30戀心*
初めてだった。
命令ではなく、願われるような物言いも。
こんなにも不安気で儚い口付けも。
初めての姿を、彼は晒してくれている。
それは先程夢にでてきた誰かと重なった。
ただ、わたしが勝手に見た夢。
でもあの人はヴォルデモートだったのだと、そう思う。彼の心に触れたのだと思いたかった。
夢の中で、泣いていた。
今までだれにも助けを求めずに、1人で、何を求めて、何と闘っていたんだろう?
あなたが願ってくれるなら、傍に居る。
ずっとあなたの傍に居る。
雲が月を覆って、部屋が完全な暗闇に包まれた。
怖くなってヴォルデモートにしがみつく。
視覚が奪われたことではなく、彼の姿を捉えられなくなることが怖かった。いつも以上に彼を感じていたかった。
わたしの不安を読み取ったのか、彼は杖を振り、近くに置いていたテーブルランプを灯す。
しばらく暗い中に居たので少し目を顰めてしまったが、優しいセピア色の光だったのですぐに慣れてきた。
ランプを中心に室内が浮かび上がる。
明るくなった途端、甘い空気も照らし出されたような気がした。
すぐ目の前にこちらを見下ろすヴォルデモートの赤い瞳があって。先程わたしの頬をなぞっていた手は耳の後ろに回っていき、優しく髪の生え際を撫でる。視線を落とせば彼の胸にしがみつくわたしの手が彼の衣服を乱している。
甘さが心臓を包み込み、とくとくと鼓動を高鳴らせた。
しあわせ、だ。
わたしを想うと苦しくて、殺そうとしたのに。
ころせなかった。
失うことを恐ろしいと思ってくれた。
わたしと同じ気持ちを、おそらく、ヴォルデモート様も。
どうしよう。
どうしようもないのだけど、胸の中を擽られる感覚に、そわそわとした。
このしあわせを消化しきれる気がしなかった。
カチ、と針が回る音。
小さな音だが静寂に包まれた今、それは目立った。
クローゼットの横に飾られた瀟洒な柱時計、そちらに目を向けると、その短針は10を指していた。
「もう……こんな時間……」
最後に時計を見たのは17時を少し過ぎた頃だった。5時間も眠っていたことになる。うたた寝にしては長すぎる。
「お前が眠り過ぎているのは指輪のせいだろう」
ヴォルデモートはわたしの左手をとり、原因はこれだと言うように薬指を撫でた。
「魔力との相性が悪くないとはいえ、維持することは体力を使う」
元々よく寝る方ではあったけど、こちらに来てからの睡眠時間は異常だと感じていた。
夜にしっかり寝ても昼にぐっすりと眠ってしまうし、何かをしてる途中で意識が遠のくことも増えた。
……指輪のせいだったのか。
指輪という謎が再び頭の中に訪れる。
もう胸が痛むことはなかったが、知りたいという気持ちが治まったわけではなかった。
「……それを気にしていたな」
じっと指輪を見つめるわたしの心情を読み取ったのだろう。ヴォルデモートの問い掛けに、こくりと頷く。
その先を述べるのが難儀であるような顔をして、彼は浅く溜め息を吐いた。暫く黙ってしまったので、やはり知らない方が良いのかと聞くのを断ろうとしたとき、彼が口を開く。
「それは還霊箱という」
「かん、れい」
「霊魂が還る、という意味だ。俺様がこの体を失ったとき、魂がお前に還る」
魂。
まるで当たり前かのように魂が存在し、体と独立しているということを理解するのに、まず時間がかかる。
この数ヶ月魔法の世界に触れて、慣れてきたと思っていた筈なのに。今までの常識を覆す未知の領域に、こちらの世界は易々と踏み入る。
ヴォルデモート様が体を失ったら。
魂が、わたしに?
そもそも体を失うなんてことがあるの?
わたしの理解を促す様に、彼は語り続ける。
「俺様はかつて死の呪いをこの身に受け、肉体を失ったが、生きていた。不死の道に入り込んでいたからだ。しかし肉体が無ければ何も出来ぬ……何かに取り憑き、召使いの手を借り……虚弱な存在のまま、13年以上もの時を彷徨った……」
想像を絶する話に、息を呑んだ。
わたしがのうのうと生きてきた13年、ヴォルデモートは肉体のない状態を耐え抜いていたのだ。
そしてやはり、不死だった。
「しかしお前が存在する限り、魂はお前に還る。彷徨うことは無くなる」
「……わたしの体にヴォルデモート様が入ったら……どうなるんですか……?」
「さあな。かつて人間に入ったときは……取り憑くというかたちだった為、酷いものだった……。しかしその指輪には俺様の血を媒体とした魔力が宿っている。そのときよりはましだろう。更に、すぐにでもセブルスが俺様の肉体を用意することになっている」
成程。その役目を与えられたから、セブルスは指輪について知っている顔だったのか。
そしてこの指輪……なんてすごいものだったんだろう……。
こんなものを与えてくれていたなんて。
「だから、護って下さったんですね」
何の気なしにそう呟く。
死喰い人に手を出すなと言ってくれたり。
死を選んだわたしを止めてくれたり。
それを指輪の為だと思うのが辛かった。
しかしこの話を聞いた今は納得ができるし、ヴォルデモートの心情を知った今、辛くはない。むしろ辛くなって泣いた自分が恥ずかしいとすら思うくらいだ。
しかし納得がいったわたしとは反対に、ヴォルデモートは腑に落ちない顔をしていた。
「……確かに、指輪を与えたが故に死喰い人へ手を出さぬよう命を出した。そうすれば、お前が魔法界で護られた存在になることも前々から考え着いていた……」
その先を言い延ばすように、話す速さがいつもより遅い。どうしたのだろう。
黙って次の言葉を待っていると、そんなわたしを見て彼は再び溜め息を吐いた。それで先程、この先を言い淀んでいたのだと知る。
「……しかし、それをお前に与えたとき、俺様はただお前に証を残すことだけを考えていた……お前が消えぬ証を願ったから、与えたのだ」
時が止まったような感覚だった。
半分、自分の耳を疑っていた。
しかし彼の唇が再度動くのを捉えて、懸命に耳を澄ます。
「お前のこととなると、自分がとった行動だというのに何故そうしたのかわからないことが多い……。お前が屋敷しもべを庇ったときも……指輪のことなど頭に無く、お前を叱った……」
愚かなくらい頭の回転が鈍かった。紡がれた言葉を遅れて理解していく。
そして、じんわりと胸が熱くなる。
それって。
指輪の為じゃなかった、ってこと?
悩みが全てほどけて、しかもまた、しあわせが増え、満たされていく。
「ヴォルデモート様……」
すき、という気持ちが募って、箱に収まりきらずに溢れる。
本当は『すき』という言葉なんかじゃ現しきれないほどの感情だ。世間一般に言う『愛』なのだと思うけど、どうにも形容したくない。形容しないままの方が陳腐なものに成り下がらないような、そんな気がする。
この感情は、特別だ。
居ても立っても居られなくなって、でもどうしようもなくて両手で顔を覆う。
「……どうした」
「もう、だめです」
「駄目?」
あまりにも甘い。
わたしには贅沢すぎる。
「浮かれてしまいます……わたし、指輪が大事なのだと……」
「そう思っていた。しかし昨晩お前の涙を見て……違うのだと、気付いた」
顔を覆うわたしの手、その右手中指の第二関節を彼は撫でる。
堪らない気持ちになった。
その気持ちが、目頭に込み上げてくる。
「……ふ、皆まで言わされるとはな」
「っ、」
「ナナシ?」
耐えられなかった。じんわりと目の周りが熱くなり、涙が滲み出す。
その様子に気づいて、ヴォルデモートはわたしの手の甲に指を置いて下方向へ少し力を込めた。
「顔を見せろ」
「もうちょっと、待ってください」
わたしは今、眉を寄せ、目を窄めて涙を流して、奥の歯に力を込めた、変な顔をしている。こんな顔は見られたくない。
しかしヴォルデモートは許さなかった。
両手首を掴まれ、引かれる。
「……っ、……だめで」
す、が発音されることはなかった。
唇を塞がれたからだ。
そのまま彼の唇はわたしの涙を掬うように頬を通り目元にまで到達した。ヴォルデモートの熱い吐息が眼球を撫でて、目を細める。
「ナナシ……お前が欲しい。良いな?」
その囁きに、一気に顔へ血液が集中し、熱くなるのが分かった。
「……聞かなくても、」
「いつも、いやいやと言う癖に」
「う」
その通りなので言い返せずにいると、ワンピースのファスナーを下ろされる。そして緩んで纏わり付いているだけとなったワンピースの中から下着姿のわたしを立ち上がらせて、彼はベッドの前へ導いた。
しばらくそのまま立っているので、背の高い彼を見上げる。
すると背中に手を回され、ブラジャーのホックを外された。ふわっと布が浮いて、落ちそうになる。それを阻止しようと肩を上げたときにまた両手首を掴まれ、彼の衣服へ誘導された。
「このままでは、お前だけが裸になるぞ」
言葉の意図を悟って、わたしは恥ずかしさで燃え上がりそうになりながらも、彼の肩を覆っていたローブを掴み、外した。
ヴォルデモートは満足そうな顔をしている。
今度は中に着ていた衣服の留め具を外して、外側に開くようにすれば、パサリと床に落ちる。彼の裸体がセピア色に浮かび上がった。
ヴォルデモートからはわたしの裸が見えているだろう。手を下げたときにブラジャーは下に落ちたので脱ぎ払ってしまった。
こうして立ったまま向かい合っていると、何か改まった気がして。
初めてのときのような緊張を感じる。
強張ったわたしの表情とは逆に、彼は今までにないような穏やかな表情を見せると、わたしをベッドへ座らせた。
少し遅れて彼も隣に座って、わたしの髪にキスをする。
次は耳だった。その次は額。瞼。鼻先。頬。唇。首筋。鎖骨。肩。
一箇所一箇所、熱を押し当てられるたび、身体の奥が痺れ、そこはじんわりと余韻を残した。
やんわり押し倒され、彼はわたしに覆いかぶさるようにベッドに体重を掛ける。
ぎし、とスプリングが軋むと、わたしの心臓も震えた。
キスの続きが始まった。
デコルテ。胸。その突起。その横。腋。二の腕。飛んで、手を握って指先。ここで彼の燃えるような赤と目が合い、心臓を掴まれる。
ヴォルデモートはわたしの身体中に唇を寄せた。時折、舌で濡らした。
擽ったさと心地よさともどかしさが織り混じって体をくねらせると、彼はそれを落ち着けるように太腿を撫でた。そしてキスを続ける。
「……っ!」
下着を奪われ、ついに彼の唇が秘部に到達すると、声にならない嬌声が出てしまう。
下から上に割れ目に沿って舐め上げられ、膣がひくりと鳴く。そのまま舌を埋められれば一際内部は疼いた。
「ふ……ぅっ……」
腰が浮くのを太腿を撫でて押さえて、ヴォルデモートは愛撫を続ける。
そういえば初めてのときも、こうやってわたしを開いてくれた。
ああ、すき、と心の中で囁きかける。
暫くして。くちゅくちゅと聞こえてきた水音に、わたしの体がヴォルデモートを受け入れるに整ったことが分かった。それを彼も知って、体を持ち上げ、わたしの両膝を掴み脚を広げる。
視線が絡み合う。
きて、と目で訴えれば、彼の熱がわたしに触れた。
ゆっくりと、入り込まれる。
あまりにもゆっくりと、なので圧迫感をより詳細に感じられた。
「あぁっ……!」
「……は……、」
お互い大きく息を吐く。
彼のものが全て収まると、わたしは快楽に目眩がするようだった。それを耐え忍び、また彼の瞳に焦点を合わせる。
ヴォルデモートは動かない。
繋がったまま、わたしを見つめていた。
「ヴォルデ、モート、さま……?」
名前を呼ぶと、彼は前に乗り出して唇にキスをくれる。その拍子に子宮口に押し当たって、わたしは込み上げるものを感じた。
しかし快楽による小さな悲鳴は口付けによってくぐもり、彼の口の中へと消える。
わたしは全身を震わせて、何度も繰り返される口付けと快楽に耐えた。
もう頭の中はとろとろで、彼のことしか、ヴォルデモートのことしか考えられない。
「ナナシ」
口付けの合間に名前を呼ばれて、耳から甘いものを食べたような気分になった。
ヴォルデモートの腰が回るように動き始める。
しかし快楽を求めたものではなかった。わたしは確かに快楽に襲われたけど。ただ、交わることだけを大切にして、繋がっていることを実感させられるような動き。
「ナナシ」
再び、ヴォルデモートはわたしの名前を呼んだ。
名前を呼ぶと同時に何かを伝えようとしているようだった。
けれど彼はそれを言葉にできない。
何年と、何十年とかかっても、たとえ叶わないままでも。
こんな風に名前を呼んでくれるならば、充分だと思った。
今宵、わたしは確かにヴォルデモートと心を通わせた。
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