31卯月

ポッターと地下牢で会ったあの日から暫くは色々起きたものだが、現在は以前のような日々が戻ってきていた。部屋から出ずに大人しく読書をしたり、窓からの景色を眺めて過ごす。
服を選んだり化粧をしてみる楽しみが増えたことと、ときどき庭へ連れ出してもらえるようになったことが……嬉しい違いだけど。

今日はソファでクィディッチとかいう魔法界のスポーツの特集雑誌を読んでいた。写真が動いて、箒で人が飛んでいるところが見れて楽しい。
窓は開けたままにしている。暗い雲と霧が立ち込めるような天候だったが、気温が暖かかったので外の空気を取り入れたくなったのだ。

外はとても静かだった。

「あ……」

どこかのエース選手のインタビューを読んでいる途中で顔を上げる。

また、だ。

教会で奏でられるような神聖なオルガンの音色。
ここ1週間くらい、時間帯は不規則だがどこかの部屋から聞こえてくる。

何かを祈っているようで、わたしはこの音色が好きだった。

耳を澄ませ、音に合わせて体を揺らしていると、傍に居たナギニがこちらに頭を向ける。それにやはり慣れなくてドキリとしながら動きを止めると、彼女は『貴女のことは食べませんよ』と言うように首を振った。
大抵ヴォルデモートの命令を実行するためにいないのだが、今日は戻っているらしい。

『マルフォイの坊やが弾いてるんですよ』
「坊や……ドラコ様のことですか?」
『ええ』

流石お坊っちゃま……。

暫く一緒にオルガンの音色に耳を傾けていると、昼食が現れる。食事の方へするすると離れていくナギニを目で追いながら、わたしは心に引っかかる何かをぼんやりと模索していた。

何か、違和感を感じる。

「あれっ」

さっき、ナギニさんと……会話が成立したような。
……人の名前も認識してるのかな?

もう1度話しかけてみようかと思ったが、何かを丸呑みしているところだったので言うのが憚られる。食べ終わってからにしよう……と思っていたのに。美味しい食事に夢中になってしまい、気がついたらナギニはどこかへ行ってしまっていたという間抜けな結果に終わった。

オルガンの音色も消えてしまった。

虚しい気持ちになりながら再び雑誌を読んでいると、扉をコンコンと叩かれる。

この、控えめなノックは……。

「……ドラコでございます」

やはり。
噂をすれば何とやら、だ。

「申し訳ございません……。先日お渡しした本の中に、教科書が紛れていないか確認してもよろしいでしょうか……?」
「勿論です。どうぞ」

わたしの返事を聞くと、遠慮がちに扉が開く。相変わらずお化け屋敷にでも入るかのように中を窺いながら、ドラコ・マルフォイが部屋に入ってきた。

彼は1度わたしと目を合わせたが、すぐに目を逸らす。
……今日は襟付きワンピースを着てるから痕は見えない筈なんだけどな。

持ってきてくれたものは彼が置いたローテーブルにそのままにしていたので、そちらへ誘導する。「失礼致します」と一言添えてからソファに座ると、ドラコは本の山を確認し始めた。

彼が下を向いているのをいいことに観察してみる。ブロンドの髪に灰色の瞳、すらりとした長身……ヴォルデモート以外の人と話すことはなかなか無いので、本当にイギリスに居るのだということを彼を見て再認識した。
日本人に比べると大人びて見えるが二十歳にも満たないのだろう。しかし彼はその齢にしては疲れ切った顔をしていた。

「学校、始まるんですか?」

教科書を探しているのなら学校へ行く準備をしているのかと思い、声を掛けてみる。
突然の問い掛けに彼はビクリと肩を揺らして、目の前に座るわたしを見た。相変わらずわたしと話すことを避けたそうに眉を寄せながらも、口を開く。

「……ええ。4月も半ばになりますから」

イギリスのお休みはよく知らないけど、その時期に終わるものなのかと適当に納得して相槌を打つ。

それよりも、もう、4月なんだ。

日付の感覚を失っていたのでなんだか新鮮な気持ちになった。日本は桜でも咲いているだろうか。

暫くして、目的の教科書を見つけたのか彼は2冊の本を手に取った。そしてほんの軽くこちらに頭を下げて立ち上がり、扉に向かう。

学校は寮制だから、暫く戻らないだろう。

……あのオルガンも聞けなくなる。

「寂しくなります。オルガンお上手なんですね」

返事を期待せずにその背中に声を掛けると、ドラコは驚いた顔で振り返った。あんまりにも目をまん丸にするので自分から話しかけたのに何と言っていいかわからなくなって、遠慮がちに微笑む。

すると彼は眉を寄せて。
半開きだった口をぎゅっと締めて。
瞳を、潤ませた。

泣く……?

バサバサと音を立てて彼の手から教科書が落ちる。

そのままこちらに近寄ってきて、両肩を掴まれた。
驚いて声が出ない。わたしとの接触を避けるようにしていたドラコがこんな行動に出るとは露とも思わなかった。

「貴女に、お願いがあります、」

涙が溢れるその顔から目が離せない。

男の人の涙には慣れていない。

「どうか、生き続けて下さい……! 僕たちは、僕たち家族は、貴女の命と共にあるんだ……!!」

「あのお方を抑えられるのは、貴女しか、」

「貴女が死んだら、僕たち、は、」

痛烈な祈りの声。
神様にでもなって願われているような気分だった。

――でもわたしは、なんの力も持っていない。その祈りも約束できない。

わたしの肩を掴んだまま俯いて嗚咽を漏らす彼に胸が痛んで、そっとそのブロンドを撫でる。彼はその感触にハッと息を止めて、即座にわたしから離れた。あまりにも勢いをつけるからひっくり返りそうになっていた。

「ご無礼を……!!」

いきなり青ざめて、誰かが見ていなかったかどうか確認するようにきょろきょろと部屋を見渡してから、もう1度こちらを見る。

落ち着いて、気にしないで、という気持ちを込めて首を軽く横に振れば、彼はまた顔をくしゃりとさせた後、部屋を出て行った。

……教科書を床に落としっぱなしだったので、ハンスを呼ぶ。

「ナナシ様! お呼びでございますか」
「ハンス、耳治ってきたね」
「うう……! うああ……! お陰様で……!」

泣き出しそうに顔を歪めるので慌てて近くに寄ってティッシュを渡す。まさか2人立て続けに泣かれるとは思わなかった。

「ドラコ様にこの本を届けて頂いても……?」
「勿論でございます!!」
「あ、待って、」

すぐにでも飛んで行ってしまいそうなハンスの腕を握って、引き止める。

「あの……聞きたいことがあって」

ドラコの泣き顔が、脳裏にこびりついていた。

「マルフォイ家の方たちは、わたしが死んだらどうなるの?」
「ご、ご主人様方は、」

言っていいのか悪いのか判断に迷っているのか、ハンスは目をウロウロとさせる。その手が耳を抓ろうとしているように見えて、腕を抑えながら耳を傾ける。

「……貴女の命をお守りする役を担っております。貴女がお亡くなりになるようなことがあれば、あの方々も命は無いでしょう」

そう、なんだ。

心がずしんと重くなった。ドラコの涙がより一層わたしの中に刻まれていく。

教えてくれたことにお礼を言うと、ハンスはなんだかばつが悪そうな顔をして部屋を後にした。

その日の夕食はいつものように味わうことができなくて、ただ食物を摂取するようになってしまった。お昼はあんなに夢中になっていたのに。

シャワーを浴び終え水を飲んでいると、部屋の扉が開く。ノックは無い。ヴォルデモートが戻ってきたのだ。

「おかえりなさい」
「ああ」

彼が帰ってくるとやはり気が弾んでしまって、そのまま近くの椅子に座ったその傍に寄る。しかし少し疲れているような、不機嫌そうな様子に見えたので、何もせずに彼を見つめた。

すると手が伸びてきて、引き寄せられ、腕の中に閉じ込められる。ヴォルデモートは座っていたので、わたしの胸元に彼の顔が埋まるようになった。深い溜め息を吐きながら頭を押し付けられて、それに応えるように腕を回して抱きしめる。

――胸のざわめきを聞かれてしまうのが怖い。

この人はわたしの命を守る為に、マルフォイ家の命を縛っている。

……そこまでしてくれているのだと思うと、嬉しいし、愛しいと思う。

しかし、それと同時に……おそろしいと感じてしまった。

ドラコは泣いていた。家族を想って。
彼は家族を愛している。父親が載った新聞を切り抜いて。祈りながらオルガンを弾いて。わたしなんかに縋って。

わたしの為に、彼らが命を失ってしまったら?
わたしの為に、家族を失う悲しみに襲われたら?

考えるだけで胸が張り裂けそうだった。

命は皆等しく平等だと思う。
でもヴォルデモートにとっては違う。
彼はマグルや自分にとって邪魔な者を殺している。

ヴォルデモートと生きるということは多くの屍の上に立つことなのかもしれない。

マルフォイ家の人たちがわたしの為にどうなっても、彼の傍でそれを見るんだ。
きっとそういうことが、これから先繰り返される。

覚悟しなきゃ。
ヴォルデモート様と生きて行く。これはわたしの中で絶対に覆らない。
ならば、彼以外を捨て置かなければならない。

――――でも、どうしても、願ってしまう。

彼が人を殺めない道。
彼がひとつひとつの命の価値に気付く道を。

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