32物語

本日、ヴォルデモートは部屋で内務をこなしているようだった。たくさんの書類に目を通し、必要に応じて羽ペンを動かす。

わたしはというと、彼から少し離れたソファの上で相変わらず本を読んでいた。ドラコが持って来てくれた本の山は既に3分の1ほど読み終わっている。

ヴォルデモートの部屋も少しだけ慣れてきて、ソファには自分が落ち着く定位置ができた。

しかしやはり、同棲のようなこの状況には慣れない。ヴォルデモートは部屋を外すことが多いといえど、生活シーンが重なると心臓に悪かった。

この部屋は広くて生活に必要な物は何でも揃っているが、風呂場とトイレ以外はドアで仕切られておらず、繋がっている。デスクから、ダイニングテーブルやソファスペース、ベッドまで多少隠れるところはあれど、見える。ホテルの、壁の少ないスイートルームといった感じだ。

――ということは、どこに居てもお互いが見えてしまうのだ。
例えば、ヴォルデモートが何もせずに座っているとわたしはどうすればいいか分からなくなるし、自分が着替えたいときに彼が部屋に居ると困ってしまう。

……勿論、部屋の構造とは関係の無い問題もある。
例えば、今朝。昨晩はいくら待ってもヴォルデモートが帰って来ないのでソファで寝落ちた筈なのに、目覚めたらベッドで彼の腕の中に居たときは朝からどきまぎしてしまった。

ちら、とヴォルデモートを横目で盗み見る。
羽ペンを操るその手に、いつもわたしは翻弄される。

……字、見たいな。
わたしの名前を書いてくれたら、どんな字なんだろう?

羽ペンを持つ手が止まるのが見えて、はっとした。いけない、何を考えてるんだか。
煩悩を振り払い、目の前の本に集中する。

『吟遊詩人ビードルの物語』

様々な御伽噺が載っている短編集だ。子供向けの物語のようだが、古くからあるらしいだけあって味があるものが多い。

その中の1つ、『三人兄弟の物語』が印象に残る。
最近よく考えるようになった『死』がテーマなのと、出てくるアイテムが印象的だからかもしれない。

三人兄弟への『死』からの3つの贈り物。

存在するどの杖よりも強い『ニワトコの杖』は長男へ。
死者を呼び戻す力を持つ『蘇りの石』は次男へ。
死から身を隠すことのできる『透明マント』は三男へ。

長男と次男はその贈り物に囚われ死んでしまう。三男だけは死から隠れ続け、高齢になってから自らマントを脱いで息子に与え、死を古き友として受け容れるという結末だ。

ニワトコの杖。
この単語には少し驚いた。ニワトコは木の名前らしいからそう珍しくもないのかもしれないけど、ヴォルデモートが持っているニワトコの杖は古いものに見えるし、物語をモデルに作られたものなのか、もしかしたら物語のモデルなのかもしれない。

蘇りの石。
これは、とても悲しい物に思える。呼び戻しても生と死の境に阻まれて、決して交わることはできない。存在する世界が違うのに呼び寄せて、相手を苦しめることにもなる。
……でも大切な人が死んでしまったら、喉から手が出るほど欲しくなるのかも。

透明マント。
……3つの中だったら、これが欲しい。
このマントで死から隠れてしまえば、わたしが死ななければ死なない人たちも救うことができる。
それに――――。

ふと、本に影が落ちて。
それを認識したとき、するりと後ろから腕が回ってくる。

「っ、ヴォルデモート様?」

ソファの背もたれ越しに肩を抱かれ、驚いて固まってしまった。

「そんなに集中して、何を考えていた?」
「……えっと、この本について少し。子供向けみたいですけど……」

本を閉じて、表紙を見せる。それを覗き込むように彼は身を屈ませた。顔と顔の距離が縮まる。

「そんなものに夢中になって、俺様が傍へ来たことに気が付かないとは?」
「!」
「――気に入らんな」

耳に唇を寄せて囁かれれば、体がぴくりと反応してしまった。その声は不機嫌な色を纏っているわけではなく、わたしの反応を試しているようなもの。

ヴォルデモートはわたしを困らせるのが、好きだ。

「……いつも静かに近付いて、驚かせてくるじゃないですか」
「そうだったか?」
「そう、です、っあ」

そのまま耳を食べるように愛撫されれば、手に力が入らなくなって。本を落とさないように腕で抱くようにして、擽ったさに耐えるように身を縮こませる。

「……っ、」

耳の上半分がヴォルデモートの口内に収まり、ぬるりとした感覚に熱い息が漏れる。細長い舌が耳の裏の皮膚を滑って首筋が粟立った。水音がダイレクトに鼓膜を振動させ、脳の奥がじいんと痺れる。

……したいのかな。
彼がそういった雰囲気を纏うだけで疼いてしまうのだから、わたしの体も困ったものだ。

ヴォルデモートはソファの後ろから前に回り、すっかり酔ってしまったわたしの隣に腰掛けると、向かい合うようにわたしを膝の上に座らせた。

「どんな話だ?」

わたしの腕の中から本を奪って横に置き、更に体を寄せる。

「作品集なので……いろんなお話が、っ、」

首を甘噛みされ、声が跳ねた。
ヴォルデモートはそのまま唇を首になぞらせながら「例えば?」とわたしに問い掛ける。声を出そうにもちらちらと首筋を這う舌の動きに、喉が震えてしまう。

この人はわたしの話を聞くつもりは無い。自分が与える刺激でわたしが声を震わせるのを楽しんでいるのだ。
それが分かると恥ずかしくなって、声を仕舞い、ただただ耐える。

「……、……」
「ナナシ……ほら……」
「――ひ」

ちう、と耳の下を強く吸われ、体がぞくぞくとして、肩に力が入る。自然と離れようとした体は背中に回された彼の手に抑えられ、離れるどころか密着することになった。
悶えるわたしを見てヴォルデモートはくくっと喉を鳴らして楽しそうに笑う。

「此れしきでお喋りできなくなってしまうのか?」

すっかり上気した頬をするりと撫でられれば、彼の冷たい手に熱を奪われるようだった。

「ヴォルデモート様のせいなのに……」
「……そう赤い顔で拗ねるな。歯止めが効かなくなる」

その台詞にわたしの顔は更に赤くなっただろう。

ヴォルデモートが目を細めたのを捉えたと同時に顎を固定され、唇を塞がれる。何度も噛み付くような動作を重ねながら深まっていくそれに、わたしは彼の胸に縋ってただただついて行こうと励んだ。

――透明マントが欲しい。

このマントで死から隠れてしまえば、わたしが死ななければ死なない人たち……マルフォイ家の人たちも救うことができる。
それに――――。

万が一、ヴォルデモートに何かあったとしても、彼を死から隠すことができる。

ドラコに予言の話を聞いてから、ドラコの涙を見てから、わたしの胸の中には『死』への恐れが溜まっていた。

自分を守る為に起こりうるかもしれない、マルフォイ家の人たちの『死』。

そして……選ばれし者によって起こされるかもしれない、ヴォルデモートの『死』。

唇から伝わる体温がこんなにも愛おしいのに。

この温度が失われるなんて、いや。
絶対に、いや。

「……はぁっ……、!」

長い口付けから解放され息を落ち着かせようとしたところで、顎に添えられていた手に力を込められ。下へ向けていた視線を上げるとヴォルデモートの深い赤の瞳に捕らわれる。

「何を考えてる? ナナシ」
「……っ……」

軽く唇を触れ合わせたまま語られて、彼が口を動かす度に唇と唇が擦れて、背中にぴりぴりと痺れが走った。

「俺様が、見過ごすと思ったか? お前が憂いていることに、気づかないとでも?」

わたしが唇の動きを感じるように、ゆっくりと責めるように、言葉を紡ぐ。

「言え」

なんてもどかしい。あんなキスのあとに、こんな。
もっと塞いでほしいのに、深いキスが欲しいのに、僅かに触れる距離を保たれている。顎を固定されているのでこちらからは動くことができない。

甘すぎる拷問に、発散できぬ熱に、体が火照っていく。

言いたくなかった。
ドラコの涙を見て浮かび上がってしまった不安。ポッターが選ばれし者と知って襲ってきた不安。
こんな風に悩んでいるくせに、自分では何もできない、わたしの非力さ。

それらをヴォルデモートに晒すのは恥ずかしくて情け無いし、もしかしたら呆れられたり怒られたりするかもしれない。

しかし見透かされてしまっては、観念するしかなかった。

「……怖いんです」

わたしが語り始めると、そっと唇を離される。それが寂しくて、口寂しさを埋めるように、蓋を外されたかのように言葉が溢れてきた。

「わたしを守る為に、人が、死ぬかもしれない。あなたの傍に居るには、わたしは力も精神も弱くて……それが情けない」

「――それと。ポッターが、ヴォルデモート様に、何かしたら。ヴォルデモート様に何かあったら。あなたと居れなくなる日が来たら、こわい」

「ヴォルデモート様から離れたくないのに、わたしは、弱くて何もできなくて、」

目頭が熱い。それ以上喋ると泣いてしまいそうで、口を閉じて、彼の瞳から視線を外す。

言葉にしてみると、悩みが具体的になって、より苦しくなった。

ヴォルデモートはどう思っただろうか。
くだらない、面倒な考えだと思っただろうか。

顔を見れずにいると、わたしの顎を固定していた手がするりと後頭部へ移動し、引き寄せられて、わたしの顔は彼の肩口に埋まった。そのまま背中に回されていた手にも力が篭って、抱きすくめられる。お互いの皮膚が沈むほどの密接に、暫く呼吸を止めてしまう。

「……ああ、お前は弱い」

掠れた声には、責めるような色は含まれていなかった。

「――しかし、俺様は強い」

「この俺様が守っている……お前の身の回りは安全だ。そしてポッターは俺様の力には到底及ばない……」

呆れることも、怒ることもせず。

「案ずることなど、1つも無い」

こうやって抱き締めて、安心させてくれる。

胸に刺さっていた棘が抜けていく。

「ナナシ」

名前を呼んでくれる声が優しくて、わたしは仕舞おうとした涙をこぼす羽目になった。

鼓動や呼吸を感じ取れるほどの抱擁だから、泣いていることなんてばれてしまっているだろう。

彼の衣服に涙が染みてしまう。
でも、このまま抱き締められていたい。

ずっとずっと、こうしていたい。

……だからこそ、憂いてしまう。

ヴォルデモートを信じていないわけではない。どうしても不安を拭いきれないのには理由があった。

時折、指輪が疼くのだ。

それがポッターの傷と呼応した痛みを思い出させて、ポッターが何かしているのではないかと考えてしまう。
きっと、ポッターとの決着がつかない限り、不安は消えない。

……そのときが来ても、どうせわたしは祈ることしかできないのだろう。

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