Me ne devo fare una ragione?

(私は諦めなければならないのでしょうか?)



会ったばかりの相手に迷惑は掛けられない、と自重していたのが嘘のように、ミリアの口からはするすると一味の身に起きた出来事が語られていた。少量とは言え、お酒の力に手伝われたのかもしれない
メリー号の件とウソップが連れ去られた件は既に知っており、また状況からして2億は奪われてしまったのだろうと予測していたルッチは、さしたる驚きもなく耳を傾ける。その無表情からは、彼が何を思っているのか窺い知ることはできない。
そして話はルフィとウソップによる決闘へ移る。どちらの気持ちも決意も理解できる、ゆえに止めることなどできなかった。しかしどんな手段を使ってでも止めるべきだったのではないかという後悔。自分が少しでも2人の間に入り仲裁役を務めていたなら、多少なりともましな結果に至ったのではないか。そう嘆くミリアの目からは、いくら拭えども止まらない涙が。不意に頭に置かれた無骨な手が、何度も優しく撫でる。与えられた温もりに、ミリアはとうとう嗚咽を漏らし完全に泣き出した。
暫く頭を撫でられながら顔を覆って泣いていたミリアが、くぐもった声で呟いた。

「明日の夕刻、」
「……」
「明日の夕刻まで、なんです。わたしが、彼らといられるのは……」

CP9を名乗る仮面の人物から告げられた伝言。明日の夕刻から深夜にかけて、ブルー駅より海列車に乗ってエニエス・ロビーへ。罪人としての連行ではなく、大将青キジの息女として、彼らに保護される。
まるでルフィ達に攫われたかのような扱いである。確かに海賊となったのはルフィの存在が大きい、いや、大半を占める。だが、これまで船に乗り続けてきたのは間違いなく自らの意思である。とは言っても、政府からすれば大将の娘が海賊などというスキャンダルを許せるはずもなく、また事実を捻じ曲げ捏造することなど容易いのだろう。特に海賊が相手ならば。

『"いっそのこと、誰かわたしが一味を脱退せざるを得ない状況にしてくれないかな"』
「え、」
『そう言っていただろう、昼間』

いい機会なんじゃないか、言外にそう告げる彼に、ミリアは驚きが勝って涙が止まってしまった。あの昼間の雑談の内容を、まさか彼が覚えているとは思いもしなかったのである。目をぱちぱちさせるミリアに、今度はルッチの方が首を傾ける。

「それはそう、なんですけど……こんな、一味が崩壊しそうなときに……」
『なら一味が万全の状態のときに告げられて、それならお前は素直に従ったか?』
「……」
『きっと無理だろう。見ていれば分かるッポー』

ミリア自身はもちろん、船長や他の仲間が許すかと言えば否である。彼らがはいそうですかと見送るわけがない。それならばいっそ、一味が混乱に陥っている最中に姿を消してしまう方が、余計な足止めも食らわずミリアが心を決めるだけで終わるとルッチは言う。
彼の言うことは尤もだ。理に適っている。ミリアだって分かっている。だが、

『あいつらと別れるのは辛いか?』

この一言が全てだった。
メリーがもう直せないと、乗り換えなければならないと告げられたとき、胸が張り裂けそうなほど辛かった。痛かった。何もしてあげられない自分を殴りたかった。そんなミリアが、一味そのものと決別しなければならない現実に胸を裂かれないはずがなかったのだ。
それに不安もある。戻れば、大将の娘として恙無く生活していけるだろう。だが表向き"攫われた"とするにしても、真実を知る者は少なからずいるはずだ。そんな人から誹謗中傷を受けるだろうことは想像に難くない。祖父は気にするなと笑って済ますかもしれない。しかし、父との関係も悪化してしまうのではーーいや、もうすでに悪化しているのでは、と思う。あの、ロングリングロングランドで相対したときから。
だから怖い。居場所をなくしてしまうことが、味方のいない場所へ行くことが、酷く恐ろしい。

「彼らと別れることの覚悟は、明日の夕刻までには必ず固めます。いえ……もしかしたらそれは、諦めなのかもしれません……」
『……そうか』
「でも、だけど今は、」

決闘の最中に泣いていたナミとチョッパー。決着がついたあとに耐えきれず涙を流していたルフィとウソップ。泣きこそしなかったが、ぐっと何かに耐えるように拳を握り締めていたゾロとサンジ。そしてーー船上で最後に見た、笑顔のロビン。彼らを思い出し、ふっと笑った。

「許す限りーー許される限り、わたしは彼らを見捨てたくない」

これはただのエゴだ。何かできるわけでもない、現状を打破することなど到底できないミリアが、それでもぎりぎりまで彼らと共にいることを望むのは。
ルッチはそれ以上、何かを言うことはなかった。ただ飲めとばかりに空となったグラスにウイスキーが注がれ、ミリアもぐっと一息に煽る。それを何度か続けていれば、次第に重くなる瞼。いつの間にかグラスの中身が琥珀色から無色透明に変わっていたことにも気付かぬまま、ミリアは船を漕ぎ出す。無意識にか抱きつく形で倒れ込んできたミリアの体を抱きとめ、ルッチはそっと膝枕の形に直す。優しい手つきで髪を梳く彼の表情は、愛しい恋人を前にしたように優しく甘やか。
からんと音を立てたルッチのグラス。彼が何を思うかは、相棒のハトしか知らぬことだった。



ハトの鳴き声で目が覚めた。くるっぽーと鳴く声に瞼を押し上げれば、見下ろす二対の瞳と目が合う。暫し固まるミリア。状況を理解した瞬間、声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。

「るっ……!?る、えっ、ルッチさ……!?」

大混乱のミリアを落ち着かせるためかぽんぽんと頭を撫でられるが、逆効果である。言葉に成り損なった音が口から漏れ、仕舞いにはぐるぐると目を回してしまった。仕方なくソファから立ち上がるルッチは、キンキンに冷えた水を持ってきた。

『とりあえず落ち着けポッポー』

持たされたそれの冷たさに徐々に平静さを取り戻す。一口飲み込んだミリアは火照った頬に手を当て、ほうっと息を吐き出した。理解してしまえばなんということはない、酔い潰れて眠ってしまったミリアに膝枕をしてくれていた、というだけのことだ。取り乱したことに羞恥を覚えながら、ミリアは礼を口にする。気にするな、言葉と同時にハットリがやって来て、ミリアの太腿に止まった。撫でてやれば、もっとと強請るように頭を押し付けられる。愛らしさに頬が綻ぶのは当然だった。
ハットリと戯れつつ、宿の名を告げ道を訊ねる。すると、ルッチは送って行くと言う。そこまで迷惑は掛けられない、断るミリアだったが、気にするなと言う彼がもうすでに出掛ける体勢に入っているため諦めた。
夜明け前の薄暗い町を歩く。早朝のウォーターセブンは、昼間とは打って変わって静かだ。

「わたし、なんだかあなたのことを知っているような気がするんです」

静けさを乱さぬよう、小さな声でミリアは囁く。

「幼い頃も、こうやって慰めてくれた人がいた気がして……」
『……思い出か?』
「いえ。それが、その……憶えて、いなくて。でも、そんな人がーーそんなお兄さんがいたような気がするんです」

幼少時の記憶はなぜだか"普通"よりも不明瞭だ。忘れてしまっていることも多いのだろうとミリアは思う。その人物のことも、自分より年上のお兄さんであったことくらいしか現状思い出せていなかった。それも、夢に出てきたからというなんとも不安定かつ曖昧な理由で。
だが、あのとき、本当に捕まえる気はなさそうにしていたクザンの顔色が変わったのは、そのことを包み隠さず話したことも要因なのではないか。思い出さないと思っていたことを、朧気ではあるが思い出しかけている。そのことが、クザンの考えを変えさせたのではないか。あれから、ミリアはその考えを持ち続けていた。時折翳りが見えたのには、そういった理由もあった。
黙り込むルッチからは何を考えているのかさっぱり読み取れないが、言葉を求めていたわけではなかったので構わなかった。ただ、誰かに話したかった。昨日のことを全て打ち明けたように、彼に聞いてほしくなった。

「……あ、」

暫く無言で歩いていた2人だったが、ミリアが呟いたと思えば急に立ち止まった。どうしたのかとルッチが振り向けば、ミリアの目線は向こう岸の前方を行く金髪の男に向けられていた。

『どうした?』
「あ、いえ……仲間が、いたので」
『ああ、あいつか?』
「はい。頼れるコックさんですよ」

おどけて言うミリアは、じゃあ、と頭を下げた。

「昨夜のことも、送って頂いたことも、本当にありがとうございました」
『いや。おれがしたいと思ったからしただけだッポー』

なんて優しい人なのだろう。ルッチのどこまでも紳士的な態度とまたねと言うように羽を振るハットリに胸をときめかせ、ミリアはサンジの元へ足を進めた。

「あれ?どうして彼、まるで伝言の中身を知っているみたいに……」

その答えは、夜の訪れで明かされるのだった。