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月神香耶side
数日後。
新しい屯所の広間に、近藤さんの声が朗々と響き渡る。
「みんなも、徳川第十四代将軍、徳川家茂公が、上洛されるという話は聞き及んでいると思う。その上洛に伴い公が二条城に入られるまで、新選組総力を持って警護の任に当たるべし……との要請を受けた!」
隊士たちはそろって歓声を上げた。
うう、かっこよく演説する近藤さん、見たかったなぁ。
私は手ぬぐいでぐずぐずの鼻を押さえながら、回廊の戸に身体を預けた。
この将軍上洛は、第二次長州征伐のためだ。
将軍は閏五月二十二日に京に到着。二十四日には下阪し、新選組からも隊士が選抜され同行する。
しかし、将軍家茂は大阪城で病に倒れることになるのだ。
「香耶さん、そこで何してるのかな?」
「あ、そーじくん、お話は終わったの?」
広間から出てきた総司君は、私を見つけて近づいてきた。
「僕は部屋から出ないでって言っといたはずなんだけど」
「カタイこといわないでよ。もう熱もないし」
「鼻声で言われても説得力ありません」
「うむぅ」
もうちょっと、と勾欄にしがみつく私を見て、総司君はため息を吐いて、私の横に腰を下ろす。
「少しだけだよ」
「付き合ってくれるんだ」
「大好きな香耶さんのためだからね」
「げほっごほっ!」
最近なんだか愛情表現が露骨になってきてるんだよね…
「そういえば総司君、君は健康だよね……?」
「……うん。香耶さんの風邪だったら移されてもよかったんだけど?」
「馬鹿なこと言わないの」
そっか。
……どうかこのまま労咳になんてならないで。
私が全部引き受けてもいいから。
「そう言えばさ、去年の今頃もこんな感じだったよね」
「ああ、たしかにね」
去年の今頃といえば、池田屋事件でぶっ倒れた私が、布団に縛り付けられていた頃の話だろう。
そのひと月後の禁門の変では、歳三君に再三大人しくしとけと言われたにもかかわらず、六角獄にまで出向いて、結局またぶっ倒れた。
そのころから、この子達の過保護にも拍車がかかったんだ。
「ねえ、そんなに鼻擦ったらすりむけちゃうよ」
「あ、」
たしかに、ひりひりする。私は鼻に当てていた手ぬぐいを離した。
すると。
「はいこっち向いて」
「はぅうっ!?」
総司君がその形のいい唇で、私の少し乾燥した唇を塞いだ。
口で息するしかない私の口腔に、容赦なく舌を差し込んでくるものだから。
私はたまらず総司君の頬を引っ掻いた。
「いたっ、なにするのさ」
「ごほっはぁはぁごほごほ!
…こっち、の、ごほっ、せりふ、だよげほごほっ!」
眉根を寄せて怒ってみるけど、涙目のうえ真っ赤な顔じゃあ迫力がでない。
総司君はしてやったりとにんまり笑った。
「人に移せば治るっていうでしょ」
それ迷信だからね!!
その日、総司君は引っ掻き傷を顔につけたまま、二条城へ向かう新選組に従隊していったのだった。
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