35愁事
目の前に1人の青年が立っている。
以前も、確か指輪の魔力が回って眠ってしまったときも、夢に見た。おそらく昔のヴォルデモート様。
齢は二十代くらいだろうか。学生時代よりも少し痩せているが、黒のスーツが白い肌を引き立たたせていて、少し長めの黒髪が耳にかかる様が色っぽい。
……彼はとても苦しそうで。心配になって近寄ると、縋るように頬に手を添えてきた。もう片方の手には金のカップを持っている。カップは割れていて、みるみるうちに黒い塵と化す。それと共に彼も姿がところどころ消えていく。
どうにか止めたくて触れようとしたそのとき、彼は完全に消失してしまった――。
「我が君。時間となりました」
ヴォルデモートと死喰い人たちは、一望できる場所からホグワーツ城を見据えていた。城を守る防衛魔法は先程よりも強固となっていることが見受けられる。
ハリー・ポッターが差し出される気配は、無い。
「残念なことよ……」
愚かで哀れな連中だ。失ってから気付く。
こんなことは無駄だった、始めからポッターを差し出せば良かったと――始めから俺様の許に身を捧げれば良かったと――。
「かかれ」
ヴォルデモートがそう呟くと、軍は一斉に攻撃を開始した。各々の杖から放たれた無数の流れ星のような攻撃魔法が、ホグワーツ城を守るバリアのような防衛魔法にひびを入れていく。その様は、残酷にも花火のような美しさだった。
――――戦いが始まった。
雄叫びを上げながら城に近付くもの、攻撃魔法に集中するもの、巨人を呼び寄せるもの……それぞれが役割を果たすために動く。
ヴォルデモートはひび割れる相手の防衛魔法と揺れる城を眺めていた。
自分の世界を変えた城……ハリー・ポッターと決着をつけ、自分の力と新しい世を知らしめる場として、なんとふさわしいことか。
城を目で愛でていると、今まで静かに眠っていたナナシが腕の中で身じろぐ。
「……ナナシ?」
目を覚ましたのかとその顔を覗くと、ナナシの目から涙が一筋伝っているのを見つけて。
――同時に、ヴォルデモートは言いようのない喪失感に襲われた。
「っ」
あまりの感覚に体が前によろめきそうになったところをなんとか踏みとどまり、もう1度ナナシを見る。
彼女も何かを感じたのだ。自分と彼女が同時に感じるもの。それはもう、還霊箱が関連しているとしか考えられなかった。ナナシは何を感じた? 何故泣いている? 何かが失われたからではないのか?
奴に盗まれた、分霊箱が――――。
「――――ああ!!!!!」
一刻も早く奴の息の根を止めなければ――!
ヴォルデモートは杖を振り上げ、いまだ破れぬ防衛魔法に攻撃魔法を浴びせた。
焦燥感、恐怖、殺意……強い激情が破壊に込められた。
先程部下たちが放った攻撃魔法の比ではない。鋭い稲妻のような閃光がホグワーツを襲った。防衛魔法のひびは稲妻が落ちた場所から全体に広がり、いまや形を保っているだけに見える。崩れ落ちるのも時間の問題だろう。
周りに居た死喰い人たちは、改めて尊敬と畏怖の念を込めてヴォルデモートを見つめた。彼の新たな杖が伝説のニワトコの杖であることを知る者は、持つべき人が持ったのだと再認識する。
しかし、先程の魔力はすべてヴォルデモートに帰属するものだった。彼には杖に寄る威力の増大は感じられなかったのだ。前のイチイの杖と何ら変わりない。
ああ、煩わしい問題が残っていた……。
――この、杖。
主人に従わぬ杖。最強の杖と謳われながら、威力を発揮しない杖。
ポッターと相見えるには不安材料だ。自分は杖の問題により何度も奴を仕損じた。ポッターの杖と兄弟杖であったイチイの杖……別の杖を使うようにとのオリバンダーの発言にルシウスの杖を用いても、駄目だった。
そうして三本目の杖を手に入れた。伝説の、死の杖。最強のニワトコの杖だ。この杖ならば奴の杖を制するだろう。
前の持ち主から奪ってやった。今の持ち主は自分の筈だ。なのに何故、この杖は自分に従わない……?
待てよ。前の、持ち主……。
……。……深く、考えねばならぬ……。
『ナギニ……お前を安全な場所へ』
ヴォルデモートはナギニを傍に呼び寄せると、根城とした叫びの屋敷へと姿くらましをした。
暗く湿ったその部屋に着くと、使えるかも怪しい石油ランプに杖を振る。なんとか火を灯したそのランプの光と、窓から時折入り込む城での戦いによる閃光にしか照らされず、部屋は相変わらず暗かった。
埃を被ったベッドと椅子を魔法で清め、ナナシをベッドに横たえさせ、自分はその横の椅子に座る。そして考えることに集中した。
杖の問題を深く深く切り込んでいく。ニワトコの杖が辿った歴史……魔法史に残された血の軌跡……杖を巡って数えきれないほどの殺人が行われてきた……真に杖の所持者となるためには、その前の持ち主から杖を奪わなければならぬ。
自分が杖を得た経緯は? 死んだダンブルドアの墓から奪った。
ダンブルドアは何故死んだ? 殺されたのだ。
誰に?
――そして、ヴォルデモートの中に1つの答えが導き出された。
次に、分霊箱へと考えが至る。
ホグワーツに隠した髪飾りは見つけられるわけがない。あの部屋は自分だけが見つけることができたのだ。あの小僧にあの部屋を見つけられる素養はない……。
その証拠に奴がこちらを探す気配はない。髪飾りを見つけたならば、あちらからやって来るだろう。ナギニと自分自身はここに居るのだから。
しかし、盗まれた分霊箱はどうなっている? 破壊されたのか? 先程の喪失感は一体何だ? ナナシは何故、泣いた?
考えを巡らせながら、ヴォルデモートは自分が過去に編み出した保護空間の創造に集中した。杖から星空のようなものがベール状に噴射され、しばらくすれば大きな球体となる。
『ナギニ。ここへ』
ナギニは長い体を持ち上げ、光る球体の中に入り込んだ。浮いている状態が面白いらしく、楽しそうに身をくねらせる。
さてナナシはどうするか、と彼女の方に体を向けて。
ヴォルデモートは吸い寄せられるように彼女に身を寄せていた。そっと、その頬に触れる。触れてしまう。先程の涙は乾いていて、頬に微かに張り付いていた。
涙の跡を親指で何度かさすってやると、ピクリと彼女の睫毛が動く。
「…………ん……」
――ああ。
起こしてしまったか……。
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