76
月神香耶side
十余年前。
私がこの世界に着いて、まだ日の浅い頃の話。
東に住む鬼の里は、人間の侵攻を受けた。戦を拒む雪村の鬼たちは、無抵抗の誇りを守って虐殺された。
私を村に迎え入れてくれた、純血筋の鬼夫婦も、殺されてしまった。
けれどその忘れ形見たちは、生き残っていたのだ。
その双子の妹、千鶴ちゃんは、雪村綱道に連れられ落ちのびることになる。
綱道君ってところがあまりに心配だったので、彼のほうにゼロを行かせた。
だって綱道君が戦いに長けてるとか聞いたことなかったもの。
そして私は、燃え盛る村の中、逃げ遅れた薫君を捜して走り回った。
小さな子の泣き声が、耳にこびり付く。人の焼ける匂いに息が詰まる。目の前に広がる光景は、この私でもしばらく夢に見そうなほどの有様だった。
「薫君、薫君!!」
「香耶姉ー!」
母親の遺体にすがりつく幼い薫君を、ようやく発見するころには、辺りは火の海になっていて、夜なのに、村は昼間のようだった。
「おかあさんが!」
「忘れないよう目に焼き付けておけ! 逃げる!!」
私は薫君の軽い身体を肩に担ぎ上げ、炎上する屋敷から脱出した。
火の届かない路上で彼を降ろし、しっかり手をつなぐ。
村全体が燃えている様子に、薫君は絶望の表情を浮かべた。
「こほっこほっ、香耶姉、もう……」
「諦めるな。まだ命はある。知らない? 君も私も、これさえあれば、できないことはないんだよ」
「香耶姉……」
私は腰に差しておいた“大通連”を、薫君に手渡す。
「これ…」
「今日から君のものだ」
「………」
薫君は、その幼い身体に不釣合いな、大きな刀をぎゅっと握って、泣きそうに顔を歪めた。
「俺……人間なんか……嫌い。憎い」
「うん」
「でも、香耶姉は好き」
「……ありがとう」
「香耶姉が死んだら俺も死ぬ」
「私は死なないよ」
「じゃあ俺も死なない」
「うん」
私たちは、手を取り合って歩き出す。
しかし、その手はすぐに引き離されることになった。
「おい、ここに生き残りがいる」
「いぶりだされてのこのこ出てきたか」
「「!!」」
村を出たところでは敵が待ち構えていたのだ。
薫君が“大通連”の柄を握り締めるのを、私は視界の端に捉えると、その彼の行く手を遮るように、敵の前に躍り出た。
私が“狂桜”を抜き、目にも留まらぬ速さで敵を切り伏せてゆくのを、薫君は半ば呆然と見ていた。
この時、私にも油断があったことは認めざるを得ない。
薫君の後ろにも敵が迫っていることに、気づくことができなかったのだから。
ざりっ、という足音と、殺気。男の手。私は、はっとして振り返った。
「──薫くん、後ろっ!!」
「っ!!!」
薫君に迫った危機に、私はとっさに“狂桜”を投げ放つ。その刃は敵の首をはねた。
その返り血が頭上に降り注いで、薫君は悄然とする。
「走れ、薫!!!」
夢中で叫んだ。
丸腰になった私は、残っていた西国藩士に、背中を袈裟懸けに斬られる。
黄金が、飛び散った。
「香耶──」
私はふり向きざまに敵の刃を引っつかみ、引いて刀を奪い取る。
「竹林へ! 向こうには敵の気配はない、行け!!」
「で、でもっ」
「私は死なない。死んでたまるかっ!!」
そこに居合わせた西国藩士には、銀の髪を振り乱し、血と黄金にまみれ刀を振るう私の姿こそ鬼神に見えたのだと。
後にそう言い伝えられることになる。
「――行きなさい、薫君。これは今生の別れにはならない」
「……死ぬなよ。俺、鬼として、生き延びて、香耶姉を探すから。約束だからな!!」
「うん。鬼の約束だね」
私は力強くうなずくいた。
それを見た薫君は、ぐしぐしと涙に濡れた顔を拭いて、きびすを返し走り出す。
これが、私と薫君が互いに顔を合わせた最後だった。
この後、薫君は土佐の鬼の一族、南雲家に入ることになる。
『あはは、香耶さんがそのくらいで死ぬようなタマじゃないですよ』
西本願寺の 私と千鶴ちゃんの寝室に、ゼロののんきな笑い声が響き渡った。
「お前には聞いてない。うるさい蝿は黙ってろ。この役立たずが」
『ひどくなってないですか!?』
「まあ、生きてまた会えたんだから、よかったじゃないか」
「よくない。やっと見つけたと思ったら、新選組に、薩摩の鬼だ? ふざけるなよ。面倒くさいものに首を突っ込みやがって。お前は学習しないのか」
なんて、憎まれ口を叩く薫君。
でも、わかってる。私のことを心配してくれてるんだよね。
「それでも私は、人に関わることをやめはしない。どうせくたばり損ないだもの。やりたいことをやって生きるさ」
私のまっすぐな目を見て、薫君はまぶたを伏せ、息を吐いた。
「──はぁ。香耶さんらしいよ」
薫君はすっと立ち上がって、部屋のふすまを開けた。
「もう俺は帰る。──香耶さん、死ぬなよ。次に会うときまで」
「うん。鬼の約束だね」
夕日を浴びて微かに笑う薫君に、私は力強くうなずいた。
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