66
月神香耶side
みんなに寝てろと言われたけれど、頭が冴えて眠れなかった。
静まり返った講堂前の廊下に寝転がって天井を見つめる。
この一年半、ずっと人の気配に囲まれて暮らしてきたから、それに慣れてしまったのかもしれない。
周りに誰の気配も感じられないことが、こんなに落ち着かないなんて。
ぼんやり暗闇を見つめて、何度か寝返りを打ったころ。
とたとたと足音がすると共に、焦った気配が近づいてくる。私は身を起こして気配の主の顔を見た。
「あれ、千鶴ちゃん?」
「香耶さん……こんなところで寝てないで、部屋で寝ててください。屯所中を探したんですからね!」
「あはは、ごめんごめん」
ま、素直に戻るつもりはないけど。
やって来たのは、二条城に行ってたはずの、千鶴ちゃんだった。
「そっか、千景君が……」
「はい…」
二条城には千景君たち、西の鬼が現れて、新選組にちょっかいを出して帰ったらしい。
事の顛末を聞いて私はうずうずした。
「面白そう…」
「だっ、だめですよ! 風邪が完治するまで外に出ては!」
さすが千鶴ちゃん。私の考えてることが分かったみたい。
「あはは分かってるよ……こほっこほっ!」
「香耶さん…!」
「はぁ…もう今から行っても間に合わないだろうしね。それにあの心配性たちに何されるか分かったもんじゃない。この一年半でちょっとは学習したんだから」
監禁されて説教とか事務仕事とか……考えるだに恐ろしい。
「……それでも学習したのはちょっとだけなんですね…」
まあ、こうしてちょっと外の空気を吸いに出るくらいは許してもらわなくちゃ。暴れだしたくなるからね。
少しだけ会話が途切れると、千鶴ちゃんは少しうつむいて庭の地面を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。
「香耶さん…あの、雪村の姓って、何か特別なんですか?」
雪村…?
私は少しほてってきた額に手を当てる。
「あー…千景君に聞いたんだね」
「はい……それと、この小太刀のことも……風間さんは、私を同胞だと言ってました。
それから自分たちのことを…」
「鬼、だと言っていた?」
「はい…」
さて、どこから話すべきか…
「私さ、むかし雪村の里で、千鶴ちゃんに会ったことがあるんだよね」
「え…?」
「千鶴ちゃんが、ちっちゃい女の子だった頃に」
「私が…あの村に……住んでた」
千鶴ちゃんの知っている雪村の里は、以前時渡りで渡ったときに見た、壊滅直後の村だ。
あそこに自分が住んでいたといわれても、ぴんと来ないだろう。
「綱道君に何か聞いてない?」
「…、父様をご存知なんですか!?」
「君には、生まれてから里が襲われ、逃げ落ちるまでの記憶がないだろう。あまりに惨い出来事だったせいで、心が耐えられなかった君は、何もかも忘れてしまったのだと思う」
「そんな……」
「無理に思い出す必要はないよ。記憶の欠落は君の防衛本能だ。自然に任せるほうがいい。綱道君も、そう考えて君に何も話さなかったのだろうね。君の本当のご両親だって、きっとそんな君を見守っているさ」
「私の、本当の……?」
「うん、本当の」
彼らは、幕末に来たばかりの頃の私を助けてくれたんだ。
「雪村の里の一族は、鬼の一族だった」
とても、優しい人たちだった。
私は、一人でぐるぐると考えをめぐらす千鶴ちゃんの肩をとんと叩いて、その場を離れる。
空を見上げれば、里の最期のときにも見た月が、私たちを照らしていた。
私はそっと目を閉じて、あの時と同じ月に向かい、彼らに黙祷を捧げるのだった。
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