14忘失+

マルフォイ邸の地下牢で。
お互い痛みに困惑しながら、わたしとポッターは見つめ合った。

「ッ……ドビー、この人は?」
「ナナシ殿です。しもべとして捕らえられていたそうで……。ハリー・ポッターの居場所を教えてくれたのです」

ポッターはドビーの言葉を聞きながらわたしを上から下まで注意深く見る。そして左手の薬指の模様を見つけて、目を細めた。
同じようにわたしはポッターの額に目を凝らし、稲妻形の傷跡を捉えた。

「あなたに聞きたいことがあるんです」
「僕も同じだ……」

そのとき、身を切るような若い女性の叫び声が上から聞こえてきた。もう1人の女性――ベラトリックスだ――が甲高い声で攻めている。
わたしは瞬時に状況を理解した。ベラトリックスが誰かを拷問しているんだ。赤毛の青年が居ても立っても居られないといった様子で悔しそうにしていることから、きっと仲間なんだろう。

ポッターは焦ったようにドビーを覗き込んだ。

「君は、この地下牢から『姿くらまし』できるんだね?」

ドビーは頷く。
そうか、ハンスやドビーが使っている瞬間移動は、姿くらまし。本のどこかで読んだような気がする。

「そして、ヒトを一緒に連れていくこともできるんだね?」

何度も頷くドビーに、ポッターと赤毛の青年は仲間を逃がす算段を伝えているようだ。彼らの指示を聞くと、ドビーは意識が朦朧とした老人に近付き手を握った。

その様子をぼんやり眺めていると、ポッターが座り込んだままのわたしを丁寧に立ち上がらせる。そのまま腕を引いて、ドビーの傍にわたしを誘導した。

「君も行くんだ」
「え?」

ドビーがもう片方の手でわたしの腕を掴んだ。

「僕たちは話さなければならないことがある。でも、今は時間が無いんだ。あとで追いかけるから」

行くって、どこに。

ダークブロンドの髪を腰まで伸ばした女の子と色黒の青年が、ポッターたちへ置いていけないと訴えている。
しかし突然、ポッターが苦しそうに額を抑えた。更に強い痛みが彼を襲っているようだ。意識がどこかへ飛んでしまっているようにも見える。そしてまたも上から聞こえてきた叫び声に呼び戻され、彼はハッとした。

「行ってくれ!」

ポッターの懇願に、2人の男女はドビーの傍に寄り、掴まった。

まさか。
この屋敷から遠くに、逃げるの。

わ た し も ?

事の成り行きを理解して、血の気が引いて行く。

「嫌!!! わたしはここに残して!!!」
「勇気を出すのです!!」

ドビーがわたしの腕を掴む力を強めたのを感じ、抵抗しようと力を入れた瞬間、目の前に広がる地下牢の景色ががぐにゃりと曲がって――もうドビーの手しか頼りがなかった。

気が付いたときには地面に転がり込んでいた。

潮の香に茫然とする。
辺りを見渡せば、残酷なほど美しい星空が広がっていた。

なんだ、なんだここは。

何をしてくれてるの?
わたしを、ヴォルデモート様のところに帰して。

「あなた方は先に『貝殻の家』へ。ドビーめはハリー・ポッターのところに戻らなくては」

わたし以外の全員がドビーから距離をとる。
女の子がわたしの背中に手を回して立ち上がらせようとしたことで正気に戻り、その手を振り払い、ドビーに掴み寄った。

「待って!!! わたしも連れて行って!!!」
「ナナシ殿、大丈夫です。奴らはここには来れない。貴女は安全なのです、自由なのです」
「違う、違うの、わたしは自分の意志であそこに戻りたいの……彼の傍にいたいの……」
「ハリー・ポッターはドビーめが必ず……」
「ポッターじゃない!!!」

悲痛な叫びに、ドビーはハッと息を潜めた。
その場にいた全員が、わたしの言う”彼”を想像して、緊張している。

「ねぇ。この子誰なの? あたしたちの味方なの?」

女の子がドビーに尋ねた。

「ナナシ殿は……」

ドビーも気づき始めたようだ。ずっと、ポッターを助ける為に、ヴォルデモートに抵抗する為に、わたしは情報を提供したんだと思い込んでいたんだろう。

「……違うと思います」

ドビーの代わりに答える。彼らの目を見ることができなかった。

「拘束した方が」

青年がそう呟くのを聞いて、青ざめる。

「わたしをここに置くのは、あなたたちにとって危険なことだと思います。ドビー!!! 連れて行って!!!」

ドビーに悩む時間は無かった。震える手でわたしの腕を掴むと、姿くらましを使った。

またも視界が目まぐるしく変わり体が狭いところに詰め込まれるような不快感に目を瞑って耐え、投げ出されたときには、あの湿った黴臭い地下牢に横たわっていた。

短時間に3度も姿くらましをしたことにより、体がビリビリと叫びを上げる。酷い痛みと吐き気に朦朧としつつも、屋敷に戻ってこれたことへの安堵感がわたしを救った。
ドビーにお礼を言おうとなんとか体を起こしたとき、額の辺りに指を向けられていることに気づいた。

「貴女様には忘れていただかなくてはなりません」

理解も抵抗もできないまま、目の前が白い光に覆われていった――――。

ドビーは意識を失ったナナシを丁寧に横たわらせると、ハリー・ポッターたちの元へ急ぐ。そして『貝殻の家』への逃亡を手助けすることに成功した。

そのほんの数秒後、ベラトリックスの呼び出しに応じたヴォルデモートが現れた。
ハリー・ポッターは間一髪、闇の帝王から逃げ果せたのだ。

ヴォルデモートは、まさに今まで戦闘していた様子で息を荒げる部下たちを見て、口を開く。

「何だ……この有様は?」
「我が君、」

つい、さっきまで、そこに、奴がいたというのに。
ベラトリックスは震えながら、怒りに顔を歪めた主人を小さく呼んだ。

「ポッター以外のことで呼び出すなと――そう言った筈だ」
「我が君、ポッターが、いたのです……ここに」

ヴォルデモートの目が見開かれる。

「いた、だと?」

ベラトリックスが過去形で答えた部分を反復して、彼は聞き返した。

「お前たち、揃いも揃って、奴に逃げられたと言うのか」

ヴォルデモートは激しい怒りに震えていた。
グリンデルバルトに嘲笑われ、ニワトコの杖を得ることもできず――――ポッターにまたも逃げられた。

「我が君、どうか――」
「黙れ!!!!!」

その激しい叫びは、地下牢で倒れていたナナシにまで届き、目を覚まさせた。

ここ、どこ。

寝転んだまま、暫くぼうっと真上を見つめる。体が軋み、嫌に重い。

上から怒号と人々の叫び声が耳に入ってきて、恐怖に身が竦んだ。

何が起きてるんだろう?

悲鳴を上げる体をなんとか起こして周りを見渡す。3つの小さな太陽のような、大きい蛍のようなものが、今にも消えそうに揺れていた。辺りを照らすには十分だ。

どうやらここは牢屋のようだ。
開け放たれた扉の前に何かが横たわっているのが見える。

人?

わたしと同じように気を失っているのだろう。起こせば、今の状況を教えてくれるかもしれない。

体を引きずるようにして近寄る。

揺り起こそうと覗き込んで、……全身の力が抜けた。

――死体――――。

その人は、銀色の腕で自らの首を絞め、目をひっくり返して息絶えていた。

「いやあああああああああああああ」

その悲鳴は真上にいたヴォルデモートに届く。彼は耳を疑った。

今の声は、ナナシ――?

何故、上の部屋に閉じ込めているナナシの声が、下から聞こえてくるのだ。管理はどうなっている。

あまりの怒りにヴォルデモートはルシウスの顔目掛けて力強く杖を振る。ルシウスは片目を抑えて痛みに叫んだ。

「俺様が許すまで、誰も動いてはならぬ」

ヴォルデモートは苦しみ悶える部下たちにそう伝えると地下牢へ急いだ。

ナナシは地下牢の扉の前で手と膝をついて呆然と震えていた。
その前にはワームテールの死体が転がっている。しかし今、ヴォルデモートにとってそんなことは気にも留まらなかった。

「何故お前がここにいる?」

問いかけにナナシは弾かれたように顔をあげると、ヴォルデモートを見て目を見開いた。
その人間離れした容姿を初めて見たかのように。

ヴォルデモートの胸がざわめいた。彼は自分の心臓の音が乱れるのを感じた。

「ナナシ」

名前を呼ばれても反応しない。困ったように眉根を寄せている。

そして暫くの沈黙のあと、ナナシは消え入りそうな声で呟いた。

「何も……わからない……」

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