40奇縁
ポッターの登場に、巨人が吠え、死喰い人が立ち上がり、喧騒が湧き起こる。しかしヴォルデモートとポッターは向かい合い、互いに見つめ合ったままだ。
「ポッター……」
本当に、来た。
仲間を死なせないために、たった1人で、ここに。
「ハリー・ポッター」
ヴォルデモートが小首を傾げて、囁く。
「生き残った男の子」
誰もが次の瞬間を待っていた。
ヴォルデモートはこの先を知りたくて堪らないといったように小首を傾げたまま、杖を上げる。
「アバダ ケダブラ!」
緑の閃光に目が眩んで――。
――わたしはまたも、幻想の中に引き込まれた。
しかし、今回は今までと様子が違う。映画のワンシーンを見ているような、けれど四角く区切られたスクリーンを覗いているわけではなく、そのシーンの中に入り込んで、少し上から覗いているような感覚だった。
ぼやけた声と視界が次第にはっきりとしてくる――。
『ハリーだけは! お願い……助けて……許して……』
『どけ! アバダ ケダブラ!』
女の人は悲鳴を上げて床に倒れた。殺したのはヴォルデモートだった。今度はベビーベッドの中の赤ちゃんに杖を向けている。彼が再度死の呪いを唱えると、緑の閃光が子供部屋を充たし、ヴォルデモートの姿を呑み込んでいった――――。
そのまま、わたしも光に視界を奪われ、眩しさに目を瞑る。
今のシーンは、何?
ハリーって……もしかして……。
「あの……えっと、ナナシ……?」
名前を呼ばれて目を開けると。
真っ白な世界の中で。
ポッターとわたしが、向かい合って立っていた。
「ポッター……??」
「はい」
「……え、どうして、」
「僕も、混乱した……けど」
怯えるわたしを宥めるように両手を揺らして、ポッターが続ける。
「……多分。あなたが還霊箱で、僕が分霊箱だからだ」
彼の発言に更に動揺し、両手を握り合わせた。
どうして、ポッターが還霊箱のことを。
それに……何? ぶんれいばこ?
何も返さないわたしに、ポッターは説明を付け足す。
「……えっと。さっきのヴォルデモートの呪いで、僕は死んだのだと思います。でも僕はヴォルデモートの分霊箱でもあった。僕が死ぬと同時に分霊箱が破壊され、還霊箱のあなたのところに還ったヴォルデモートの魂と一緒に、僕もあなたのところに来たんじゃないか、と……」
さっぱり理解ができない。
――というのが顔に出ていたらしい。
「あの――ごめんなさい。説明が下手で」
申し訳なさそうに謝るポッターに、わたしは慌てた。
「、違います。えっと、分霊箱って……?」
「あっ、そうか――」
ポッターは頭を掻いて、解説してくれる。
敵ではあるものの危害を加えるつもりはないということがお互い感覚的に分かっているようで、不思議と肩の力が抜けていった。
「ヴォルデモートは自分の魂を引き裂いて、魂の断片をいくつもの器に保存した――その器が分霊箱です。分霊箱を作れば肉体が滅んでも魂はこの世に結びつけることができる……不死になるんです」
ポッターの解説と、あの日のヴォルデモートの言葉が重なる。
『俺様はかつて死の呪いをこの身に受け、肉体を失ったが、生きていた。不死の道に入り込んでいたからだ』
分霊箱がはたらいたからだったんだ……。
「あなた――還霊箱は、ヴォルデモートが肉体を失ったときに本体の魂が還る場所となる為に作られたのでしょう。しかし、分霊箱が壊されたときもその機能がはたらき、分霊箱に入っていた魂の断片があなたに還っているんじゃないでしょうか……だから分霊箱だった僕とあなたが会っている」
1つ1つ、パズルのピースが埋まっていくようだった。
「……もしかして……カップやロケットや、髪飾り……」
「そうです。やはり、感じ取っていたんですね」
あの夢や幻想は、分霊箱の中の魂が還霊箱であるわたしの元に還ってきていたから。若い姿だったのはきっと、分霊箱を作ったときの魂だったのだろう。
ずっと分からなかった、わたしの指輪とポッターの傷痕が呼応した理由は……還霊箱と分霊箱という繋がりがあったからだったのだ。
そこで疑問が浮かんでくる。
「敵である筈のあなたが、どうしてヴォルデモート様の分霊箱に……?」
ポッターは目を細め、額の傷痕を撫でた。
「……ヴォルデモートは僕の両親を殺し、僕も殺そうとした。これは、そのときできた傷です」
稲妻型の傷痕が彼の指の合間から見える。
「殺人を犯すと、魂が傷付き、引き裂かれる。そのとき引き裂かれたヴォルデモートの魂が、生き残った僕に付いたのだと思います。あいつは気づいてなかったみたいだけど……」
――やはり、さっきの映像の赤ちゃんはハリー・ポッターだったのだ。わたしがそのシーンを見たということは、ポッターの推察は当たっているのだろう。
……だから、なのだろうか。
ポッターが死ぬことを恐ろしく感じたのは。
「魂を引き裂く……」
「殺人は、とても邪悪な行為なんです。魂を引き裂く程の。ヴォルデモートは何度も魂を引き裂いた結果、あんな姿になった」
……だから。
ヴォルデモート様が殺人を犯すことを、わたしの心は否定したのだろうか。
勿論、殺人という行為自体が恐ろしかったというのもある。しかしそれ以上に悲しくて、苦しかった。他人を傷付けているのに彼自身が擦り減っていくような感覚。もしかしたら、還霊箱が魂の軋みを感じ取ったのかもしれない。
ま、って……。
分霊箱の魂がわたしに還ってきたということは……。
「……あなたは分霊箱を壊していたの……?」
ポッターは一瞬躊躇した素振りを見せたが、しっかりと頷いた。
戦慄が身体を駆け抜ける。
「ぜ、全部壊したの? ――そうしたら、どうなるの」
「いえ……しかし、あと1つです。全て壊したら……ヴォルデモートは不死ではなくなる」
胸に穴が空いたかのような喪失感に襲われて。パニックになりそうだった。今まで憂いていたことが現実になってしまった。
ヴォルデモート様と居れなくなる日が来たら?
どうしようどうしようどうしようどうしよう、頭が不安で埋め尽くされて、恐怖で心がぐちゃぐちゃだ。
わたしにできること、と考えて、1つの希望が導き出される。
「でも、わたしが生きていれば……分霊箱が無くなったって……」
わたしの台詞に、ポッターは遠慮がちに口を開いた。
「……これはダンブルドアの、ええと、ホグワーツの校長だった人で、優れた魔法使いの見解ですが――分霊箱が無くなり、ヴォルデモートが不死でなくなれば、還霊箱は役割を果たさなくなる」
「ヴォルデモートの魂は、おそらくあなたに還らない」
そのときを、想像して。
頭が真っ白になって、手足の中が空洞になったかのように力が入らなくなって。
でも胸の辺りは鉛を詰め込まれたかのように、呼吸さえも苦しかった。
――なんてことしてくれたの。
ポッターに掴みかかろうとして、でも、できなくて、手が宙を泳いだ。
責めたいのに、できなかった。
……彼は死んでいる。
こんなに若いのに、命を賭して闘って、両親のみならず自分までも殺されて。
わたしがヴォルデモートに生きて欲しいように、彼はヴォルデモートを倒したいのだ。
「ナナシ」
ポッターの緑の瞳に射抜かれて、呼吸が一寸止まる。
全く違う色なのに、ヴォルデモートの瞳に見つめられる感覚を思い出す。
「あなたとヴォルデモートは、どういう関係なんですか?」
どきりとした。
自分でもときどき考えて、答えが出ずに悩んでいたことだった。きっとしもべなのだろうけど、そう思われていないことを願っている自分がいる。なのに恋人と言うのはおこがましい。
「あなたは……マグルですよね。ヴォルデモートがマグルを傍に置くなんて……」
とても信じられない、と言いたげにポッターはわたしを見つめる。
「……魔法使いの方々は基本的にマグルを傷付けないんですよね? なので、マグルを襲う死喰い人が守るマグルは魔法界で最も安全なのではないかと思われて……還霊箱として傍に置いたのかと」
正確には違うと言ってもらえたけど、それを言うと自惚れているようなので、無難な答えを伝える。
するとポッターは眉を寄せた。
「……どうして、あなたを利用する奴の傍にいるの? あなたはあの日、マルフォイの屋敷から逃げ果せたのに、ドビーと屋敷に戻った。ヴォルデモートは史上最悪の闇の魔法使いだ。たくさんの人を殺してきた。……あなたも、しもべとして酷い扱いを受けたのではないのですか? 恐怖で縛られているなら、勇気を出すべきだ」
その答えは簡単だった。
恐怖で縛られているなら、という言葉を否定する為に、首を横に振る。
「……すきなんです」
「へ?」
「死んでもいいくらい」
目を丸くして驚くポッターが幼く見えて微笑んでしまうと、彼は少しだけ顔を赤らめ、困ったような表情を見せた。
「えっと……恋人なの……?」
「……そんな風に言ってもらえたことはありません」
わたしはヴォルデモート様にとって、何なのだろう。
わたしとヴォルデモート様を繋ぐものは何だろう。
「でも……」
指輪より先に、自然と、お腹に手を当てた。
「もしかしたら……赤ちゃんができたかもしれないの」
ヴォルデモートにも言えていないのに、何故ポッターに言えたのか、よくわからない。
先程よりも目を真ん丸にして、わたしの顔とお腹を交互に見つめたポッターは、なんだか可愛かった。
彼がただの青年なのだということを知る。
ポッターが何か言おうと口を開いて――突然。
彼の姿が光に呑まれ、薄くなり始めた。
「あ、」
思わず手を伸ばしても、掴むことはできなかった。
時間が……死の世界に向かうときが、来たのだろうか。
「あなたは勇敢でした」
彼が死ぬと分かっているからかもしれない。
分霊箱を壊していたことへの怒りを抑え込むことができ、自然と口に出たのは称賛の言葉だった。
ポッターは複雑な顔をして、何を伝えるか言いあぐねている。
しかし最後には口角を上げて。
「ありがとう。あと……おめでとう」
そう言い残し、光の中へ消えていった。
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