36決意

夢に出てくる若い頃のヴォルデモート様。
1度目はロケット、2度目はカップと、何かしら変わったものを持っていて。

……最後はお別れになってしまう。

何故、彼はいなくなってしまうんだろう。
何故、わたしに会いに来るんだろう。

「ヴォルデモート様……」

哀しみに包まれながら、ゆっくりとまどろみから抜け出すと。いつもの、現在の彼がこちらを覗き込んでいた。目を合わせると、彼の手が労わるように頬を撫でてくれる。その柔らかで微かだけど確かな感触が、ここは現実なのだと、夢ではないのだと教えてくれる。

切ない苦しみに充たされていた胸中は、じわじわと安心感に癒されていった。
彼はここにいる。いなくなってなんかいない。

撫でられていることが心地良くうっとりとしていると、ヴォルデモートが口を開く。

「無理をさせたな」

一瞬何のことか分からず、まばたきを2、3度繰り返して。
ハッとして、首を横に降った。

わたしはただ眠っていたわけではない……おそらく倒れたのだ。

懸命に記憶を辿ると、ヴォルデモートと屋敷から移動して田舎の石小屋に入ったことが思い出される。そこに隠されていた箱には何も入っていなくて。彼の怒りに指輪が呼応するように痛み、そこから先が分からない。きっとそこで意識を失ったのだろう。

暗くてよく分からなかったが、そういえばこの部屋は全く見覚えがない。石小屋でもなさそうだ。廃屋の一室といったかんじで、窓という窓に板が打ち付けてあり、無事な窓は1つだけだった。壁紙や床板はところどころ剥がれていて、古びた匂いがする。しかしわたしが寝ているベッドは異様に綺麗だ。少し離れたところで星空のような球体の中にナギニが蠢いているのが見えた。

ヴォルデモートは何かを確認しなければならなかった。急かすのも無理はない。待ちぼうけでなく、一緒に連れていってもらえたことが嬉しかったのに。それなのに、わたしは倒れてしまって、どこかの部屋に運んでもらって、傍にいてもらって。

……きっとまた足を引っ張ってしまった。

胸がぎゅうっと締め付けられるように痛む。

「わたしよりも、」

大丈夫だったんですか? と投げかけてしまいそうになったのを、口を紡いで止めた。
箱の中身は空だったのだ。大丈夫なわけがない。

しかし途中で言葉が仕舞われたとしても、ヴォルデモートはわたしが言いたかったことを見抜いた。

「ポッターが俺様のものに盗みをはたらいた」
「! ポッター……」
「奴から取り返さねばならない」

そう言って、彼はたった1つ外を覗ける窓を見る。ここから景色はよく見えないが、窓から差し込む光は淡い強弱を繰り返し、叫びや爆発のような音がくぐもりながらもこちらまで聞こえてきていた。

外で何かが――争いが起きているのだと、察してしまう。

ポッターと戦っている? こんなに、急に?

……それほど大切なものだったんだ。
そうだ、あんなにも彼は怒っていた。指輪は気を失うほどの痛みを与えてきた。おそらくだが、最近指輪が疼いたり痛んだりするのはヴォルデモートの感情に寄るものなのだと思う。

何を盗まれたんだろう?
ポッターは何故それに手を出したの?

――不思議と、先程の夢が蘇ってくる。

若い頃のヴォルデモートが手に持っていたもの。
彼と共に消えていったもの、それは……。

「カップ……」

ぽつりと呟いて。

息が詰まりそうになった。

――ヴォルデモートが纏う空気が変わったのだ。

「ナナシ」

名前を呼ばれて窓から目を離し、ヴォルデモートの方を見る。彼は食い入るようにこちらを見つめていた。
しかし責めるような顔ではなく、驚いているような、何かを知りたがっているようなもの。怖くはない。

本当に、あの、金のカップだったのだろうか。
夢で見た、あの。

「何を知っている?」

激しく問い質したい欲望を堪えたような声色。乱暴にしない彼に応えたくて、寝かせていた体を起こし、彼と向き合う。

「さっき、夢に見たんです」
「……夢……どんなものだ?」
「お若いときのヴォルデモート様が金色のカップを持っていて。でも、それは割れてて……カップと一緒に、ヴォルデモート様が消えてしまったんです」

言い終えた瞬間、指輪がじくんと痛んだ。それは、この夢の内容が良くないことであると知るには充分すぎる痛み。

自分がそんな夢を見たことが、そんな不思議なことが起きたことが怖くて、何よりも彼にとってよくないことが起きたことが怖くて、鼓動が早まっていく。

「そのような夢を見たのは初めてか?」
「あ、えっと、前に1度。同じヴォルデモート様が首に」
「ロケットか。Sと装飾された」
「……はい」

……今度はわたしが言う前に。
夢が意味のあるものだということが現実味を帯びてくる。

「他に言っていないことは無いな?」

縦に1度頷いたあと。

遅れて、生理が来ていないことが頭をよぎった。
でも今は伝えるべきではないだろう。ヴォルデモートに大きな懸念がある以上、自分の悩みを相談するのは筋違いのような気がした。

険しい顔で何かを考え始めるヴォルデモートと、じくじくと鼓動の様に律動的な痛みを奏でる指輪。

ただ痛みに耐えていると。
ふと、ざわざわと胸の奥が騒ぎ出す。

どこかで何かが起きたような。
何かが迫っているような。

虫の知らせのようなこのざわめきは次第に強さを増していき、体が金縛りのように動かなくなる。

「!」

突然。
視界が真っ白になり、夢の中にいるような感覚に陥った。

――目の前にヴォルデモートが立っている。

しかしさっき夢に見た姿とも現在の姿とも違う。ハンサムだった顔が奇妙に歪んでいて、蝋人形の様で。黒いローブと蒼白い肌が対照的だった。魂を傷つけて、段々と現在の蛇のような容姿に近付いたのかもしれない。

彼は苦しそうに顔を歪めて、その場で膝をついた。その両手は液体を掬うように重ねられていて、黒く煤けた何かが乗っていた。

ティアラのような……大きな鳥が羽を広げたような形の、髪飾り。

髪飾りから黒い血のようなものが流れ出てきていて、彼の手から零れ落ちていく。それが無性に嫌で、彼の手を下から支えるように自分の手を添えた。近くに来てみて、それが真っ二つに割れていることがわかった。

髪飾りの上に何かが降りかかってきて、驚いて顔を上げると、ヴォルデモートの口から黒い血が溢れていた。

慌てて片方の手を伸ばして拭おうとしても、彼は激しく咳き込んで、血は止まることを知らない。ついには体の力が抜けてわたしの方へ倒れ込む彼をなんとか受け止めて、背中に手を回す。広げた自分の掌はべっとりと黒い血に染まっていた。

ああ、またお別れになってしまう。

どうすれば助けることができるの?
どうして見てることしかできないの?

彼を助けたい――――!

――突然、現実に引き戻される。

心臓が激しく胸を打ち付け、早鐘のようなそれに呼吸がうまく追い付かず、乱れを抑えることが難しい。視界の輪郭がぼやけていることで自分が泣いてしまっていることに気づいた。

今のは何だろう。
周囲は何も変わっていない。古びた暗い部屋。くぐもった争いの音。横にはヴォルデモートが座っていて、少し離れたところでナギニが蠢いている。今回は睡眠のときに見るような夢ではなく、一時的に意識を持っていかれたということだ。

それなら幻覚とでもいうのだろうか……これは何故わたしの身に起きるのだろう。

「ナナシ」

傾いてしまった体を支えるようにわたしの肩に手を添えて、ヴォルデモートがこちらを覗いている。しかしその手には力が入っておらず、彼の呼吸も荒い。

「何を見た?」

ヴォルデモートはもう、わたしに何が起きているか、それが何を意味しているのかを察しているのかもしれない。

「髪飾り、が……」

声を押し殺した怒りの溜め息。もう左手の薬指は感覚が無いほどだった。
痛みと、得体の知れない幻覚による哀しみと、眉間に皺を寄せ激情を抑え込む彼の姿が、わたしの頭を、心臓を、無茶苦茶に掻き回す。

堪らなくなってヴォルデモートの手を両手で包み込んで、ぎゅうっと握った。触れたかった。彼を一人にしたくなかった。一人になりたくなかった。触れることで少しでもお互いの乱れを和らげることができれば。

ヴォルデモートは暫くわたしの手の中で拳をぎりぎりと握り締めていたが、ふと力が抜けて、わたしの手を掴む。そのままゆっくりと引かれて、上半身が傾き、彼の胸に寄り添うようなかたちになった。

きゅっと彼の衣服を乱れない程度に掴むと背中に手が回ってきて、更に引き寄せられる。耳が彼の胸にぴったりとくっついて、その心臓の音に鼓膜が震えた。
それが、いつもよりも弱々しいような気がして。
呼吸が荒いせいで上下に揺れる彼の体が、細く頼りないような気がして。
守られているくせに、守りたいと思ってしまう。

……しがらみを全部捨てて、誰にも邪魔されず、ただ2人で過ごすことができればどんなにいいだろう。

でもそれは、ヴォルデモートの、闇の帝王の生き方ではない……。

今は寄り添えていることに感謝しよう、と目を閉じたところで――。

コンコンコン、と乾いた音が部屋に響き渡った。

少し体を離して、扉の方に目を向ける。間が悪いことにノックされたようだ。

「我が君……」

扉の向こう側から聞こえてきた声は酷く嗄れていて、わたしには誰なのかが判別できない。しかしヴォルデモートは分かったようだ。眉間に皺を寄せつつ、そっとわたしから離れて部屋の真ん中に立つ。

「入れ」

許しを貰い、遠慮がちに迷っているような動きで扉が開かれる。顔を軽く俯かせ、窺うような目つきで中に入って来たのは――ルシウス・マルフォイだった。

彼に会うのは尋問されたとき以来だ。変わり果てたその痛々しい姿に息を呑む。無精髭が目立ち、綺麗なブロンドの長髪は乱れ、片方の目は腫れ上がっていて開けていない。

「我が君……お話したいことが……その、ご提案がございまして、」
「先に考えたいことがある。少し黙って座っていろ」

ヴォルデモートの指示に従い、ルシウスは部屋の片隅に腰掛ける。そこで目が合ったが、軽いお辞儀をされたようなかたちで視線を逸らされてしまった。

ヴォルデモートは杖を取り出し、それを眺めながら考えを巡らせ始める。わたしもわたしで、いつの間にか指輪の痛みが引いていたことと、ルシウスという第三者が来たことで、冷静を取り戻すことができた。

ヴォルデモートの様子から、わたしが見た夢や幻覚に出てきたものを、ポッターが盗んでいる。そしておそらく壊してる。それはどうして?

……そんなの、1つしか思い浮かばない。

ポッターは選ばれし者。
ヴォルデモートを倒すことのできるただ一人の者。

浮き彫りになっていく、ような。
不死である筈の彼の命が、ポッターによって。

…………嫌……!!

――考えなきゃ。夢や幻覚は十中八九指輪の力に寄るものだろう。指輪は還霊箱。魂が還るところ。魂が還ってる……? でもヴォルデモート様は無事にここにいるし、そもそも若いときの姿ばかりなのはどうして……?

思考が堂々巡りしてきた、そのとき。

鉛の様に重苦しい沈黙の中に、くぐもってはいるが一際大きな爆発音が外から聞こえてきた。それにルシウスは過敏に反応した。

「我が君」

縋るような声に、ヴォルデモートはやっとルシウスの方を向く。

「我が君……どうか……私の息子は……」

どうやらルシウスはドラコの安否を確かめるため、ヴォルデモートに停戦を願っているようだ。ヴォルデモートが城に行きポッターを探した方が早いのでは、と提案する。その話の内容から、戦場はあのホグワーツ城なのだと悟った。
ドラコは戦いの中にいるらしい。ドラコの涙とルシウスの悲痛な声が重なって、胸がキシリと痛む。

しかし、ヴォルデモートは停戦しポッターを探すつもりは無かった。

……ポッターが自分を探し出すと読んでいる。

ルシウスとの会話の最後に、ヴォルデモートはスネイプという人物を連れてくるよう命じた。怯えた様子のままルシウスは部屋を出て行く。

「それしかない、ナナシ」

ルシウスを目で追っていると名前を呼ばれ、ヴォルデモートの方へ視線を移した。

彼は意志を固めたような表情をしている。何を決めたのか、その先を聞くのが何故か怖い。

「以前、この杖が手に馴染まぬと話したな」

無言で頷くと、ヴォルデモートは話を続ける。

「それは俺様が真の持ち主ではないからだ。この杖は最後の持ち主を殺した魔法使いに所属する。俺様が手に入れる前に、最後の持ち主を殺した者がいる。その者が生きている限り、この杖は俺様のものにはならない」

その説明で、杖について知識が殆ど無いようなわたしでも、ヴォルデモートが言わんとしていること、今から何をしようとしているのかを察した。

「……殺すんですね」
「お前も知っている者だ。スネイプは、セブルスの姓だ」

あの、人。
暗い闇のような瞳でわたしを訝って、でも優しさを一欠けら見せてくれた。

……あの人を、ヴォルデモート様が殺す。

「一時眠っていろ」

杖を向けられて、どうしてか寂しくなった。

彼はわたしに殺人を見せないつもりだ。

泣いたから? 弱いから? 他人の死を怖がったから?

……でも。

「ここに居ても……?」

遠くから地響きのような音が聞こえてきて。
窓から差し込む光がヴォルデモートの姿を浮かび上がらせる。

「……見せたくはない」

でも。

「傍に居たい、です」

ヴォルデモートの傍で生きるなら、わたしは乗り越えなければいけない。

彼以外の命は捨て置き、屍の上で生きる覚悟を決めなければならない。

そのときが来たのだと思う。

ヴォルデモートはわたしの瞳から目を逸らさずに、杖を下げることなく、部屋の中央からゆっくりとこちらに近付いてくる。
ついに目の前に来ても、暫く見つめてくるままで。揺るぎない気持ちを伝えるように口角を上げるだけの微笑みを向けると、彼は赤い瞳を隠すように瞼を閉じた。

――1つ溜め息を吐いて。

再び目を開けると同時に、杖を下ろしていく。

わたしは自分を彼の背へ近付けるようにベッドの上に膝で立った。

どちらからともなく距離を溶かして。

お互いの唇が少し沈む、触れるだけのもの。

それは、心が通ったあの夜を連想させた。

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