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月神香耶side
「はあ……はあ……! じょ、冗談じゃありませんよ! まったく!」
廊下にいた私と千鶴ちゃんは声の主を振り返った。
「伊東さん? どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたもありませんよ! 私がなんであんな野蛮人どもと同じ部屋で、肌をさらさなきゃならないのです!」
千鶴ちゃんはその言葉に首をかしげたが、私は思い当たる節があった。
「ああ、健康診断だね」
「健康診断?」
「将軍上洛に同行してきた医師が、二条城で近藤さんと意気投合してね。その縁で新選組が健康診断を受けられることになったんだよ」
「あのハゲ坊主! みんなの前で私に服を脱げと仰るのよ!! 拒んだら無理やり脱がそうとするし、それに、あの隊士たちの態度! まったくなんて野蛮なんでしょう!」
そう息巻く伊東さんに、私たちは笑みを作ってうなずくしかできない。
きっと隊士たちにからかわれて冷やかされたんだろう。
「そのお医者様は、なんというお名前の方ですか?」
「確か……、松本良順とか言ったかしら」
「そのお医者様って、松本良順先生なんですか!?」
医者の名を聞いた千鶴ちゃんがにわかに色めき立つ。
「知ってるの?」
「はい……私、健康診断に行ってきます!」
「あっちづ…」
行っちゃった。あの子って以外に猪突猛進なんだから。
きっと向こうは、千鶴ちゃんなら赤面ものの光景が広がっているはず。
伊東さんも彼女の後姿に視線をやって、呆れたような顔をした。
「あんな野蛮人に会いたいなんて、なんて物好きなのかしら。香耶さんはどうなさるの? よければこの後ご一緒しない?」
「いや、私は歳三君に呼ばれているんだ。また次の機会に誘ってくれないか」
「あらそう、残念ね。それじゃ、ごきげんよう」
伊東さんは怪しげな笑いを浮かべながらその場を後にしていった。
あのひと、あれが無けりゃ傑物なんだけどなぁ……
遠くで盛り上がる男達の声を聞きながら、私はしんと静まり返る副長室のふすまを無造作に開けた。
「……香耶てめえ、一言断わって開けろっていつも言ってんだろ」
「あ、ごめん。つい」
歳三君はこんなときにも、文机に向かって仕事をしている。
彼は一息ついて、私を部屋に招き入れ、座れと促した。
私はそれに従って、畳の上にぺたりと腰を下ろす。そして膝を抱え、歳三君の顔を見た。
「お前の要望どおり、総司は健康診断とは別に医師の診察をうけることになった」
「そっか。ありがとう」
総司君も、時渡りで未来の自分の姿を知ってから、あれ以来、私と協力しながら健康に気を使うようになった。
嫌いなものでも食べさせてるし、彼の部屋は勝手にまめに掃除してる。
睡眠時間も充分にとらせ、アルコールの過剰摂取は身体を張って阻止してる。
それでも総司君は大抵薄着だったり、風邪引いてる私にディープなキスしてきたりと困ったこともやらかすけれど。
そんな涙ぐましい努力も、周囲にはかいがいしく世話をやいてるみたいに見えてるらしくて。
「……お前、総司のことが好きなのか」
「え?」
こんなことを聞かれるのは別に珍しくない。
「えーと、まあ、うん。何か不都合が?」
そう自覚したのはつい昨晩のことだけどね。
歳三君は厳しい顔をして黙り込む。私ははっとして正座に座りなおした。
「…まさか、法度に触れるとか」
「……いやそうじゃねえが……お前、あいつのどこが好きになったんだ」
「へ?」
総司君の、どこが?
私はしばらく考え込んで、ふと真面目な顔で口を開いた。
「……あの子の言葉は、いつも私を許してくれるんだ。いつも、人並みの幸せを教えてくれる」
(つらいときは僕を呼んでよ。一番最初に、僕に手を延ばして)
総司君の声が脳裏によみがえる。あの真摯な声と表情を思い出せば、私の顔は自然とほころんだ。
「ちっ、女の顔しやがって。あーそうかよ」
投げやりに言い放って、ぷいとそっぽを向く歳三君。
「なにそれ、自分で聞いといて。……としぞー君?」
なんだか一瞬だけ、歳三君の顔がひどく寂しげに見えたので、私は身を乗り出して彼の顔を覗き込む。
至近距離でまっすぐ瞳を見つめると、彼は目を見開いた。
けれど次の瞬間、がしりと私の首根っこを捕まえられる。
そして彼は勢いのまま、私の身体を自分のひざの上に抱きこんだ。
「とし…」
「だったら……そんな顔で俺を見るなよ」
逃げられないよう腕に力をこめられて。
私は歳三君のするどい眼差しから目が離せなくなった。
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