25質問
「……ふぁ」
欠伸を一つ、まばたきを何度か。寝ぼけた頭で自分の場所を確認する。
ここは――ベッドの上……? 昨日いつ寝たんだっけ。
むくりと起き上がると体からシーツがずり落ちる。
その肌を撫でる感覚にギョッとした。
……素っ裸だ。
何がどうしてこうなったんだろう?
混乱した頭が認識したのは、少しの頭痛と胃の重さ。
そして、下腹部の違和感。どろりと彼の液が膣内を落ちていく感覚。
そうだ、お酒を飲んだ。わたし酔っ払って。ヴォルデモート様に甘えて。それでそのまま、ソファで……。
思い出すだけで顔が燃え上がるように熱くなる。
調子に乗って飲みすぎたのも、自分から彼にすり寄ったのも、下着姿を楽しまれたのも、ぜんぶぜんぶ恥ずかしい。
お酒こわい……。
暫く枕に突っ伏して悶える。
しかしひとまず汗を流したくなり、のそりとベッドから起き上がった。
ヴォルデモートは部屋にはいないようだった。
昨日体を重ねたソファはいつも通り整えられていて、脱ぎ捨てられた衣服も片づけられている。
わたしはまた寝落ちしたらしい。
もうお酒には気を付けなければ。
そういえば、人前で飲むなって言われたような……。
どくん。
シャワーの蛇口に手を伸ばしたところで、心臓が嫌な音を立てる。
まって。どこまでが現実でどこからが夢だろう?
わたし、彼に聞いた?
『……指輪を嵌めているから。だから……わたしを傍に置いて下さるんですか……?』
浮かび上がる昨晩の記憶。アルコールに浮かされ、考えていたことを裸にされ、口をついてしまった。
バクバクと暴れる心臓が夢ではないと物語っている。
その続きを追い求めようにも、何も思い出せない――――彼は、答えてくれなかったんだ。
蛇口を捻る。湯が降り注ぎ、汗を流していく。目を瞑って、ただ浴び続ける。
不安で生きた心地がしなかった。
聞いてはいけないことだったのかもしれない。
わたしは与えられた環境を黙って享受していればよかったんだ。
真実を求めるようなことはしちゃいけなかった。
バスローブに身を包み、クローゼットのダイヤルを4に回して服を選ぶ。
少しでも心が落ち着くようにと、若草色のワンピースを身に纏う。控えめなえんじ色のリボンの装飾が可愛らしかった。
昨日の夕食が消化しきれていないのと、気が重いのとで、お腹は空かない。
テーブルに置かれた瓶から水をコップに注ぎ、半分ほど飲んで、そのまま腕を枕に伏せる。
指輪のことは、気づいちゃいけなかった。
ただ恋人としてセブルスに紹介されたのだと、彼の良い人として死喰い人から護られているのだと、浮かれるべきだった。
しかもわたしときたら。見返りを求めないと決めた筈なのに、ヴォルデモートが自分を失いたくない理由が指輪だって知ったら、すぐ傷ついて。聞いてしまうなんて。
感情を抑えるのが苦手になってしまった。
ヴォルデモートのことになると、喜怒哀楽が激しくなる。
求めてしまう。
いけないってわかってるのに。心が叫ぶ。
こんなにも、あの人に――――。
またも涙腺が緩みそうになったそのとき。
コンコンコンと、突然ドアから音がして体が跳ねた。
……ノック?
聞き間違えだろうか。ぼうっとドアの方を窺っていると、再度ノックされて慌てて立ち上がる。
どうやら返事を求めているらしい。
「ヴォル、あ……えっと、あのお方はいらっしゃいません」
暫しの沈黙の後、緊張したような若い男性の声が聞こえてきた。
「いえ……ナナシ様に……」
えっ、わたし?
今度はこちらが沈黙してしまう。
わたしが困惑していることに気づいたのか、男性は慌てて説明を足した。
「……私は、マルフォイ家の者でございます。あ、あのお方に命じられ、お渡しするものが」
ヴォルデモート様がわたしに。
「……どうぞ」
「失礼致します」
承諾の言葉を伝えると、遠慮がちにドアが開く。
おそるおそる部屋の様子を確かめながら、黒革の鞄を持ったプラチナ・ブロンドの青年が中に入ってきた。
マルフォイ。この屋敷の持ち主の名前だ。
以前2度だけ会ったルシウス・マルフォイの高圧的な態度とは一転、青年の怯えた様子と丁寧な言葉遣いに違和感を感じる。
青年はドアから少し距離をとって窺っていたわたしの姿を見つけると、ハッと身を固くした。
しかしすぐに目を逸らして頬を赤らめる。
何だろう、と青年が目を留めたあたりを確認して、自分も顔が熱くなった。
このワンピースは首元と、デコルテが少し見える。
ヴォルデモートに付けられたキスマークや噛み痕が丸見えだった。
慌ててクローゼットからショールを取り出し首元に巻く。
その間に青年はソファの近くへ移動し、鞄からガタゴト音を立ててローテーブルへ物を取り出し始めていた。
あっという間に大量の本や菓子類が並ぶ。
その鞄に収まったとは思えない量だ。
「あのお方がここにおられない間……貴女に何か時間を忘れさせるような様な物を、と」
「ありがとうございます。こんなに……」
ヴォルデモートがわたしを気遣ってくれたことに不安がほんの少し和らぐ。
前もこうやって、暇つぶしにとお土産を持ってきてくれた。トムの教科書を読むことも許してくれた。
――記憶違いだったのだろうか。
やっぱり彼に質問してしまったのは夢……それか質問してすぐにわたしが眠ってしまったとか。考えすぎだった?
前の部屋には無かったような本が沢山並んでいて、興味が募り何冊か手に取る。
「急ぎ、私の部屋にあった物をお持ちしました。他に何かご所望であれば……なんなりと……」
わたしの様子を怖々と窺いながら、青年はやはり緊張を滲ませた声で気の利いたことを言う。
こんな扱いは、なんだか調子が狂う。
ふと、本に名前が記されているのが目に留まった。
Draco Malfoy
以前、ハンスが話していたことを思い出す。
ルシウス・マルフォイの息子で、学校の寮にいると。そうだ、今はイースターのお休みで戻ってると言っていた。
「あなたはドラコ様ですか?」
名前を呼ばれて、彼は目を真ん丸に見開く。
そして一寸置いて、何度か頷いた。震えているのと見分けがつかないほど小さく。
青白い顔は更に血の気が失せ、明らかに目に恐怖の色が走っている。
以前、わたしに手を出した男が殺されたことを思い出す。極力関わりたくないんだろう。
更に近くで顔を合わせてみると、生々しい切り傷や痣があることに気づいた。
……もしかして。
これ以上引き留めるのは少し可哀想だったが、気になったので質問してしまった。
「……あの、ポッターは……?」
ドラコの顔がバツが悪そうに歪む。
「……、……奴は逃げました」
やはり。きっとそのせいでドラコはヴォルデモートに罰せられたのだろう。
ハリー・ポッター。
ヴォルデモートの宿敵であるとは知っている。何度もヴォルデモートの襲撃から生き残っていると、ハンスから聞いていた。
けど直接会って思ったのは何故ポッターなのかという疑問。彼は、そんなに強そうにも見えないただの青年だったのだ。
「あのお方は何故……ポッターを……?」
ドラコは一瞬、そんなことも知らないのかと訝るような顔をしたが、すぐに取り繕って口を開く。
「奴は”選ばれし者”だと言われています」
「……えらばれしもの?」
「あのお方を倒すことのできるただ一人の者、と予言されている」
ドラコの言葉を聞いて、ずがんと重い衝撃が体全体に走った。
ヴォルデモート様を、倒す……?
「予言……」
「……。予見者が未来を読んだものです」
「……当たるんでしょうか……」
「さあ。能力の高い予見者は当てることがある様ですが……」
ドラコは少し面倒そうな色を滲ませながらも、ぼそぼそと解説してくれた。
普通の人間……マグルの感覚からすると、"予言"というものは不確かで曖昧だ。
しかし魔法界では違うらしい。
更に、ヴォルデモートが執拗にポッターを狙っているということは、予言を重要視しているからではないだろうか。
血の気が引いていく。
体に力が入らなくなって、持っていた本を落としてしまう。
「……よろしいですか?」
茫然と立ち尽くすわたしを窺いながら、ドラコは鞄を手に取り2〜3歩ドアの方へ寄っていた。
「あ、ごめんなさい……。ありがとうございました……」
わたしの言葉を聞くと、彼は足早で部屋から立ち去った。急ぎすぎてドアに足をぶつけて大きな音を立てている。
しかしそんなことは気にならない位、わたしの頭の中はポッターのことでいっぱいだった。
元々わたしはポッターを、ヴォルデモートに抗う勢力の代表格くらいに思っていた。
"生き残り"続けているのも、相当な手練れか幸運かくらいにしか考えていなかった。
だから指輪を貰った夜にヴォルデモートが倒れたとき、彼がポッターの名を口にしたのは動揺したし、彼がポッターを追う様子から只者ではないと認識した。
でもずっと、そんな若者が闇の帝王であるヴォルデモートの宿敵となっていることが腑に落ちなかった。
しかしこの話を聞いて、理解させられた。
ポッターは”選ばれし者”――ヴォルデモートを倒すことのできる唯一の存在。
やはり、ポッターはヴォルデモートを倒す為に動いているのではないだろうか。
ポッターを止めないと、ヴォルデモート様が死んでしまうかもしれない。
でも、わたしに何ができるの?
動けば迷惑を掛けるだけ。しかも余計なことはしちゃいけないって、身に沁みたばかり。
もどかしい。自分の無力さが恨めしい。
わたしに力があったら、と何となしに掌を見つめる。
そうだ……ポッターがただの青年とは違うところが1つあった。
ポッターの額の傷痕と呼応した指輪にそっと触れる。
これはヴォルデモートの魔力が宿ったもの。
――ヴォルデモートとポッターの間に、何か繋がるものがあるのだろうか?
やはりこの指輪には何かが秘されていると、確信めいた気がした。
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