自分の眉間に力がこもった。あまり表情の動かないはずの前任の顔がこれでもかと嫌そうに歪むのを見て、至近距離にいたその刀剣は、困ったように口元を緩める。
何度も言うが私を斬ったのは三日月である。こうして生きている以上、あまり明確な殺意があったとは思えないのだが、刀剣男士が主を鞍替えした時点で私の命運は尽きていた。
もしこの本丸に呼び戻されなかった未来があったとしても、私は本丸を持たず前線で特殊な任務に従事する審神者になっていた。いわゆる玉砕戦任務である。特にブラック審神者のような罪人から召し出される者は中枢の情報など与えられず戦場の捨て駒として扱われる。そういった役割を担う人間も戦争には必要なのだ。

「三日月が私に会いたいと言ったのですか?」

「……三日月殿はあれから自室に籠りきり、ほとんど口を開いておりませぬ」

私はこめかみを指でもみほぐしながら大きくため息をつく。

「私がこの本丸に来ていることは知っているのですか」

「この本丸の刀剣男士には余さず周知しております」

だよね。ここに来た時ものすごい視線を感じていたもの。
小狐丸の提案には後任審神者もこくこくとうなずいて、三日月様を元気づけて差し上げてください、と懇願された。ほとんど必死の形相であった。
追い立てられるように離れを出て、ふたたび小狐丸の背を見ながら本丸内を歩む。こんのすけは審神者のもとに残し、彼女を良く手伝うようお願いした。必要ならばお呼びください、と礼をした管狐の中ではやはり未だに私が主であるようだ。
小狐丸の歩調は、私に気を使っているにしても随分とゆっくりしたものだった。お勝手ではまた私の履物が丁寧に靴棚の上の段に置かれる。小上がりで立ち止まり、振り返って私に手を差し出すものだから無意識にその手をとってしまった。すでに小狐丸の間合いの内にいても緊張しない程度には慣れたのだ。
我ながら危機感が薄い。

「ぬしさま、すでに昼餉の刻は過ぎておりますが何かお召し上がりになりませんか」

「いいえ。お気遣いなく」

私の緊張が薄れたことを小狐丸も感じ取ったのだろう。こんな提案をされるがすげなく断ると、彼の雰囲気がぺしょんと落ち込んだ。
ちなみに私は昨夜から物を食べていない。供物としてきているのだから当然だ。
会いたくないと思っていても歩みを進めれば着いてしまうものである。三日月宗近の居室まで来た私は、小狐丸に促されるままに敷居をまたいだ。
三日月の部屋は奥に中庭が望める縁がある。三日月だけでなく多くの刀剣男士たちの部屋が庭を囲むよう配置されていて、採光や風通しに加え眺めも良いように配慮されている。
その部屋の主は縁側に座って庭を見つめていたが、私が部屋に入ると振り返った。

「久しいなあ、主」

三日月はまるで再会が心から嬉しいのだとでも言うように表情を崩した。小狐丸からは、あれ以来ほとんど他の者と話をしなくなったときいていたが。

「傷は、大事ないか」

ごく浅い傷、というわけではなかった。痕もある。だがこうしておめおめと生き残ってしまったのだから、大事はないのだ。供物としては。

「新しい審神者の運営が滞っていたのは私から彼女への引き継ぎがうまくいかなかったからです。それを解消しにまいりました。私は完全に退きます。今後は彼女のもとで存分に剣の腕をふるってくださいませ」

膝をつき、そう言って一礼すると、三日月の表情がすっと落ちた。

「話が違うな。そなたが再びこの本丸の刀剣男士を率い立つと聞いていたが」

そういえば、後任殿もそう言っていたな。何故そんな話になっているのだろうか。あの回りくどくて分かりにくい辞令のせいか。後任殿は自己解釈をそれが正しいと信じ込んでしまう癖、なんとかしたほうがいい。

「――刀剣男士のことを嫌いになったか? 俺のことが憎いか」

おもむろにそう問われて、私は瞬いた。

「……いいえ」

刀剣男士は、恐ろしい存在だと思った。人間と同じように思考することができ、動くことができる。人間を殺すことができる。本丸という治外法権のこの場所で。
それでも、嫌いになったかと聞かれるとそうではない。三日月を憎いかというと、そんな感情は不思議と湧いてこない。
付喪神を、思い通りに働かせて、膝をつかせ、上の立場に立つこと。いずれ対価を払うことになるだろうと、私は常にどこかで思っていた。呪詛が術者に還るように。
それが今だっただけのこと。

「……退く前に、俺を刀解してくれぬか」

「できません。私はすでにこの本丸の審神者ではないので」

管理システムがこの本丸の持ち主を私だと認識している以上、私が三日月を刀解することは可能である。
が、これはけじめの問題だ。彼の進退は彼の主と彼自身の間で決めるべきである。見習いの研修が終了し、彼女がここの審神者に就任したその日に私はここの刀剣男士を刀解する権利を失った。

「罰も与えてくれぬとは。薄情な主だなあ」

少し間をおいて、三日月は寂しそうに笑う。

「なぜ私を主と呼ぶんですか」

ずっと感じていた疑問を口にした。三日月も、小狐丸も。半年前に私のもとを離れた刀剣男士が、私を主と呼ぶ。まるで本当に、求められているみたいで、そう感じてしまう自分がいたたまれない。

「言ったはずです。私は『私の』刀剣男士を刀解すると」

刀剣男士は顕現した本丸から離れることができない。審神者の代替わりの際、前任の審神者につき従ってこの本丸を出るということもできない。だから私は、あの時点でまだ私を主と思ってくれていた者だけを刀解すると決めていた。それが最後まで私に対して忠を尽くしてくれた刀剣たちへの餞(はなむけ)だった。

「見習いを主にいただくと宣言した時点で、すでにあなたを私の刀剣男士とは見なしていませんでした。彼女のもとで刀を振るうのだとはっきり意思表示をした他の刀剣男士たちも」

「ああ、薄情だったのは俺のほうだな。俺が、まことの忠心を持つ刀剣たちから、主を引き離してしまった」

そしてもう、私が私の刀剣男士を刀解してやれる機会は失われ、二度とやってこない。
今となっては、あの時点で私に刀解されても良いと思ってくれた刀剣男士が本当にいたのか、いたとしてもそれが誰だったのかさえ私にはわからないことだが。

「私が審神者として初期刀一振りをたずさえこの本丸に着任した瞬間から、このような結末となることは運命だったのでしょう。長きにわたり私のような暗愚の下で働いてくれたこと、まことに感謝しています」

そうして深く礼をして、立ち上がり退室する。その私の背中にむかって、三日月はささやくように呟いた。

「本当の暗愚は俺であろうな」


三日月との話を終えると、私はかつて私室として使っていた部屋に立ち寄る。
小狐丸には部屋の外で待っていてもらって私だけでそこに入れば、思った通りそこも半年前のまま、私の物が残っていた。
立ち去る準備を少ししてあったのが幸いし、物はそう多くない。半年前に準備してそのままであった段ボール箱を組み立て、衣類や化粧品、枕やシーツまで押し込んで、廃棄の札で封をする。そういった作業をいくらか繰り返し、私室の整理はすぐに終わった。

「こんのすけ」

呼べば私の霊力に反応し、こんのすけが姿を現す。呼び出された場所が私の私室であったことに驚いたような顔をした。

「廃棄物の処理を頼みます。それと先ほどの運営権移行の手続きも今ここでやってしまいましょう」

「わかりました」

ここまでくれば、先程は迷った様子を見せたこんのすけも腹をくくったようだ。すんなりと従ってくれる。
審神者の私室には刀剣男士が許可なく入ることができないよう結界が張られている。先ほどのように誰かに制止されることもない。

「終わりました、主様」

「終わりましたね」

やるべきことはあらかた終わった。
障子から差し込む光はずいぶんと傾いていて、時刻は夕刻といっていい。本丸内は静かだが、きっと前任がいるせいだろう。彼らにこれ以上肩身の狭い思いをさせるのも気の毒である。
私は持ち込んだ太鼓鐘貞宗がちゃんと帯にあるかを確認し、部屋を出る。
廊下では小狐丸が座して待っていた。

「ああ、座布団でもお出しすればよかったですね」

「お気になさらず。待つことには慣れておりますゆえ」

確かにここの刀剣はこの半年出陣も遠征もできなかったようなので、今更数時間待つことなど何でもないのかもしれないが。
明日には新任審神者の指揮のもとで本格運営が始まるだろう。彼らの待ち時間もやっと報われるというものだ。
目の前で小狐丸が立ち上がると、彼の顔は私の頭二つ分は高い位置にくる。それを見上げて、わたしはふと、疑問に思ったことを口にした。

「……あなたは半年前のあの会議の場にはいませんでしたが、こんのすけからの伝達は受け取りましたか?」

「ぬしさまがご自分の刀剣を刀解する、という決定のものでしたら、しかと」

そう言って小狐丸は、私の足元にいるこんのすけに視線を落とす。こんのすけにはあの場で刀剣一人一人に伝達をするよう命じたが、その後わりとすぐに私が斬られて本丸を出ることになってしまったので、全員に伝えることはとても間にあわなかっただろう。結局あの内容は砂上の楼閣となってしまったが、それでも伝達はきちんとなされたようだ。

「あなたはあれを聞いてどう感じましたか」

あれは我ながら遠回しで卑怯な表現だった。三日月も自分たち全員が刀解されると勘違いしたほどだ。
審神者見習いや刀剣男士らは、惨めな追放審神者の行く末を知らない。あえて教えることもしなかった。あの時、顔色を変えた見習いたちを見て、私は溜飲を下げるにとどめたのだ。

「私は……」

小狐丸は一度まぶたを伏せる。当時を思い起こすように。そしてまっすぐと私の目を見返した。

「ぬしさまのもとに行くつもりでした」

少し首をかしげる。私のもとに来て、それで。

「貴女の手で還していただくことを望みました」

言って、手にしていた太刀を私の前に持ち掲げる。
それを私は半ば茫然としたように見やった。鈴の装飾が小さく鳴るのをどこか遠くで聞きながら。

「あなたは……。小狐丸はあのとき、私の刀剣だったのですか?」

「はい。ぬしさま」

「そう、ですか」

優秀で優しくて、皆に寄り添うことのできる審神者見習いが来て、皆の不満が爆発し、私は主の座を引きずり降ろされた。
それでも、私の刀剣男士はいた。ちゃんといたのだ。
ぐっと喉の奥にこみ上げるものがある。
私の審神者として過ごした年月、すべてが無駄で空回りしていたものではなかった。
瞬きをすれば、私の頬をぼろりと水滴が滑り落ちる。
ずっと胸の奥底にあった孤独感が、すこしだけ軽くなったような心地がした。

「……ありがとう小狐丸。私の刀剣でいてくれて、ありがとうございました」

目の前に立つ付喪神に、深く深く頭を下げる。
死出の旅には連れて行けないけれど。わたしにはもう充分だった。


その後の顛末を簡単に説明する。
私は転移装置のある神殿で、祝詞を唱えながら太鼓鐘貞宗で首を掻き切り命を絶った。私の霊力がこの本丸の礎となるように願って。
こうなることを察していた一部の男士やこんのすけ以外の者は、血の海となった神殿を見て愕然としたという。後任審神者もまた崩れ落ち咽び泣いた。
名実ともに見習いが新しい審神者となったその日、本丸の刀剣男士たちの半数近くが刀解を願い出た。


「今だから白状するが、刀剣からの代表選出はある程度操作されていてな」

そう言って三日月はばつの悪そうな顔を私に向ける。
死んだはずの私の目の前になぜ三日月がいるのか? そんなこと神様にでも聞いてほしい。
とある本丸で追放審神者が自害したあの日からおよそ半世紀。私は前世の記憶を持ったまま生まれ変わって、2度目の人生を謳歌しつつ、前世ではできなかった高等教育まで履修した。が、結局審神者の職から逃れることはできなかった。
そらそうだよな。一度冥府を渡ったせいか、今の私は立ってるだけで悪霊も吹き飛ぶ霊力ゴリラ主。時の政府がこの逸材を見逃すはずがない。召集令状を見て思わずチベットスナギツネのような顔になった。
与えられた真新しい本丸で、初期刀を顕現する前に一部隊だけでも戦力をそろえようと鍛刀した。そうして出来た五振りのうちの一振りがこの三日月宗近だった。
私が依り代に顔を近づけただけで勝手に霊力を奪い取って顕現しやがった三日月は、名乗るより先に「主、会いたかったぞ」と全力でタックルをかましてきた。
縋りつかれて締め上げられた私は一度落ちた。意識が。

再会の挨拶は仕切り直しとなった。

「ほーん。それじゃなにか。三日月は票を操作し代表者になっていたと?」

「長らく刀剣たちの意見が割れるようなこともなかったからな。なあなあで決められることがもはや慣例だったのだ。俺が行こう、皆も良いか?くらいのやりとりで俺が代表になっていた。
あのとき刀剣の大半が審神者の交代に賛成している、と言ったが本当はあの時点でまだ主に付いていた刀は半数を越えていた。それを伏せ、俺は賛成派の刀剣だけを集め主替えを押し進めた」

「はあ。そのわりには半年後に会った時は前任にずいぶん未練があったようだけど」

「ははは。こんのすけの伝達は会議に参加していた俺のもとにもあってな。そなたの真意を諭されたのだ。あれで皆がそなたに傾いた。半年もの間出陣も遠征もなかったからな。皆が他の意見に流されることなくじっくりと考えた。そなたの死後刀解を希望しなかった者もいたが、それは遺された本丸と主の霊力を守るため。決してそなたに情が無かったからではない。……今このように言い訳をしても詮無いことだがな」

今ならわかる。
刀剣男士も完璧な人格を持って生まれてくるものじゃない。迷いもするし、道を踏み外しそうになることもある。
それでも、迷いを持ちながらも三日月が行動したのは、仲間のためだった。
前世の私は刀剣男士と進んで交流をはかることをしなかった。それでいて采配は長期にわたって強行軍であり多忙を極め、刀剣男士たちの精神は疲弊して不安定だった。
そんな本丸では三日月が主より仲間を優先するようになるのも仕方のないことだ。

「後任の審神者にも気の毒な事をした」

「あれも主とはまた違う愚直さを持っていたが、善き縁に恵まれていた。引き継いだ刀剣たちがみな役目を終えて刀解を望んだのちは、己が顕現した刀剣男士とともに審神者の務めを全うしたであろう」

「そう……」

それならいい。
努力家で、自分の情意を素直に言葉にできた彼女なら、きっと多幸な生涯を送ることができた。私は良い反面教師になっただろう。
そばにある未顕現のままの刀剣に視線をやる。
初期刀の山姥切国広に、初鍛刀の太鼓鐘貞宗。それからへし切長谷部、鶴丸国永、小狐丸。
どんな運命のいたずらかと思う。鍛刀した刀はどいつもこいつも死ぬ直前に関わった者ばかりだ。
まさかこいつらも記憶持ちか、と疑問を口にすれば三日月はとても良い笑顔で「さてどうだろうな」とはぐらかした。

2019/06/20完

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