呼吸するように嘘を吐いた/ルッチ

きっと仕方の無いことなのだ。彼の所属を、思想を、生き様を、思えば当然のことだった。あまりにも今更過ぎる。忘れていたわけでもあるまいに。
それはふとした瞬間だった。いつものように、彼のため夕食を作っていたとき。唐突に目の前が真っ暗になって、浮遊感。次の瞬間には強烈な赤色に囲まれていた。その赤が炎だと気付いたのは、ゆらり揺らめく様が見て取れたからだ。認識した途端にじりりと肌を焦がす熱を感じ始める。思わず服に守られていない二の腕を擦りながら目を凝らしたその奥、見慣れない格好の彼がやけにゆったりとした所作で歩いてくるのが分かった。炎に照らされた指先は赤い。ぽたり、滴る音がやけに大きく響いた。

「るっち、」

広大な砂漠でひとり遭難したかの如くからからに乾いた口内、果たして上手く舌は動いてくれたのか。自分では分からなかったが、彼の反応を見るに発声発音共に問題なかったようである。三歩程の間を空けて彼は立ち止まった。じっと見つめる。被り物の奥の瞳を、彼の眼差しを。

「何故来た」

いろいろと思うところはあったのだろう。たとえば、何故彼がルッチだと分かったのか、とか。けれどもそれらを無視して、つまり自身をロブ・ルッチであると認めた上で、この現場に私が来た理由を問うた。それはたぶん、彼なりの私に対する愛ーー誠実さなのだ。ずっとそうだった。嘘だらけの彼だったけれども、あれ、と私が見抜いたことには正直でいてくれた。最たるものが腹話術。私が腹話術、延いては本当は話せることまで見抜いたら、翌日から私と二人きりのときに限ってではあるが、ハットリを介さず喋ってくれるようになった。
それもこれも、私はズルをしている。その点においてのみ、彼よりも私の方が狡い人間であろう。始めから全て知っていたーーその事実を今の今まで、そしてこれから先もずっと、伏せ続けるつもりでいる私の方が。
息を吸う。質問に答えるために。肺を満たす空気は熱を孕んで内側から焼いていく。反面、胸底は氷を飲んだように冷えていた。どう転んでも、どんな弁明をしようとも、結末は見えきっていた。

「あの、あのね、」

言葉が詰まって吐き出せない。ちゃんと言わなきゃ、そう思うのに。
はあ、と深い溜め息。彼が一歩、また一歩と近付いてくる。呆れられてしまったのだろうか。面倒くさい女だと、最後の最後で見放されてしまったのだろうか。嫌われてしまったのだろうか。それだけは、嫌だと思った。ほろりと溢れる涙。ああ、もう、本当に。今の私は、意思に反して彼が嫌いそうな女に成り下がっている。

「あのね、ルッチ、っ!?」

尚も言葉を紡ごうと足掻く私は、けれどそれごと息を飲んだ。彼の逞しい腕に引き寄せられ、胸元に顔を寄せる形となったからだった。咄嗟に背中へ回した手。普段とは違う手触りに胸が一杯になった。

「詳しいことは話せない。だが、おれにはお前を殺すことができない」
「そ、れは、……」
「全て忘れろ。ここで起きること、これまでのこと、全て」

あなたのことも?震える声で問いかけた私の背を、ゆっくりと、聞き分けの悪い幼児を宥めるかの如く撫でる。私はもう、それ以上なにも言えなかった。言う資格もなかった。これから起ころうとしていること、彼が犯すこと、その末路。知っていてなにひとつ告げないままの、狡い私には。
きっと殺されるだろうと思っていた。所詮カモフラージュのための恋人なんて。それなのに、彼は……その方がどれだけ救われたか。どうせ忘れられやしないのに、忘れたフリをして、この先の、どれだけ長いかも分からない人生を生きていけと言うの。酷い男、心の中で小さく呟いた。
名残惜しむように腕の力が緩められ、私と彼の間に隙間ができる。見上げれば牛の被り物が邪魔で、手を伸ばした。抵抗もなく、驚くほどすんなりと外される。ようやく現れた素顔。見慣れた彫りの深い面。それでも私は、そんな酷い男のことが心底いとおしい。
そこで私は、やっと、小さく、笑うことができたのだった。



「なまえ?」

不意に耳へと届いた声。先程まで聞いていたものと同じで、けれどどこかが違う。世界政府の諜報員としてではない、この街の船大工としての、彼。その差を敏感に察してしまうのは、きっと。

「……ルッチ」

いつの間に帰っていたのか。もうそんな時間なのか。時間感覚さえ失われていたことに愕然とする。白昼夢、夢と付くのだから当然か。初めての体験だったが、あまりにも鮮明で五感もはっきりしていて、もしかしたら噂に聞く特典というやつなのかもしれない。
へたり込んでいる私の太ももに、彼の愛鳩が止まった。

「どうした」
「ううん。なんでもないの」

少し立ちくらみがして、ちょっと、立ち上がるのが億劫になってしまって、ただ、それだけ。
俯く私を軽々抱き上げた彼は、ソファに座らせた後ホットココアを持って来てくれた。体調が優れないなら病院に行くか?頭を撫でながら問うてくる彼は本当に優しい。

「大丈夫。貴方の隣で休んでいたら、落ち着くから」

偽りだらけでもいい。私だって同じこと。秘密なら積もるほどに抱えている。だから、今はただ、傍らの温もりにうっとりと瞼を閉じるだけ。
そうして何事も無かったかのように振舞った。



ルッチのお話は
「きっと仕方の無いことなのだ」で始まり「そうして何事も無かったかのように振舞った」で終わります。
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