33懸念

目の前には半分以上残された食事が2組。
それを1人で見つめながら、水を含む。

夕食の途中でルシウス・マルフォイに呼ばれて、ヴォルデモートが離席してしまったのだ。特別珍しいことでもないのだが、ルシウスはとても怯えた様子で。更にルシウスに耳打ちされた後のヴォルデモートは……いつもと違った。ヴォルデモートの感情が激しく膨れ上がったのを感じて、その場に居たわたしは畏縮してしまったし、指輪が疼いたような気もした。

彼が残していった食事を見て、怖くなる。

何があったんだろう……。
良くないことなのは間違いない。

そして今度は自分が残してしまった食事を見て、もう1つの懸念で頭がいっぱいになった。

ここ何日か、食欲に波がある。それに体がなんとなく怠い。
風邪か何かだろうと最初は思っていたけど、気づいてしまったのだ。

――生理が来ていない。

ここに来てからというものカレンダーなんて見ることもなく日付感覚を失っているので定かではないが、流石にいつもより間が空いている気がする。といっても1〜2週間かそこらな気がするし、ホルモンバランスの乱れだかなんだかによる、ずれの範囲内だろうか?

もし、ただのずれじゃなかったら……。

……いや、意外と明日にでも来るかもしれない。下手に先走って困らせるのも嫌だし。まだもう少しだけ待って、様子を見るのが良さそうだ。

――それとも、一言だけでも相談しといた方がいいのかな。

なんとなくお腹をさすってみる。
この中に生命が宿っていたらと考えると、自然と鼓動が早くなった。

……ヴォルデモート様。
もし子供ができていたら、何て言うだろう?

今なら受け容れてくれる……?

……でも、わたしがマグルでしもべであることは変わらない。産むのは、血を残すなんてことは有り得ないと拒まれるだろうか。

そうなったらわたしは、どうするだろう。どうしよう。

伝えるのが怖くなって、お腹の上できゅっと手を握った。

そのとき。
指輪がギリギリと痛み始めて。

下の階から叫び声と破壊音が響いてきた。

「っ……?!」

いたい。

いたい……!

ヴォルデモートが、感情を昂らせている。
痛みと音。それだけしか与えられていないのに、わたしは感覚的にそれを理解した。

テーブルに伏せ、左手の薬指を抑えて、耐える。痛みに意識を持っていかれそうになりながらも、耳を澄ませた。叫び声は複数人のものとなり、破壊音や扉が勢いよく開け放たれる音、バタバタと慌てているような足音が聞こえてくる。

人が、物が、傷ついている。
自分の予想以上に良くないことがあったのだ。

もし、敵の襲撃だったら……?

いやだ。

誰も傷つけないで。

「ヴォルデモート様……っ」

思わず立ち上がり、扉に向かう。自らこの部屋から出ようとするのは初めてだった。しかしドアノブを掴もうとすると手が弾かれてしまう。考えてみれば当然だが、以前の部屋よりも守りが強固となっている。自由に外に出れるわけがなかった。

――ここでじっと、何もせずに、待つしかない。

やるせなくて、そのままドアの前に座り込んだ。

やはりわたしは肝心なときに何もできない。そして、それが性に合っていないのだ。

段々と、指輪の痛みに縋ってしまう。痛いということは、ヴォルデモートが感情を昂らせている――つまり、生きているという証拠のような気がした。

しかしその望みさえも失われていく。痛みが落ち着いてきてしまう。

どうして。

こわい。

ヴォルデモート様、早く戻ってきて……!

もう下から物音さえも聞こえなくなった。先程の音の嵐は嘘のように、しんと静まりかえっている。

自分だけが取り残されたような世界だ。

痛みも音も失って、不安だけが渦を巻いて。
息が詰まるような苦しさに包まれる。

「ん、」

急に吐き気に襲われて、わたしはバスルームに駆け込んだ。洗面台に掴みかかり、食べたばかりの食事を戻す。衝動が治まり、水で清めてから鏡を覗いて、少し驚いた。自分の顔がそれほどに蒼白かった。

水に触れたことで頭がスッキリして、冷静になる。
敵襲だったらこんなにすぐに治まるわけない。第一、ヴォルデモートに何かあったら魂はわたしに還ってくる筈。

待つにしても、横になっていた方がいいかもしれない。濡れたところを拭き、乱れた髪を正す。そうしているうちに荒々しい足音が聞こえてきて、部屋の扉が開け放たれた音がした。

「ナナシ! ……どこだ?」

ヴォルデモート様の、声。

……無事だったんだ。

安堵して、少し泣きそうになって。そのせいですぐに出ていけなくて。

「どこにいる!」

声を荒げた彼に、慌ててバスルームを出た。

「ここです、ヴォルデモートさ、っ」

姿を見せた途端に勢いよく歩み寄ってくるものだから驚いて足を止めると、少しでも早くといった様子で手が伸びてきて。腕を引かれて、抱き寄せられる。背の高い彼に包み込まれるようになって、彼の感触と香りをゼロ距離で感じて。さっき1人でへたり込んでいたことを思い出すと、とても心強い。

……ああ、でも……。
鼓動と息の荒さと、彼の纏う空気から、状況は良くないのだと伝わってくる。

ヴォルデモートは呼吸を落ち着かせると、わたしから体を離して杖を振った。室内履きが庭を散歩するときに履く歩きやすいパンプスに変わる。

「外に出て確認すべきことがある。お前も連れて行く。掴まれ」
「……はい……っ」

突然の展開に混乱と不安が募りながらも腕を絡めると、ヴォルデモートは部屋の外へと歩み出した。その歩調は荒々しくて、でも靴に魔法がかかっているのか不思議と難なく追いつける。屋敷に飾られた肖像画たちは殺気立ったヴォルデモートから隠れるように顔を背けたり帽子を深々と被り直したりした。

玄関ホールを通り抜け、暗い庭に出る。近くにある筈なのに噴水の音がなんだかずっと遠くに感じた。なんとなく、あそこをゆったりと歩くことは暫くできなくなるような気がした。

どこに行くんだろう……?

『ナギニ』

庭に向かって、ヴォルデモートが蛇語で呼び掛ける。

『ナギニ。俺様の元へ来い。これから行く場所へ共に向かう。離れるな』

深い茂みの暗闇から、まるで長い影が近付いてくるかのようにナギニが姿を現した。そのままナギニが傍らに寄るのに合わせて、歩み始める。

高い生垣に囲まれた馬車道を辿ると、壮大な鍛鉄の門が見えてきた。頑丈そうな黒い鉄。しかしすぐ傍まで来てもヴォルデモートは足を緩めない。このままだとぶつかってしまう。門が目と鼻の先まで来て、わたしは怖くなって目を瞑った。――けれど、足は動いたままだ。おそるおそる振り返ってみても門は閉じている。どうやら通り抜けられるようになっていたらしい。

『傍に』

その囁きに、ナギニはヴォルデモートに巻き付くように巨体を滑らせる。そして彼女の体が両肩に巻き付いたところで、ヴォルデモートはわたしを抱き上げた。いきなりのことで、でも驚いてる暇もなく、体が浮遊感に包まれて。ヴォルデモートにしがみつく。わたしたちは、風を切っていた。

――何が起こってるの。

少しだけ顔を上げて上を見ると、空しか見えなくて。下に視線を移していけば、暮れていく夕日――広がる街――建物の屋根――。

飛んで、る?

頭の中に渦巻いていた悩み事が一気に飛んでいって、感動に包まれる。

飛んでる……!

何度でも思う。魔法ってすごい。
服がばさばさとはためいて、今日はズボンを選んで正解だったとどうでもいいことを考えながら、わたしは空を飛ぶ感覚と景色を楽しんだ。

建物が少なくなり、田舎のような風景が広がってきたところで、体が下降していく。ヴォルデモートの足が地に着いて、その安定感に一息ついたところで、嫌な感覚に襲われた。

ゴム管に詰め込まれてるような感覚――姿くらましだ。

「ナナシ。下ろすぞ」
「……はい……」

体全体を圧縮されるような不快感が弾けると、声を掛けられる。どうやら目的地に着いたらしい。ヴォルデモートが腕の力を緩め、わたしを立たせるように下ろす。頭をふわふわさせながら、地面に足を伸ばすと。

「あっ」

空を飛んだせいか、久しぶりの姿くらましのせいか、体調不良のせいか。わたしはうまく着地できず、膝を崩してしまった。ヴォルデモートに支えられ、やっと立っている状態だ。

「……どうした?」
「ごめんなさい。ちょっと、失敗しただけで……」
「……」
「大丈夫です。立てますっ」

ヴォルデモートは急いでいるのに、足を引っ張りたくない。すぐに体勢を立て直し、彼を見上げて微笑みかける。

……しかし無理をしたことなんてバレていて。彼が杖を振ると足がぽかぽかと温かくなり、気つけられた。いくらでも歩けるような気がする。すごい。

そのまま更に、ヴォルデモートは呪文を唱える。

「ルーモス」

杖先に灯りが灯った。

薄暗くて何が書いてあるのか読み辛かった看板が、道を示す案内板だと確認できる。

←Little Hangleton 1.6km/Great Hangleton 8km→

わたしたちはリトル・ハングルトンの方向へ小道を歩き始めた。やがて左に曲がると、急な下り坂になる。けれどヴォルデモートがくれた靴は坂に左右されることなく一定の速度を保ち安心して歩くことができた。そのおかげで、小高い2つの丘の谷間にあるリトル・ハングルトンらしき村の夜景を落ち着いて見渡すことができる。

あの村に行くのだろうか。あそこまで姿くらまししないのかな?

……と思ったところで右に曲がる。どうやら村には行かないらしい。ヴォルデモートが杖を振ると生垣が分かれて、その先に続く細道に難無く入ることができた。暫く誰も通っていないのだろう、荒れたその道を掻き分けながら、わたしたちは進む。周りは暗くて不気味だし、杖の灯りと彼の腕だけが頼りで、少し怖かった。しかしそう歩かないうちに林に辿り着いて、そこでヴォルデモートは足を止める。

杖の灯りを向けた先をようく見ると、木々に埋もれた小屋らしきものが確認できた。石造りの様だが、壁はほとんど苔むしていて屋根はもう意味を成してなさそうに見える。壁やら窓やらにイラクサがびっしりとはびこっていた。

――しかし、玄関の戸はそこまでじゃない。イラクサは少し手を伸ばしているだけで、通れる。最近とは言わないまでも、ここ1〜2年のうちに誰かが入ったのではと思われるような様子だ。

それを見た途端、ヴォルデモートの空気が変わった。

先程まで鎮まっていた感情が、膨れ上がり始めている。

指輪が、じくじくと唸り始めた。

ナギニも察したのか、彼の体から離れて下に侍る。わたしも彼の邪魔になるような気がして、絡めた腕を外そうとした。
するとヴォルデモートは杖を振って戸を破壊し、わたしの手を掴んで小屋の中に入り込んだ。そして居間を通り抜け、奥の部屋に足を踏み入れる。そこでわたしの手を離して、荒々しくまた杖を振った。腐った床板は簡単に剥がれる。

床の下には穴があいていて、中には黄金の箱が置いてあった。彼はすぐにそれを拾い上げ、蓋を開く。

空気が凍った。

箱が放られ、音を立てて床に落ちる。

……何も入ってなかったんだ。

そのことが意味することを全く分からないのに、わたしは不安に押し潰されそうだった。ばくばくと乱れる鼓動と、段々と増していく指輪の痛みに、呼吸がうまくできなくなって左手を覆うように両手で胸を抑える。

「あ゛ああああ―――――!!!!!」

ヴォルデモートの怒りの咆哮と共に、指輪の痛みが激しさを増し。
わたしの意識を奪い取った。

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