55
月神香耶side
二月の夜は寒い。かじかんで動かない指先をさすっては、はぁと息を吹きかけた。
そんな夜だというのに千鶴ちゃんの姿が見えない。
彼女が部屋にいないので、探しに外に出てみた。
うっ…板張りの床のせいで足が冷たい…
もう日が落ちて、屯所には夜の帳が下りている。
肌を突き刺すような、宵闇の冷気。
ああ嫌な予感。
私の嫌な予感は当たるんだよね。
「……ゼロ、何か感じる?」
『そうですね…嫌な感じがします』
精神世界から直接ゼロの声が頭に響いてくる。
こうしているとゼロは、例えるなら私に一体化して経験を共有することができる。
あ、これって私に取り憑いてるって 言えなくもない状態だな。身体の主導権は握れないけど。
明かりの灯った広間にある、人の気配。
居た。
私は広間を覗き込んだ。
そこにいたのは、探していた千鶴ちゃんと…
「こんなものに頼らないと、私の腕は治らないんですよ!」
不吉な赤色の水を一息にあおる、敬助君だった。
「千鶴ちゃん!」
「きゃっ!?」
彼が千鶴ちゃんに向かって腕を薙ぐ。私が走って手を伸ばすも、千鶴ちゃんは敬助君によって壁際まで弾き飛ばされた。
私は気絶した千鶴ちゃんと、敬助君の間に滑り込む。
「敬助君……」
私は眉を曇らせた。
凍て付く闇の中に浮かび上がる、狂気の瞳。白く変色した髪。
やっぱり、嫌な予感は的中だった。
「羅刹……」
私の声は哀しく空気を震わせた。
「……く……くく……」
敬助君は私の首もとに手を伸ばす。
しかしその手を、掴んで止める者がいた。
『香耶さん、離れてください。今の山南さんは危険です』
「ゼロ…」
「ぐあ……あ……!」
敬助君は頭を押さえて苦悶の声をあげるが…
理性が、残ってる?
「……失敗……したようですね……自分で思うより私は賭けに弱かったようで……」
『もちそうにありませんか、山南さん』
「ええ……今のうちに……私を殺しなさい」
その言葉に、私は愕然とした。
……敬助君を、殺す、だって?
「薬は失敗……既に……私の、意識は、無くなりかけています。このままでは、君たちを殺してしまうでしょう……」
「それは……」
でも君を、君たちを死なせたくないから、私はここにいるのに。
どうして……どうしてこんなに、無力なのかな……
茫然として動けない私を見て、ゼロは何か覚悟を決めたみたいに凛とした声をあげた。
『山南さん、貴方を助ける方法ならありますよ』
え?
「なんですって……?」
『貴方が羅刹となったのなら、逆に好都合です』
ゼロは不穏な台詞を吐いて、私に向き直る。
山南さんを組み留めながら。
『香耶さん、時渡りをしてください! 僕と山南さんを連れて』
「で、も…」
『迷っている暇はありませんよ!』
尻込みする私の後ろで、すっとふすまが開く。
「香耶さん、………山南さん」
「総司君…」
こんな時に!
「沖田君……ですか……」
『早くしなければ、手遅れになります。』
「ゼロ…まさか……敬助君と“路”に…」
ひとつ、頭の中に浮かび上がった途方も無い可能性に、私は唖然としながらゼロを見た。
ゼロは、こくりと頷いた。
『僕が山南さんを、時渡り能力者にします』
……そう、君が決めたのなら、私も覚悟を決めよう。
「分かった…敬助君のこと、ゼロに託すよ」
私は、時渡りを使った。
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