銃口からたなびくオーロラ/ルッチ

夜の空気は心地がいい。肌に馴染む。肺を大きく膨らませるようにして息を吸い込んだ。昼間は息が苦しくて仕方がない。末端の神経が麻痺してしまいそうになる。だから、日が沈むたびにこうして深く呼吸を繰り返す。宵闇を体内に取り込んで、細胞という細胞へ行き渡らせる。間違っても惑わされぬよう。私の生きる世界はこちらだと、傾き掛けた心を正すよう。そうしなければならない時点で、最早手遅れであるという現実には目を瞑った。
五年も潜んでここまで手掛かりが何もないとは、考えたくはないが長官の思い違いなのではという気もしてくる。思わずぽつりと零した私に、ブルーノは肯定も否定もなく、ただ曖昧に笑って流していた。そんなわけないと笑い飛ばせないのは、長官の人となりをよく知っているからで。仮にそうだとして、私たちの"仕事"に支障が出るわけでもなし。ただ言われるがままに潜み殺し最後は闇へと消える。それだけのことだ。上の思惑など知ったことではない。
私は『恋人』から貰った葉巻を灰皿に置いた。『恋人』自身も吸っている、そこらで買えるありふれた物だ。万年借金取りに追われているような男が、洒落たプレゼントを買うお金など持ち合わせているはずもない。彼には鼻で笑われた。私は呆れてものも言えなかった。正直そんなに美味くもない。けれど、そんなものでさえ今では愛おしく思えてしまうのだから、私は相当絆されてしまっているのかもしれなかった。
何の進展もない形だけの定例会議を終えブルーノの酒場を出ると、彼が私の腕を引いた。「何、」言葉はなく、思わず顔を顰めてしまう程その手に込められた力は強い。「あやつも大変じゃのう」「セクハラね」そんな同僚の声を背に、そのままずんずんと進んでいくものだから、抵抗などできるはずもなくーーそんなことをすればどんな目に遭うかわかったものではない。彼は猛獣なのだーー気付けば彼の借りている一室まで来ていた。仮にも『恋人』のいる身で男性の部屋にふたりきり、というのは如何なものか。そんな抗議も込めて彼を睨み付けた。が、痛くも痒くもないという風で、しなやかな指先に顎を掬われた。目前まで迫った端正な顔。

「あの葉巻……随分と入れ込んでいるようだな」
「……物に罪はないもの。それに『恋人』なんだから、当然でしょ」
「役目というだけーーたまたまあの男の琴線に触れたのがお前だったというだけだ」

忘れんじゃねェ、言葉と共に牙を向いた彼に、私は為す術なく貪り食われたのである。
カーテン越しに差し込む朝日が眩しい。朝に弱い彼と違って私はそれなりに寝起きがいいのだ。隣で眠る彼を起こさぬよう、細心の注意を払って上体を起こす。微かに響く痛みが昨夜を思い出させたが、それに恥じらいを覚えるほどの淑やかさはずっと昔に捨て去った。とっくに可燃ごみと共に燃やされ灰にでもなっていることだろう。
ベッドの周りに放られた下着を掴む。身に付けようとして、気付いた。

「痕」

不意に腕を引かれ、シーツの海へ逆戻り。あァ、と彼は耳許に唇を寄せた。起きたの、そう声を掛ける間もなく、寝起き特有の掠れた声が脳を痺れさせる。

「どうせ気付きやしねェさ」

初心を売りにしているような男だ。当然そういった行為に発展したことはない。キスはおろか、この間ようやく恋人繋ぎが出来るようになった程度なのだから。こんな際どい位置に刻まれた痕など気付けと言う方が酷な話だろう。私も彼もそれをよくよく分かっている。だから私は彼との関係を続けているのだった。

「酷いひと」
「お前もな」

笑いあってキスを交わした。幾度と繰り返した行為、裏切りの味はもはや感じなかった。
進展があったのはその日の夜。長官からの指令により、任務は一歩も二歩もーー否、それは進展などという生ぬるいものではなく、完了へ向けての急激な加速に違いなかった。翌日、長官の言葉通り麦わらの一味がこの街を訪れた。手筈通りニコ・ロビンを脅し、半ば強引に協定を結ぶ。ブルーノがニコ・ロビンを連れてきたときも、彼が協定の内容を説明している間も、私には薄い膜が掛かって見えた。現実味がなかった。つい先日まで全ては長官の思い違いで、実はアイスバーグ氏は本当に何も持っていないし何も知らないのではないか、なんて希望的観測を抱き、あまつさえそれをぽつりと零してしまうような有り様だったのだ。この五年間はなんだったのかと思うほどの急展開に脳が着いていかなかった。
いやまだわからない、持っているという確証があるわけではない。だなんて、ここまで来て今更。アイスバーグ氏暗殺未遂の記事を眺めながら、私は深く息を吐き出した。ブルーノとニコ・ロビンの仕業。アイスバーグ氏の焦燥感を煽り、麦わらの一味に罪を被せるため。彼もカクもカリファも、アイスバーグ氏を心配する素振りを見せながら、その実今夜、暗殺を決行することになんの迷いもない。

「お前は避難してろよ」

今夜にはアクア・ラグナも来るだろう。アイスバーグ氏の警護のため不寝の番をする船大工たち。もちろん職長のひとりである『恋人』もだ。一瞬だけ、本当に一瞬、私の所へ顔を見せた『恋人』は、苦虫を噛み潰したような顔でそう言って、またガレーラの本社へ戻って行った。
馬鹿な人。アイスバーグ氏の真の暗殺犯が誰かも知らないで。私が裏切り者だと知らないで。良くも悪くも真っ直ぐな男の背を見送って、私は小さく項垂れた。これでいいのだ。気付かれてしまったら消さなければならなくなる。だから、最後まで、『恋人』だと仕事仲間だとそう思ってもらわなければ。けれど……気付いてほしかった、そう思ってしまうのは、何故だろうか。

「殺してやろうか」

思わず間抜けな声が漏れる。被り物の奥から覗く瞳は鋭い。急に何。努めて冷静を装い、私は被り物を手に取る。合図はもうすぐだ。気を引き締めなければ。失敗は許されない。そんな私の手を、彼の武骨な手が掴んだ。

「殺してやろうか」
「……さっきから何?」
「迷ってんだろう。だからおれが殺してやろうかと言ってる。お前も彼奴も。……絆されやがって」

舌打ち混じりに吐き捨てられた言葉は、自覚しながらも目を背けていたことだった。
『恋人』は優しかった。手も繋げない、露出の多い服にはすぐ苦言を呈す、ギャンブル狂いで借金が多い、駄目駄目なところばかりな男だったが、それでも。真っ直ぐだった。純粋だった。疑うことを知らない目。真っ赤になりながら好きだと、たどたどしく告げる声。どろどろとした闇しか知らなかった私に、その姿はあまりに眩しかった。もっといたいなあ、愛を育んでいきたい、このまま、普通に家庭を築いていきたい。そんなことを頭の片隅で考えてしまうくらいには、私は『恋人』のことが好きになっていた。好きに、なってしまっていた。

「……優しいのね。でも遠慮しておくわ」

太陽のような『恋人』と闇に染まりきった私では、きっと逝く先は同じではないから。

「共に生きたいと思ったのはパウリーだけど、共に死にたいと思うのは貴方よ、ルッチ」
「……フン」

おれが死ぬ時はお前を殺していく。囁かれた言葉は、愛と呼ぶには物騒が過ぎる。楽しみにしてるわ。小さく微笑んだ。元より真っ当な最期など望んでいない。私は彼の血に塗れた指先に、そっとキスをした。いつか私を貫く弾丸、私の命を刈り取る闇の使者。……今は、まだ。


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