41喪失

――意識を禁じられた森へ取り戻すと。

「我が君……我が君……」

ヴォルデモートを気遣わしげに呼ぶ声や、不安げな囁き声、慌ただしい足音が聞こえてきて。ぼんやりとした視界は、暗い森の木々と忙しく動く人影を捉える。

ヴォルデモート様に、何かあったの。

しかし様子を見たいのに思ったように体が動かない。そもそもヴォルデモートがどこにいるのか、自分がどうなっているのかもよく分からなかった。

すると、目の前をさらりとしたブロンドが揺れて、ベラトリックスの隣にいた女性がわたしの顔を覗き込む。

「あのお方も、あなたも、ポッターと同時に失神したのよ」

どうやらこの女性に体を支えられ、斜め上を向いてしゃがんでいるような格好になっているらしい。彼女に助けてもらいながら、わたしはゆっくりと起き上がった。

「ありがとうございます……」

なんとかお礼を伝えると、彼女は困ったような驚いたような、複雑な顔をした。

立ってみるとヴォルデモートのいる位置は分かったものの、死喰い人たちに囲まれていて姿を確認できない。

ヴォルデモート様も倒れた……?
気を失うほど……?

……それほど、ポッターとの繋がりが深かったんだ。

先程のポッターとの会話が幻想ではないことが分かる。分霊箱の喪失だけではなく、魂と魂の繋がりが切れた衝撃は今までのものとは違ったのだろう。

「我が君……」
「もうよい」

ヴォルデモートの言葉に周りにいた死喰い人たちが一斉に後退し、わたしはピンと体を張った。近くに残ったのはベラトリックス、そして2〜3歩離れたところにわたしと、支えてくれたこの女性がいるだけだ。

失神の影響か、ヴォルデモートは少し危なげに揺れながら体を起こす。

「我が君、どうか私めに――」
「俺様に手助けは要らぬ」

冷たく断られ、ベラトリックスは差し出した手をそろりと引っ込めた。

「あいつは……死んだか?」

しいんと、皆が呼吸さえ止めているかのように静まり返る。こんなに離れていては確かなことは分からないのに、誰もがポッターが身動ぎはしないかと目を凝らし、音を立てはしないかと耳を澄ませていた。

「おまえ」

ヴォルデモートは振り返り、わたしの隣に立っていた女性を見つけると、杖を振る。バーンと音を立ててわたしから突き放され、彼女は小さな悲鳴を上げてよろめいた。

ヴォルデモートは大股でこちらに近付き、わたしを手繰り寄せながら、彼女に指示を出す。

「あいつを調べろ。死んでいるかどうか、俺様に知らせるのだ」

片腕で力強く抱き寄せられて、胸が上下するほどヴォルデモートの呼吸が乱れていることを知る。彼の指が肩に食い込んで、少し痛いほどだった。

女性はポッターに近付くと、頬に触れ、瞼をめくり、服に手を入れ心音を確かめる。更に顔を近くまで寄せて呼吸に耳を澄ませ、丁寧に調べ上げた。

「死んでいます!」

ドッと死喰い人たちが歓声を上げ、足を踏み鳴らした。無数の閃光が空に打ち上げられ、明るみ始めた群青色の空に花火のような光が舞う。

「わかったか? ハリー・ポッターは、俺様の手にかかって死んだ。もはや生ある者で、俺様を脅かす者は一人もいない! よく見るのだ! クルーシオ! 苦しめ!」

ポッターの体が宙に持ち上がり、地面に打ち付けられ……それが何度か繰り返された。ヴォルデモートの荒々しい杖腕の動きに、肩を抱かれているといえどわたしはバランスを崩しそうになり、彼の衣服にしがみつく。

「さあ」

「城へ行くのだ。そして、やつらの英雄がどんなざまになったかを、見せつけてやるのだ。死体を誰に引きずらせてくれよう? いや――待て――」

ヴォルデモートが杖を振る。すると捉えていたらしい大男の足の拘束が解けた。大男はヴォルデモートの杖の動きに引き摺られるように不自然な動きでポッターに近付く。死喰い人たちから笑いが湧き起こった。どうやらポッターの仲間のようで、その顔が涙でぐちゃぐちゃだった。

「貴様が運ぶのだ。貴様の腕の中なら、いやでもよく見えるというものだ。そうではないか? ハグリッド、貴様のかわいい友人を拾え。メガネもだ――メガネも掛けさせろ――やつだとわかるようにな」

死喰い人の1人が乱雑にポッターへメガネを戻したが、対照的に大男はとても優しくポッターを抱き上げる。その腕は震えていて、大きな体がとても頼りなく見えた。

その光景に胸が引き裂かれるのと同時に、でもわたしはこのときを望んでいた筈だと自分に言い聞かせる。

ポッターの脅威が去り、ヴォルデモートの危険因子が無くなり、ヴォルデモートが生き続ける世界。

この痛みを耐え抜けば――彼の傍に居られる。

目を逸らさない。越えてみせる。
ポッターの死を心に刻むように、わたしは悲しむ大男を見つめ続けた。

ヴォルデモートがナギニの保護空間へ杖を振ると、星空のような空間が弾け、中からナギニが出てきて彼の肩に乗る。

「行け」

命じられ、大男はよろよろと歩き出した。ヴォルデモートとわたしが続き、その後ろを死喰い人たちが続く。勝利で舞い上がった死喰い人たちの声を背中で聞きながら、森の暗闇を歩いているうちに、段々と気持ちが落ち着いてきた。

――終わったんだ。

また、いつも通りの日々が帰ってくる。あの部屋に帰ることができる。二人の時間を過ごすことができる。

帰ったら、言ってみよう。
赤ちゃんができたかもしれないこと……。

今は話したくても巨人の足音が大きすぎて話せる状況ではない。それでもそっと、ヴォルデモートと絡めている腕に力を籠めると、彼の細長い指に何度か髪を梳かれた。顔を上げると目が合い、彼の口角が上がる。それだけで、こんなにも甘い感覚が駆け抜ける。

段々と暗闇が薄れてきたことに、森の出口が近付いてきたことが分かった。

「ベイン!」

突然、大男が大声を上げて、心がまた乱される。

大男の目線の先には――信じられない――人間の胴体を持ちながら下半身は馬になっている――ケンタウルスの群れが居た。大男はケンタウルスを責める言葉を投げるが、涙に咽て何も言えなくなる。
何人かのケンタウルスと目が合ったような気がして、わたしはさっと目を逸らした。

「止まれ」

森が終わり校庭を見渡せるところまで来ると、ヴォルデモートは大男を止め、追い越した。そして喉に杖を当てる。

《ハリー・ポッターは死んだ。おまえたちが、やつのために命を投げ出しているときに、やつは、自分だけ助かろうとして、逃げ出すところを殺された。おまえたちの英雄が死んだことの証に、死骸を持ってきてやったぞ》

《勝負はついた。おまえたちは戦士の半分を失った。俺様の死喰い人たちの前に、おまえたちは多勢に無勢だ。『生き残った男の子』は完全に敗北した。もはや、戦いはやめなければならぬ。抵抗を続ける者は、男も、女も、子どもも虐殺されよう。その家族も同様だ。城を棄てよ。俺様の前にひざまずけ。さすれば命だけは助けてやろう。おまえたちの家族は生きることができ、許される。そしておまえたちは、我々が共に作り上げる、新しい世界に参加するのだ》

静寂が訪れた。敵も味方も、一人も漏れることなくヴォルデモートの声を聞いたことだろう。

「来い」

ヴォルデモートとわたしが先頭に立ち、城へと歩み出す。城がだんだんと近付いてくると、ぽつりぽつり、そしてぞろぞろと玄関扉から人が出てくるのが見えた。

「止まれ」

死喰い人たちが歩みを止め、横一列に広がっていく。その前にポッターの死を知らしめるために大男が立たされ、更にその前にヴォルデモートが立つ。ヴォルデモートの肩からナギニが下りて、城から出てきた者たちを威嚇するように鎌首をもたげた。わたしはというと、ヴォルデモートが組む腕を緩め、後ろに隠すようにわたしを後ろ手で押したので、大男の斜め後ろまで下がった。

「ああぁぁっ!」
「そんな!」
「ハリー! ハリー!」

何人かの悲痛な叫びが響き渡り、それが引き金となってポッターの仲間たちが次々に声を上げる。

「黙れ!」

ヴォルデモートが杖を振ると、閃光が弾け、全員が沈黙させられた。

「終わったのだ! ハグリッド、そいつを俺様の足元に下ろせ。そこが、そいつにふさわしい場所だ!」

大男がゆっくりとポッターを地面に下ろした。死んだ彼を見せつけるように、ヴォルデモートがその脇を歩く。

「わかったか? ハリー・ポッターは死んだ! わかっただろう? こいつは何者でもなかった。他の者たちの犠牲に頼った小僧にすぎなかった!」
「ハリーはおまえを破った!」

はっとした。マルフォイの屋敷でポッターといた赤毛の青年だった。彼の大声で再び叫び声が上がるが、ヴォルデモートが黙らせる。

「こやつは、こっそりと抜け出そうとするところを殺された。自分だけが助かろうとして――」

――そのとき、別の青年がヴォルデモートに攻撃を仕掛けた。わたしは心臓が止まりそうになるが、ヴォルデモートは容易く青年の杖を奪い地面に打ち付ける。
青年を知っていたらしいベラトリックスによると、彼はネビル・ロングボトムというらしい。ロングボトムは臆することなく、むしろ城の仲間を奮い立たせる。彼らの歓声が続くにつれ、指輪がじくじくと痛んだ。ヴォルデモートは怒っている。

ヴォルデモートが杖を振ると、城から何かが彼の手元に飛んできた。古びた帽子のようだ。

「ホグワーツ校に、組分けは要らなくなる。四つの寮もなくなる。わが高貴なる祖先であるサラザール・スリザリンの紋章、盾、そして旗があれば十分だ。そうだろう、ネビル・ロングボトム?」

ヴォルデモートがロングボトムに杖を向けると、ロングボトムの体が固まり帽子が被せられる。

「ネビルがいまここで、愚かにも俺様に逆らい続けるとどうなるかを、見せてくれるわ」

ヴォルデモートが軽く杖を振ると、途端に帽子が燃え上がる。悲鳴が響き、心臓を貫く。どうしても人の悲鳴は恐ろしてならない。

――そのとき、一度に沢山のことが起きた。

校庭から何百とも思われる人々が押し寄せてくるような地響きと雄叫びが聞こえてきて。それと同時に、1人の巨人が城の側面から叫びながら現れた。すぐにヴォルデモート側の巨人たちが吠え、現れた巨人に突っ込んでいく。その拍子に足元が揺らめき、わたしは地面に膝をついた。すると真横に矢が降ってきて、肩を縮こませる。見れば、死喰い人の上にパラパラと小雨のように矢が降り注ぎ、彼らは叫びながら隊列を乱していた。更に馬の蹄の音が近付いてくるのが聞こえる――ケンタウロスだ。

こんなにも乱れた状況だというのに、わたしは術を解き自由になったロングボトムを見つけて、目が離せなくなった。

どの様な仕組みか分からないが、帽子から剣を取り出したのだ。

そこからは流れるような時間だった。

様々な音に呑まれて剣の音は聞こえない。けれど確かにロングボトムは剣を振り下ろし――ナギニの首を切り落とした。首は空中高く舞い、胴体はドサリとヴォルデモートの足元に落ちる。ヴォルデモートが怒りの咆哮を上げた。

「ナギニさん……! ――っっ」

途端。
指輪が焼けるように痛み、わたしは地に伏せるようにその痛みに耐える。今までは内側が脈打つような痛みだったのに、外側の皮膚が焦げるような痛みだ。
なんとか頭を上げて左手を見れば、黒い入れ墨のようだった幾何学模様が色を失い、赤い火傷のように盛り上がり始めていた。

それを見た瞬間、悟る。

ヴォルデモートはナギニに強固な守りを施していた。そしてポッターは、残された分霊箱はあと1つだと言っていた。

『いえ……しかし、あと1つです。全て壊したら……ヴォルデモートは不死ではなくなる』

ナギニさんが、ヴォルデモート様の最後の分霊箱だった?
ヴォルデモート様は、不死ではなくなった?

『分霊箱が無くなり、ヴォルデモートが不死でなくなれば、還霊箱は役割を果たさなくなる』

わたしは、還霊箱ではなくなった――――?

「ナナシ!! 上だ!!」

誰かに指示されて反射的に顔を上げる。すると、1本の矢がわたしに目掛けて真っ直ぐに降ってくるところだった。直感的に、このままだと自分に命中するということがわかる。

しかしわたしは、ナギニを殺されたことと、還霊箱でなくなったことによる喪失感で……その場から全く動けなかった――。

[ 41/57 ]

[] []
[目次]
[しおり]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -