臆病でやさしいきみが愛しいよ/L

「何か不満に思っていることなどはないのですか」
「はい……?」

唐突な問い掛けだった。目の前に置かれた最近お気に入りのショートケーキにも手を付けず、どこを見ているのか、少なくとも私と目線は合わない。
マグカップを手に持ったまま、私は暫し停止した。彼の質問の意図を考える。不満に思っていること。もしや別れるための口実を探している?ネガティブな方向へ持っていきそうになる思考をいやいやと振り払う。別れたくなったのならそんな遠回しなことはしまい、彼は。もっと単刀直入に、いっそ清々しいほどに、淡々と「別れて下さい」と告げるはずだ。少なくとも私の中の彼のイメージはそう。ならば、何?
結局答えは出せず、素直に訊き返すことにする。始めからこうしていれば良かったのに、彼に甘えきりは自分が許せない。

「どうしてそんな質問を?」
「ないんですか?」
「え、ええと……」

そうだった。彼は質問に質問で返されるのが嫌いなのだった。これは私が悪い。答えた上で質問すべきだった。少しでも彼に相応しい聡明な女性であろうと努めて、無駄に頭を回して、得られるものは何もないばかりかどこかが抜けてしまう。いつもそうだ。所詮は付け焼き刃。私は私が全く才女でないことを知っているし、努力で埋められるようなものでないことも知っている。
再び口を閉じ、今度こそ彼の質問に答えるべく言葉を探す。不満。ないと言えば嘘になる。彼は天才にありがちな変人、我儘で負けず嫌いで子どもっぽくて、常識が抜け落ちている部分が多々ある。普通、なんて言葉は通じない。やろうと思えば出来るだろうに、人並みの生活というものを送ろうともしない。それに何を考えているのか分からないし、伝えようという努力もしない。彼はいつも自己完結、もしくはワタリさんにさえ伝わればいいというスタンスだ。
けれど。けれどもそれらは、付き合う前から分かっていたことだ。騙されたわけじゃない。分かっていて、それが彼なのだと受け入れて、その上で彼の想いにYESと答えた。ならばそれを不満だと訴えることは、あまりにもナンセンスではないか。
コーヒーを一口。砂糖は三つ、ミルク少々。世間一般的には甘めなこのコーヒーも、彼にとっては苦めの分類に入る。

「不満、と、言う程の不満はありませんよ」
「本当に?それにしては随分と考え込んでいましたが」
「真剣に答えようと思って。さっきは、質問で返してしまったから」
「そうですか……」

なんだか深刻そうである。私が思っていたよりも。いや、ケーキに手を付けない時点でそれなり、かもしれない。
数秒目線を宙へと彷徨わせた後、俯き気味で彼は口を開いた。やけに自信なさげな声音だった。

「……夜神くんに」

月くん?と首を傾げる。あの品行方正を絵に描いたような優等生くんは、彼に一体何を吹き込んだのか。

「今の状態じゃ、いつ愛想尽かされても文句は言えないぞ、と。我儘ばかり言ってるんだろ、と」

それで。

「不安になりました?」

彼は答えなかった。むすっとして、本当に幼い子供のようだ。そんな表情に、堪えていた笑いが溢れる。じろりと睨まれたがちっとも怖くない。あの世界の切り札が、影のトップが、たかだかどこにでもいるようなありきたりで平凡で、そんな一人の女に捨てられるかもしれない不安で何よりも大好きな甘い甘いケーキさえ口に運ばず、真剣に深刻に思い悩んでいる。なんてかわいい、なんて愛しい。
飲みかけのコーヒーを机に置いて、私は彼の頭をよしよしと撫でる。何も言わず、されるがままの彼の頬を両手で包み、少し恥ずかしさが込み上げてきたが押し込めて、そのまま唇を触れ合わせた。キスの時さえ閉じられないその真っ黒な瞳にももう慣れたものだ。
お互いがぼやけてしまうほどの距離で、吐息が肌を掠める距離で、私は彼に囁く。

「そうやって、気にしてくれるだけで嬉しい。だって貴方、他人に何を言われたって自分の行動とか習慣とか、改めようだなんて思わないでしょう?気に留めさえしないでしょう?そんな貴方が、不安に思って、直す直さないは別として、訊こうと思うくらいには、私のことを好きでいてくれている。ねえ、こんなに嬉しいことってないわ」

彼の手が後頭部に回される。再び重なり、今度はそれだけでは終わらない。舌が私の唇をなぞるから小さく開けば、ゆっくりと侵入してくる。反射的に逃げてしまう私の舌は呆気なく捕らえられて、余すことなく味わい尽くされる。合間に漏れる吐息は自分のものと思えない程甘ったるい。首に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。後頭部から降りていく彼の掌が、労わるように背中を撫でた。
名残惜しむように離されたその間を、銀糸が繋ぐ。恥ずかしい、けれど。それを遥かに上回る幸福が、私を満たしていく。

「私は幸せ者ですね」

彼は静かに微笑んだ。


title:moshi



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