67
月神香耶side
きしっ。
私は物音に気付く。
板張りの廊下を踏みしめる僅かな音。
まだ夜明けには少し早い時刻。
誰だろう。こんな時間に。
みんなが帰ってくるにはまだ早い。
隣の布団で千鶴ちゃんが眠ってるのを横目で確認しながら、すぅっとふすまを開けると。
壁側に寄りかかって、腕を組んで庭を望む彼がいた。
「ふん、やはり起きていたのか」
「はぁ、千景君……何しに来たの。こんな時刻に」
月光を背負って金の髪がきらきらと輝いてる、その姿。
いつもうらやましいくらいの美貌だなぁ、風間千景君。
とりあえず眠ってる千鶴ちゃんから千景君を遠ざけよう。
そう思いそっと部屋のふすまを閉めて、千景君に庭に下りるように促すと、彼は足音も立てず地面に降り立った。
私も彼の後について、縁側から裸足で降りる。
ひんやりとした黎明の空気を、胸いっぱいに吸い込み……
「ごほごほげほっ!!」
咳き込んだ。
「風邪か」
「こほ、こほっ…ずずっぐすっ…うぅ」
こりゃだめだ。格好つかない。
千景君は音もなく、屈んで肩を揺らす私の前に立つ。
私の震える睫毛をじっと見つめて、顎を掴んで顔を上げさせた。
「もう一度言う。俺と共に来い、香耶」
「だ、めだ…」
「お前ほどの女が、何を望み、ここにいる?」
私の望みは、穏やかな終焉。
「生きて、死ぬことを」
「死に場所を求めるか」
「…ずっと探してる」
独りになんてなりたくない。大事な人たちに囲まれて死ねたらいい。
けれど私の望む終焉へはまだ遠くて。
「世界は変化し続ける。人が誰かを想い続けるかぎり。
私は、知りたい。人が…私が、どこまでできるか……。すべてが終わるまで、変え続けて、みせる」
「ではお前は誰を想う」
酷い耳鳴りとめまいが襲ってくる。身体中に熱がこもって、ぼおっとしてる。
「私……、こ、こに…」
千景君はぐらぐらと揺れる私の身体を受け止め、片手で抱き上げる。
「俺の元で世界を変えてみせろ」
彼は私の腰から“狂桜”を引き抜いて、投げ捨てる。
「……どう、して…」
かしゃんと硬い音を立てて、刀は地面へと転がり落ちた。
もしかして、千景君は新選組に私を探させたいのだろうか。
「言ったはずだ。お前を手に入れると。鬼だから、ではない。鬼だろうと人だろうと、女などどれも同じ。だが、お前だけは、違う。特別だった」
それって、千景君……まるで愛の告白みたいだよ…
「ちづ、るちゃん、は…」
「あれは純血の女鬼だ。人間などにまぎれて暮らしていい存在ではない。それに千鶴がいれば、お前も心安かろう。いずれ連れてくる」
やっぱり千鶴ちゃんも連れて行くつもりなんだ。
ああ、いけない。熱が、ぶり返してきた。
「香耶。お前は俺が、誰からだろうと、……例え世界からだろうと、奪ってみせる」
不敵な笑みを浮かべ、私の髪に一瞬だけ口づけする。
「お前にも、あの幕府の犬どもにも、思い知らせてやろう」
そうして千景君は、私を連れたままその場から背を向けた。
私は、屯所に……部屋にむかって手を伸ばす。
「そ…じ、くん……」
朦朧とする意識下で、どうして彼の名前を呼んでしまったのか。
(香耶さんっ、香耶さんしっかりして!)
どうして彼の声が聞こえたような気がしたのか……
私には考える余裕など無かった。
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