遠い夏の夢の向こう/L

夏祭りが聴きたいな。ふと思った。のですぐさま検索してみた。のだが、残念なことにこちらの世界にその曲は存在していないらしかった。それらしきものの影も形もない。ああ悲しい。物凄く悲しい。ここでの暮らしに特段不満などなかったーーいずれ主人公に殺されるか、そうでなくとも将来的にここを出ていかなければならないだろうと分かっていることは別としてーーが、これは非常に悲しい。涙腺の緩い私は呆気なく泣いてしまう。大好きだったのになあ。ちなみにこの曲を知ったのは某太鼓ゲームであり、よく聴いていたのはカバーの方である。勿論原曲も好きだが。
甘酸っぱい青春、憧れたものだ。実際にはそんな経験一度としてなく、夏祭りは幼稚園からの仲良し四人組で回るのが毎年恒例だった。楽しかったな、綿菓子食べたりかき氷でキーンとなったりフランクフルトや焼きそば、それにチョコバナナ……あれ、食べ物ばかりでは?いやいやそんなことはない、金魚掬いだってしたしーー私は下手くそでいつも一匹も掬えず仕舞いだったーー浴衣を見せ合いっこしたこともある。何より打ち上げ花火の美しさは、今でも鮮明に思い出せるくらいだ。最後にあの三人と見た打ち上げ花火、今までにないほど大きかったから特に印象に残っている。……そういえば、こっちの世界に飛ばされたのはあの祭りのあと、気紛れに立ち寄った神社でずっこけたからだったっけ。いや、神社とかずっこけたとかは偶然に過ぎないだろうけれど。
そんなことをうだうだ考えていると、私を拾った張本人がノックもなしに不法侵入してきた。いくらこの家が彼の持ち物で私は完全なる居候であるとはいえ、乙女の部屋に何の断りもなく入ってくるなんて。と、少し前までは怒っていた。しかしこれももう慣れたものだ。何せここで暮らし始めてもうすぐ一年、家主の奔放さというか、非常識さにも自然慣れるというものだ。慣れたというか、呆れたというか。どうせ私など女として見られていないのだろうから、取り繕うのも面倒になった。ベッドに寝転がったままの私に、けれど彼は何も言わない。
何も言わずソファに座り、暫くすると何も言わず出ていく。それが彼の謎の習慣だった。私が異世界人だから観察しているのだろうか。これがファンタジー世界の住人だったら気持ちも分からなくもないが、残念ながらと言うべきか、私の元いた世界とこの世界はよく似ていて、というかほぼそのままで、時折先程のような些細な差異があるくらいなものだから、彼の興味を引くようなことは何も無いと思うのだけど。そもそも最初の尋問でそんなことは分かっているはずなのに。天才の考えることはよく分からない。

「……その曲、お好きなんですか?」
「はあ……?」

思わずガラの悪い返事をしてしまった。いきなり話しかけてくる方が悪い。いつもは常時無言のくせに。

「その曲、って……私、口ずさんでました?」
「ええ」
「わー恥ずかしい」

無意識に歌っていて、聴かれていて、それについて訊かれるなんて。恥ずかしさの三乗だ。まあ確かに頭の中では流していた。足もそれに合わせてぱたぱたと動かしていた。

「大好きですよー夏の定番曲です。きーみがーいたなーつはー……あーあ、もう二度と聴けないかもしれないなんて……」
「こちらには存在していないのですか」
「そうなんですー!もう酷い。こんなにそっくりなのに」

よりによってこの曲が、なんてボヤいていれば、行きたいですか、と。すぐ傍で聞こえた声にびっくりして顔を向けると、今までで一番の至近距離に顔があってまたしてもびっくり。体を跳ねさせて飛び起きた。心臓がばくばくいっている。顔が熱い。潔癖症のくせにパーソナルスペースがおかしいというか、他人のプライバシーを侵すのに躊躇いがないというか。原作でもそうだったしな……顔面が良くなかったら蹴りのひとつでもかましていたかもしれない。イケメンっていうのはそれだけで得だ。まあ原作者曰く「美形じゃない」がコンセプトらしいけども。普通に整っちゃってますよ。

「行きたいですか、って……夏祭りですか?」
「はい」
「そりゃまあ、行きたくないと言えば嘘になりますけど」

毎年予定を合わせて行っていたのだから。

「行きたいって言ったら連れて行ってくれるんですか」
「無理ですね」

でしょうね。分かってたよそれくらい。彼がそういうイベント事に興味が無い、というか人混み嫌いそうなことは重々承知、おまけに超重要機密たる『Lの正体』を知ってしまっている私は自由にする訳にはいかないとして軟禁状態にある身だ。これは良からぬ組織に情報をリークされる可能性を危惧してが半分、もう半分は私の身の安全を考慮してのことらしいけど、実際のところはどうなんだか。
だからまあ、今年は諦めるつもり満々だったわけですが。どう頑張っても例年通りとはいかないことは明白だったわけだし。でもさあ、そんな期待させるような問いをする?普通。あ、この人は普通じゃなかったわ。
分かりやすく頬を膨らませる私に、彼は暫し考えるような間の後、また口を開いた。

「しかし……そういう"演出"を施すことは可能です」

はあ?



ワタリさんから渡された浴衣に袖を通して、なんだか変な気分になった。白地に薄青と淡い桃色の朝顔が描かれたそれは大変かわいらしい。私の好みドンピシャだ。文句はない。問題は、何故これを着なければならないのか、だ。先日の彼の言葉が蘇る。「そういう演出を施すことは可能です」浴衣を着てお祭り気分を楽しめってこと?形から入る、って言葉もあるけれど、こればっかりは違うだろうとしか言いようがない。そもそも現代っ子で面倒くさがりな私に浴衣で一日過ごせというのは、少し……。
姿見の前でどうしたものかと唸っていれば、控えめなノックの音。彼はノックなんて絶対にしないから、これはワタリさんに違いない。紳士なあの人が無断で入ったことは一度としてない。たぶん。最初の頃は監視対象だったので仕方ない。

「どうぞ」
「失礼します」

丁寧な所作で入ってきた彼は、すっかり日本の夏を身に纏った私を見て目を細めた。完璧な着付けですね、と。見くびってもらっては困る。こちとら幼少期からおっとり系婦人な祖母に教えてもらっていたのだ。幼馴染み三人もそう。友達に教えてあげたこともあるし、自慢じゃないが教室でプチ着付け教室を開いたことだってある。
しかし、着付けが上手なのと浴衣を着ていることが好きなのは必ずしもイコールでは結ばれないのだ。あくまでも"夏祭り"という特別な時間を過ごすときに着ているのがいいのであって、普段着としてはちょっと、となってしまう。あくまで個人の感想です。嫌いではないのだけど。
その後髪やらメイクやらも完璧にセットしてもらっちゃって、これでお祭りには行けないのだから生殺しというかなんというか。今までで一番かわいい格好をさせてもらってはいるけれど。もしかして人生で一番では?と思ったけど七五三のばりばりプリンセスコーデの方が上だった。黒歴史。

「さ、Lがお待ちですよ」

エスコートされて入った先で、彼はいつも通りの格好をして待っていた。……少し浴衣姿を期待したとか、そんなことはない。立ち上がった彼は、そのまま数秒ほど停止してしまっていた。え、何。

「想像以上です……」
「はあ……あの、これはいったい……」
「演出が四割。残りの六割は私の我儘です」
「我儘、ですか」
「我儘です」

いまいち意味が掴めない。彼も夏祭り気分を味わってみたかったってこと?それなら彼が浴衣を着ればいいと思う。確かに夏祭りの話を持ち出したのは私だけども。
さあこちらへどうぞ。手招かれて素直に従う。ここで天邪鬼を発揮しても面倒になるだけ。経験で人は成長するのだ。
彼に導かれた先、机上に並べられたものを見て、私は目をまあるくさせた。

「これって……」
「花火、です。夏祭りの定番でしょう」

思わず彼の顔を凝視する。目が合った、それはもうばっちりと。彼はいつもの無表情を崩して、柔らかく、優しく、微笑んで。……途端にかああっと頬が熱くなるのを感じた。いや単純すぎだろ私、しっかりしろ私。
そんな私を後目に彼が何やらスイッチを触ると、壁だと思っていた箇所が音もなく開いた。びっくりである。この部屋そんな機能があったの。さすが世界の切り札Lの住まう家。きっと発明家キルシュ・ワイミーが設計したんだろうな。有能すぎるお爺さんである。外の庭も美しく、これはどうだろう、誰かを雇っているんだろうか。剪定までやっていたらさすがにワタリさんも過労死してしまいそうだ。うーん、凄い。

「お好きなものをどうぞ」

そう言ってまたソファに座った彼に、思わずえっと声が出る。いや、だって。

「Lはやらないんですか?」
「?はい。貴女の楽しんでいる姿を眺めています」

……彼が言うと変態チックに聞こえるのは数多の二次創作によって培われた先入観のせいだろうか。まあそんなことはどうでもいい。せっかくの花火をひとりでなんて。花火は誰かとやるから楽しいのに。

「Lもやりましょうよ、花火。楽しいですよ」

半ば無理矢理に引っ張って、どれにしようかな、と定番の数え歌を口ずさむ。隣で「神様に決めてもらうんですか」とかなんとか言っているけれど無視だ。選んだら同じものを彼にも持たせて、ロウソクに火を付ける。炎が安定したところで先端を近付けて。
鮮やかな火花が、空気を彩った。
暫く煌びやかな花火を楽しんだところでーーちなみに最初は少し戸惑っているようだった彼も、なんだかんだで楽しんでいたようである。良かった良かったーー最後の定番に入る。きっと誰もが最後に取っておくだろうもの。そうーー

「線香花火です!」

親指を咥えて、それまでのものより明らかに頼りない紐状のそれをしげしげと眺める。手渡して、しゃがむように指示すれば少し不思議そうに首を傾げた。点火してからのお楽しみだと言うと、今まで同様火を付けた。私もそれに続く。小さな火種が瞬いて、ぱちぱちと音を立て始める。儚くて、美しい。ほんの少しの揺れ、戯れのような風で、呆気なく終わってしまう。線香花火を見つめていると、いつも寂しさとか切なさとか、そういう感情がやって来る。

「線香花火ってね、簡単に終わってしまうんです。だからかな……最後まで落ちなかったら、願い事が叶う、みたいな言い伝えがあるんです。素敵でしょう?」

笑い掛ければ、ぽとり、と彼の線香花火が落ちてしまった。あちゃーと思ったが、まだ幾つか残ってる。次のものを手に取り再び点火すると、命を宿したばかりの先端を見つめて、彼は静かに口を開いた。

「本当は。本当は、行っても良かったんです。夏祭り」
「えっ!」
「ですが、情けない話、私は怖かった」
「怖かった……?」
「はい。……貴女が、こちらへ来た時。貴女は夏祭りの帰りに立ち寄った神社で転んで、気付いたらここにいたのだと、そう言っていましたよね。だから……もし夏祭りに行ったら、貴女が元の世界へ帰ってしまわれるような気がして、それは嫌だな、と思いました。貴女が帰ってしまうかもしれないことが、怖かったんです」

驚いた。彼がまさかそんな。これじゃあまるで。
それきり口を閉ざした彼に、私は何も言えなかった。ただ無言で、目の前の花火を見つめる。落ちないで、そう思った時心にあったのは、帰りたいという思いか、それとも。しかし私の線香花火は何の前触れもなく落下した。灯火がひとつ減る。けれど、残りに手を付ける気には不思議とならなかった。Lと二人で、Lの線香花火を見守る。一際大きく輝いた後、次第に勢いは収束していき、そして。
静かに、消えていった。
私もLも、何も言わない。沈黙の中で、線香花火の余韻に浸っていた。

「なまえさん」

不意に名前を呼ばれて、俯いていた顔を上げる。私を見つめる目は、柔らかい。

「最後まで落ちませんでしたよ」
「……はい」
「願い事、叶うでしょうか」

Lがそんな迷信を本気にするとは思えない。だからこれは。きっと。

「叶うんじゃ、ないですか」
「なまえさん」

好きです。
その瞬間、世界から音が消えた。凡庸な表現だけれど、そうとしか言い様がない。風が草葉を撫でる音も、互いの呼吸音も、全て。だってこんなの、そんな、まさか。
何も言わない私に痺れを切らしたのか、私の手から線香花火の亡骸を抜き取るとそっと絡めとった。骨張った手だ。白くて、冷たくて、指は長くて、でも、しっかりと男性の手だ。ああ、うるさい。心臓の鼓動が耳許で鳴っている。こんな、こんな、こんな……

「もしかしたら、貴女には酷なことなのかもしれません。けれど……けれど、ずっと傍にいてほしいんです。帰らないで。私の元から消えないで。好きです。貴女のことが、好きなんです。どうしようもないほどに好きなんです」

主人公と頭脳戦を繰り広げていた姿からは想像もできないほど、真っ直ぐで、ひたむきな言葉だった。どくどくと心臓がうるさい。暑くて仕方ない。息を吸う、ただそれだけでも震えてしまって、私の方こそどうしようもない。こんなの、

「私も」

認めるしか、ない。
Lの口許が緩やかな弧を描く。身を乗り出したLの顔が近付いて。唇が、重なる、

背後、夜空に大きな華が咲いた、ような気がした。


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