守りたいから弱くいてくれ/ロビン

賞金首であることなどはじめから知っていた。たった8歳の少女に7900万。軍艦を沈めた云々の真偽も定かではない理由も相俟って、当時は世間へそれなりの衝撃を与えていたものだ。たかが少女と侮り一攫千金を狙う者、されど少女と世界政府がそれだけの額を付けたのだから相応の危険性がある筈だと警戒し嫌悪する者、三者三様ではあったが、賞金稼ぎなどを生業としているような輩の間では、そのような反応が大半であった。
そんな中で死にかけの少女を拾ったのは、今思えば……けれど当時の私にとってはただの気紛れ、なんとなく、である。森の外れに倒れ込んでいたその身体は小さく、痩せ細り、傷だらけで、昔の自分を見ているようで、見ていられなかった。だから抱え上げて連れ帰り、傷の手当を施しベッドへ寝かせた。服も変えてあげようかと思ったが、同性とは言え初対面の相手に身ぐるみ剥がされるのは子どもと雖も嫌だろうとさすがにやめておいた。
その夜は酷い熱だった。栄養不足に過労にストレス、体調を崩すには充分過ぎる。冷たい水に浸したタオルをきつく絞り、額に置く。そんな単純な作業も他人にするのは初めてで、誰かにしてもらった記憶もなく、加減がわからなくて苦労した。念の為と用意したお粥はすっかり冷めきって、染み付いた勿体ない精神で結局私が完食した。塩っ辛くて、とてもではないが誰かに食べさせられるような代物ではなかったので、まあ結果オーライか。顔を赤くし、苦しげに熱い息を吐き出しながら、熱に浮かされているとは思えないほど少女は静かだった。譫言も言わなかった。「おかあさん」ただひとこと、それ以外は。
鳥の声で目が覚めた。なんともありきたりな朝である。知らず眠ってしまっていたらしい。とりあえず一晩中は様子を見ていようと思っていたのだが、意志薄弱過ぎる。寝てしまっていたのは仕方ない、朝食でも作るか。そう思って伸びをしようと上体を起こした。

「……なんだ、起きてたの」

黒々とした瞳でーー警戒を隠しきれない瞳で真っ直ぐに私を見つめる少女がいた。
とりあえず少女の額に手を置く。伸ばした瞬間びくりと体が震えたことも、触れた瞬間に強ばったことも、素知らぬ振りをした。熱はすっかり下がっている。が、油断は禁物だろう。念の為体温計を咥えさせ、私は立ち上がった。今度こそ食べさせるためのお粥作りだ。昨晩の明らかな失敗作を踏まえ、ちょっと味付けを薄くする。味見もしてみる。この工程をすっ飛ばしていたあたり、昨夜は自分のした行動に気が動転していたのかもしれない。気紛れでも、これまでならそんな危険因子を抱き込むような真似はしなかった。
作り終え、体温計を確認すれば微熱程度だった。ベッド脇に熱々の卵粥の入ったお椀を置く。食べなよ。そう言い残して自分の朝食に取り掛かった。トースト1枚にバターを塗っただけの簡易なものだ。それにコーヒー、こちらもインスタント。その二つを手に戻ってみれば、まだ湯気の立つお粥は、全く手を付けられていなかった。空腹は相当なものだろうに。ぎゅうと握り締められた拳は、小さく脆い。

「毒なんて入ってない。味も悪くはない、と思う。……食べなきゃ死ぬよ。ただでさえ弱ってたところに熱まで出したんだから、体力奪われてるでしょ」

少女は何も言わない。俯いているせいで表情も分からない。私は溜め息を吐き出した。

「海軍に突き出す気なら、そもそも家に連れ帰ったりしない。拾ったその足で屯所にでも連れてくさ」

いいからお食べ。その言葉にゆるゆると上げられた頭。警戒と不安と恐怖と。それからーーなんだろう。何かが浮かんだ瞳で私を見て、ようやくお粥へと手を伸ばしたのだった。
そんな風にして始まった共同生活は、最初はともかくとして、案外に心地の良いものだった。元から賢く察しの良い子だったのだろう、線引きを超えてくるようなこともなく、探り探りで見つけたちょうど良い距離感を上手く保っていた。

「なまえさん。出来たよ」
「ん、……美味しい」

私よりも料理が上手い。簡易なものやインスタントばかり食べていた、三食トーストなんてこともざらにあった私だったが、少女が加わってからちゃんと料理と呼べるものを食べるようになった。目を細めて頭を撫でてあげると、少女は照れたように口を噤んで静かに笑う。あの日から半年が過ぎ、気付けば、なまえさん、ロビン、と、そう呼び合うまでになっていた。
平穏な日々を崩したのは、ひとりの海兵の訪問だった。戸を叩く音が響き、私はロビンへ目配せする。決して広くはない家だ。ひょい、と覗き込まれでもしたら見られる可能性があった。だから、クローゼットに身を隠す必要がある。
玄関扉を開ければ、敬礼の姿勢をとる海兵。この島にいる海兵の顔は覚えていたはずだが、見たことがなかった。新兵かとも思ったが、服装からしてその可能性は低かった。

「何の用?」
「この島にかのニコ・ロビンがいるとの情報を受け派遣されました。何かご存知ではありませんか?」
「へえ、あの悪魔の子が?私は見たことないけど……」
「そうですか。見掛けましたらすぐに海軍へ通報を。宜しくお願い致します」

どこから漏れたんだか。私が匿っているとまでは知られていないようでーーもし知られていたら強行突破の家宅捜索されていただろうーーこれは暫く様子を見て、落ち着いてきたらこの島ともおさらばかな。そう思い、少しずつ荷物を纏める。ロビンも私の考えを察したのか、何も言わず衣服を鞄に詰めていた。
お世辞にも広いとは言えないベッドにふたり寝転んで、私はロビンの腹辺りを優しくぽんぽんと叩く。そこまで幼くはないが、これ以外に子どもの添い寝の仕方が思い付かなかった。

「おやすみロビン」
「おやすみ、なまえさん」

ゆるりと微笑む。子ども体温をその腕に、ゆったりと夢の中に沈んでいった。
まだ薄暗い早朝。起きるには些か早いが、なにやら胸騒ぎを感じて目が覚めた。なんだかやけに隣が寒い。手を伸ばした先には冷たいシーツのみ。

「ロビン?」

少女の姿はなかった。置き手紙も何もない。衣服を詰めていた鞄も、申し訳程度の私物も、何も。忽然と姿を消していた。
あの海兵の訪問に危機感を感じ、もしかしたら私の心変わりを恐れ、無言で去ったのかもしれない。それに対し、なにか文句を言おうだなんてことは思わなかった。仇で返すとまでは言わないが、恩を返されなかったことに、不思議と怒りだとか不満だとか、そういった攻撃的な負の感情が湧き上がることは終ぞなかった。
ただ、私では君の宿り木にはなれなかったのだね、という、落胆にも似た感情だけがすとんと胸の内に落とし込まれていった。
あれから十数年。やんちゃしていたかつてに比べれば私もだいぶんと落ち着いていた。結婚して家庭を持って、だなんてことは結局しなかったが、それなりに安定した生活を送れている。とは言っても腕っ節が鈍ることはなく、賞金稼ぎは続けていた。染み付いたものだ、なかなか辞められるものではない。
気付けば刷新されていた手配書を片手に、私は彼女と対峙していた。すっかり大人の女になっていて、そりゃあ私も歳をとるわけだと、親戚のおばさんのようなことを考える。
麦わらの一味、悪魔の子、ニコ・ロビン。

「随分とやんちゃしてきたんだね」

麦わらのルフィと言えば話題の尽きない男だ。懸賞金アベレージ300万の最弱の海、東の海において初頭手配で3000万、次いで何を仕出かしたのか一億、そして政府の司法機関を壊滅させて三億、きっとまだまだ暴れ回って更に更新されていくことだろう。そんな男の船に乗ることを選んだ彼女もまた、更なる高額賞金首となっていくだろう。
そこにいたのは、あの震えていた幼き少女ではない、もはや私の庇護など必要としていない、強さも自信も宿して、帰る場所をーー自分の居場所を見つけた、ひとりの立派な女性だった。

「あなたに似たみたい」

ねえ、ずっとあなたに訊きたかったの。

「あのとき、どうしてわたしを助けたの?」
「理由なんてないよ」

きっとそれが嘘だと気付いている。聡明な彼女は見抜いている。けれど何も言わず、ただ微笑んでいた。柔らかな笑みだった。
遠くで、彼女の名を呼ぶ麦わらの船長の声が聞こえた。


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