Aspetti che io dorma?

(僕が眠るのを待っているの?)



ルフィの代わりに飛び出して行ったハトが喋る男性に耳を掴まれ、パウリーが痛そうに呻く声が僅かに聞こえてくる。呑気に安堵の声を漏らすルフィは、なぜ取り返しに行かなかったのかと責められ、両頬を思い切り引っ張られていた。
フランキー一家ーー船の解体屋で、副業として賞金稼ぎをやっており、海賊団ごと解体してしまうのだという彼ら。その頭であるフランキーは甘く見るなと言うアイスバーグの表情は険しい。彼程の人物がこうまで言うのだから、きっと相当の実力者に違いない。これ以上関わり合いにはなりたくないな。そう思うミリアを他所に、お金と2人の男を乗せたヤガラブルが戻ってきた。
シルクハットの男は無表情のまま当然のようにハトが喋り、驚きで口を大きく開けるルフィ。お詫びしろと突き飛ばされたパウリーは、しかし懲りずに礼なら1割寄越せと宣った。次の瞬間、盛大な音を立てて金槌が後頭部にぶつけられた。犯人はハトの男性である。ミリアが唖然として口元を覆うと、羽を器用に動かしてパウリーを指差しながら、ハトが嘴を開いた。

『失礼、お客さん。コイツァギャンブルで借金が嵩張ってるもんで、 金にガメつく礼儀を知らない』
「だから何でお前が喋るんだよ!!」

何度見ても驚きは消えないようで、ルフィは再びあんぐりと口を開いた。その前でパウリーが許さんと叫ぶと、先程のように袖からロープを出しハトの男性の手首に引っ掛けた。そのまま力強くロープを引くと、ハトの男性もまた引っ張られて宙を舞い、地面に勢いよく叩き付けられる。
さすがにまずいのでは、とナミが声を上げるが、アイスバーグはいつものことだとさして焦る様子もない。砂煙が晴れると、果たしてそこには腕一本で今の衝撃を受け止めている男性が。
あまりの力に恐怖さえ感じるウソップを尻目に、ルフィが2人の喧嘩に割って入った。バカにしたり挑発したりしたのはハトなのだから、男性を攻撃するのはおかしい。そうパウリーに怒ると、次は頭上を飛び回るハトに目を向け、喧嘩は自分でやれと叱った。的外れな、けれどもルフィらしい指摘に、ミリアは思わず笑みを零した。
さっと立ち上がった男性は、再び喧嘩を吹っ掛けようとするパウリーを無視してこちらを向く。パウリーはアイスバーグに止められていた。彼ーーいや、彼のハトが口を開くより先にミリアが口を開いた。

「腹話術、お上手ですね……?えっと、」

名前が分からずほんのり小首を傾げると、

『……おれはロブ・ル……!ハトのハットリ。こいつはロブ・ルッチ。ここで働いてる。よろしくなポッポー』
「今自分のこと人間みたいに言おうとした!ミリアの言う通り腹話術なのね!!」

その事実にルフィとウソップが歓声を上げ、全く気付かなかったと褒めそやす。が、ルッチは嬉しそうな顔をするでもなく、相変わらずの無表情で冷静にどうでもいいことだと答えた。

「なあミリア!お前なんで分かったんだ!?」
「なんでって……なんとなく?勘?」
「勘かよ!」

実際のところ、ミリアはハトのハットリが喋るということに違和感を覚えた。勿論ハトが喋るわけはないので当然と言えば当然なのだが、そうではなく、言葉にするにはあまりにも漠然とした齟齬、たとえ他のハトが喋ってもハットリだけは喋るはずはないという確信、そういった曖昧で誰かに伝えることなど到底叶わない感覚によって"腹話術"という答えに辿り着いたのだった。自分でさえよく分からないそれに、勘としか答えようもなく。
ふとミリアは、先程からずっとルッチに見られていることに気が付いた。見破られたことが珍しかったのだろうかと思いつつ、あまりにも見つめられるのでどことなく居心地の悪さを感じ、軽く会釈をした。するとそれまで何があってもーーたとえパウリーの攻撃を受けようと腹話術の腕を賞賛されようと動かなかった無表情な彼の、口角がほんのり上がった。まさかそんな反応を返されると思わなかったミリアは驚きで瞠目する。それは一瞬の出来事で、パウリーがルッチを"変人"と言って笑ったときには、すでに元の無表情へ戻ってしまっていた。たった一瞬、されど一瞬。冒険を前にしたときのような胸の高鳴りを感じ、ミリアはそっと胸元に手を置く。
が、次の瞬間ハレンチだと叫び出したパウリーに、胸の高鳴りは未だ残ってはいるものの、意識を持っていかれた。見ればナミを指差し足を出しすぎだのここは男の職場だのと怒鳴っていた。顔を真っ赤にさせる彼を宥めようとカリファが前に出るが、彼女の格好もまた彼にとってはハレンチ極まりなく、火に油を注ぐ結果となった。

「……ん?何やってんだミリア」
「なんとなく。なんかやだ」

さっとルフィの背に隠れたミリアだった。ナミやカリファのように露出することをあまり好まず、今日も膝下丈のロングワンピースだ。ハレンチ認定される可能性は低いだろう。しかしハレンチと喚かれるのは当然嫌なのだが、ハレンチではないと判断されるのもまた色気がないと言われているようで、色気があると言われたいわけではないものの、気分は下がってしまう。だから判定される前に、極力視界から消える。複雑な乙女心というやつである。
なんとかパウリーを宥め終え、漸く中に入ろうということになった。手動だったらしい巨大な門にルッチとパウリーが手を掛け、ゆっくりと押していく。そうして開け放たれた門の向こう、主力が集まり最も難しい依頼を受けるのだという1番ドックは、想像以上の広さと大きさを誇っていた。数え切れないほどの職人達が忙しそうに作業をしており、奥では巨大ガレオン船が造られている。圧巻の光景に4人は歓声を漏らす。
先頭を行くアイスバーグは、職人達にひっきりなしに声を掛けられている。職人達は彼への尊敬を忘れないーーカリファの言葉通り、アイスバーグはここに勤める全ての職人に慕われているようだった。

「すごい……」

造船技術も船の知識も人並みにしかないミリアだったが、それでも分かる。このガレーラカンパニーは、世界一を名乗るに相応しい造船会社だ、と。

『ありがとうポッポー』

不意に掛けられた声にぴくりと肩を揺らし、隣を見ればいつの間にいたのかルッチが変わらぬ無表情でそこにいた。ほんの少し視線を肩へとずらせば、そこに鎮座するハットリが誇らしげに胸を張っていて、彼もまた例に漏れず誇りに思っているのだろうことが伝わってくる。
本当に、すごい。もう一度呟いたミリアは、きょろきょろと周りを見回し、しかしどこを見ればいいのか分からず視線はルッチへ。逸らされることなくじっと見つめてくる彼に困惑と何故だか煩くなる心臓の音を感じながら、微笑んでみせた。すると再び上がる彼の口角。

『カクが査定に行っているなら、もうすぐ戻ってくるだろう。座っていればいいポッポー』
「あ、ありがとうございます……」

手持ち無沙汰なことに気が付いたのか、そう言ってミリアの手を引き自らの隣へ座らせるルッチ。軽い微笑に繋がれた手。ぶわりと顔が熱を持ち、不自然にならないよう手で仰ぐ。気を紛らわせるためにルフィの姿を探せば、無邪気にはしゃいで見学していた。ウソップもまた大砲に目を輝かせているようだ。

『……一つ、いいか?』
「はっはい、なんですか?」

折角意識を逸らしたというのに、話し掛けられたことで無意味となってしまった。常になく早い鼓動と頬の火照りをどうにもできないまま、彼の視線を受け止めた。だが、それらは次の瞬間あっという間に消え失せることとなる。

『ーーどうして海賊をやっているんだ?ポッポー』
「え……」
『航海は危険だろう?海賊であれば尚更だ。なぜ自らそんな危険に飛び込むのか、気になってな』

訊ねられるとは思いもしなかったことで、すっと指先が冷えるのを感じた。どこか真剣な様子の彼から目を逸らし、膝を抱える。俯く顔は髪で隠れて見えない。

「……わからない、んです。わたしには、皆みたいな崇高な夢なんてないのに。ルフィの勢いに流されるまま、ここまで来てしまった……なんて、人のせいにするのは良くないですね。確かに自分の意思で船に乗っているのに。でも、わたしはきっと……あの船にいちゃいけない」

ずっと思っていたことだった。リヴァース・マウンテンを超える直前の光景が蘇る。ひとりひとりが自らの夢を声高々に宣言する中、ミリアの出した結論は「皆の夢を、見届けること」。そんなもの、夢と言えるだろうか?否、言えないだろう。
だから、自分にはこの船にいる資格があるのだろうかと悩みながら、誰にも言えないでいた。優しい彼らは当然だと断言するに決まっているのだから。
しかしーー父クザンとの遭遇で、やはり麦わらの一味には相応しくないのだと悟っていた。いるべきではないのだと。さりとて船を下りる勇気もなく、こうして行動を共にしてしまっている。

「いっそのこと、誰かわたしが一味を脱退せざるを得ない状況にしてくれないかな、なんて」

人任せにするのも良くないですよね、そう言って儚く微笑んだミリアの隣、ルッチは誰にも気づかれぬよう、そっと笑った。