそれが生き残ったことに関係しているとして、呪いを受けたときには還霊箱は力を失っている。
すると、ダンブルドアはわたしの頭の中を読み取ったかのように口を開いた。
「還霊箱を失っても根付くほど、君に馴染んでおる。感じたことはないのかの?」
そんなことあっただろうか……と考えてみて「あ」と声が出る。
「ナギニさんの……蛇の声を理解できました」
ポッターは驚いた様子で、ダンブルドアはやはりと言った顔でわたしを見た。
「トムは還霊箱を作る際、還霊箱となった者へ裏切りを禁ずる機能を付けた。あの者を裏切れば魔力が反発して命を奪う」
「――――しかし裏を返せば」
「トムを慕い、愛し、心を交わらせるほど……魔力はその者に馴染むのではないだろうか」
ダンブルドアの言葉に今までの出来事を思い出す。確かに、ナギニの言葉を理解することしかできなかった筈が、最近は会話ができていたような気がする。指輪のせいで眠ってしまう時間も短くなっているような。
あの日、ヴォルデモートと心を通わせてから……変わってる。
……本当に、彼の魔力がわたしのものに?
「さて。君が生き残った理由には2つの説があると、わしは思う。君はハリーから杖を奪ったと聞いたが?」
頷くと、ダンブルドアは「大胆なことじゃ」と言ってくすくす笑った。
「杖は持ち主を殺さずとも、持ち主を負かすことで忠誠心が変わることがある。トムの魔力を持つ君をニワトコの杖は魔法使いと認識しており、君がハリーから杖を奪ったことで、君がハリーを負かしたのだと思った。そして君に服従した……というのが一つの説」
あの強力な杖がわたしに服従するなんて、ますます信じがたい。衝動的にポッターの杖を奪ったことが、そんな結果に繋がるとは。
「しかし、わしはもう一つの説の方が有力だと思っておる。この説には矛盾があるからのう。ニワトコの杖は君が倒れた後、君ではなくハリーの方へ飛んでいった。君にハリーの武装解除の術が当たったからかもしれぬが……君に服従していたのなら、死の呪いはトムに撥ね返っていた筈じゃ」
「……なる、ほど……?」
そろそろ頭がこんがらがってきた。それが顔に出ていたのだろう。ダンブルドアはわたしを見て口角を上げ、間を置いた。ポッターから武装解除の術についての解説を聞き、頭の中を整理してから頷くと、ダンブルドアは再びゆっくりと話し始める。
「もう一つは……ニワトコの杖が君に協力した、という説じゃ」
「ニワトコの杖はきっと、君のことを知っておった。トムの魔力を我が物とし、トムの為なら自分の命を惜しまない"死を恐れぬ者"であると。更に持ち主のハリーも君に協力しておった」
「ゆえにニワトコの杖は、君を撃つことなく、トムを守るという君の意志を汲んだのだと思う」
「更に言うと、杖だけが理由ではないじゃろう。死の呪いを放ったトムと同じ魔力が君に宿っていたことも、幸運だったかもしれん」
「……しかし一番には、君の、あの者を守ろうとした強き愛が、自分の命に代えようとした覚悟が……そういったことを起こした。幾重もの要素が、死の呪いを打ち消したのじゃ。わしは強くそう思う」
御伽噺を聞いているような気分だった。
魔力を得た実感も無いし、死が怖くないわけではない。ただ、ヴォルデモートが生き残ることだけを考えて、がむしゃらだっただけ。自分がそんな大きなことを成したような気は全くしなかった。
「ナナシ」
ぼんやりしていると、ダンブルドアに名前を呼ばれる。ドキリとして目を合わせると、キラキラと光るブルーの瞳がわたしを優しく見つめていた。
「誰かの為に自分の命を捧げることは、大変勇気のいることじゃ」
「未だかつてどんな魔法使いも、死の呪いを"打ち消した"者はいない」
「君は"奇跡"を起こしたと言える」
ダンブルドアの真っ直ぐな賞賛に、胸の中がじんわりと暖かくなる。何も言えなくて固まったままでいると、ダンブルドアは楽しげにポッターに語りかけた。
「君以外にも"生き残った"者が現れたのう、ハリー」
「ええ。僕のアイデンティティーが無くなってしまいました」
「なんと、ハリー。実にユーモラスじゃ」
くすくすと笑い合う2人につられて微笑んでしまう。まるで仲の良いおじいさんと孫を見てるような気分だ。
やっとリラックスできてきたところで、ふと別の疑問が浮かび上がってくる。わたしはなんとなく、彼らに聞いてみることにした。
「あの……1つ質問しても良いですか?」
「わしに分かることであれば、なんなりと」
ヴォルデモートのことで気になっていた、もう1つの出来事。
「死の呪いを受けた後、白い部屋にいて……ヴォルデモート様に会いました。現実での姿ではなく、傷付いた子供のような姿の……そして、おそらく彼の過去を見ました……これは実際の出来事なのでしょうか……わたしが勝手に見た夢?」
ポッターが目を丸くし、ダンブルドアを見る。ダンブルドアは真剣な顔に戻っていた。二人共知っていることがあるようだ。
「君が見た夢であることは勿論だが、実際の出来事ではないと言い切れぬ」
「……そして君は、トムに会って、どうしたのかね?」
傷付ついて、心が凍って、たった一人で苦しんでいた、ヴォルデモート様。
助けたかった。
癒したかった。
守りたかった。
心を溶かしたかった。
愛を伝えたかった。
だから、
「……抱きしめました」
そうしているうちに意識がこちらに戻ってしまったから、彼がどうなったかは分からずじまいだけど……。
わたしの言葉にダンブルドアは目を瞠り、そして、ゆっくりと瞼を閉じた。数秒おいて、ダンブルドアの目から一筋の涙が流れ出てきて――でも不思議と驚きはなく、心が癒されるような感覚に包まれる。自分のしたことは正しかったのだと、そう思えた。
「ありがとう、ナナシ。君の愛はトムを救うじゃろう」
ダンブルドアはそのまま静かに絵に戻った。
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