兄弟は他人の始まり
※無双幸村と姉弟


弁丸は心優しく利発で、私の自慢の弟だ。
幼い頃は甘えん坊で、姉である私の後をついて歩いて、どこに行くにも一緒だった。私もそんな弁丸を甘やかして育てた。

少し大きくなって、弁丸が少年と呼べる年齢になると、個別に様々な手習いや武術の稽古を行うようになり、いくらかは共にいる時間が減った。
そんなある日、庭で木槍を振り回していた弟が私を見つけるやいなや駆け寄ってきた。

「聞いてください姉上、私には目標ができました」

「それはいいことだね。目標があれば稽古にもますます身が入ることだろうし。それで、弁丸の目標はなに?」

「はい。いつか日ノ本一のもののふになって、姉上をお守りすることにございます」

はりきってそう話す弁丸に、私もほほえんだ。ありがとう、がんばってね、とまだまだ低い位置にある頭をなでると、彼は嬉しそうにはにかむ。

「そして、いつか姉上を妻としてむかえたいのです」

「え、……そっか」

その言葉には、一瞬なんと返せばいいのか悩んだ。
せっかく目標ができたと嬉しそうに報告してくれたのに、水を差したくない。「あねうえとけっこんします!」なんて、幼少期はさんざん言われたことだしあまり深く考えるのはやめた。

「いつかそうできたらいいね」

結局はいともいいえとも応えられずに終わるのだ。
いずれ私は他家に嫁ぎ、弁丸も良家の娘を迎え入れる。お家の繁栄のためにはそうしなければならないのだと、きっと周りの大人が教えてくれるだろう。

だが、それから年月を経るにつれ、彼の私に対する執着は増すばかりなのであった。



弁丸が元服を終え、真田幸村と名乗るようになって数年。幸村の身長が私より頭ふたつぶんは高くなっていた。
私は未だに上田城にいるのだが。

「……父上、何ゆえわたくしには縁談がひとつもないのでしょう。このままでは行き遅れてしまいますが」

父、昌幸に直談判すると、彼は訳知り顔でニヤリと笑う。このひとがこういう顔をするときは、たいていろくなことがない。

「そなたの処遇は息子たちに一任させておる」

「……なんですって?」

耳を疑った。

「私がどこに嫁ぐかを弟たちにゆだねているのですか」

「正確には、主に幸村にじゃな」

理由をたずねると、弟は私さえ手元に置けるのなら、お家のためにどのようなことでもすると言ったのだと。逆に私を余所へ嫁にやるのなら出奔してやると父上を脅したという。
私を嫁に出して幸村を出奔に走らせるか、それとも私を飼い殺しにして幸村を真田の英雄にするか。なんて、答えは明白。天秤にかければ幸村へと傾くのは当然だ。
うっかり納得してしまった私は、したり顔の父上の前からすごすごと引き下がるしかなかった。
ひょっとして……このひと、子離れできないだけなんじゃないだろうな。

ともあれ幸村とて、兄や父ならばともかく家臣すべてをこんな強引な方法で説得できるはずはない。
弟が私へのどんな良縁も握りつぶしてしまうので、良識ある大人たちは家臣の中から良い者を私とめあわせようと画策したのだ。
まぁ、それを知った弟が黙って見過ごすはずはなく、縁談はすんでのところでお流れとなってしまったのだが。

そんなことがあった後、幸村は私の私室にまで訪ねてきて、あらたまってこう言った。

「姉上、私と共に逃げましょう。どこか遠い地で、二人きりで暮らすのです」

「何を言ってるの幸村。それじゃあ君と父上が交わした約束を反故にしてしまう。君に約束を破らせるくらいなら私は他家に嫁ぐことを選ぶよ」

「姉上……」

私の言葉に幸村は苦しげに表情をゆがめた。
このころになれば、幸村の私に対する感情の種類が、姉を慕うものを凌駕してもはや別物となっていることなど私にもわかっていた。彼の瞳に宿るものは、姉に対する恋情であり、劣情だ。

「私にもわかっているのです。もうなにも知らぬ幼い頃のままではない。姉上と私が結ばれることは禁忌なのだと。それに……真田の家に尽くすと約束した以上、私もいずれ、他家の娘を妻に迎えなければならない」

私はその言葉に内心驚いた。幸村はちゃんと将来のことを考えていたのだ。光明を見いだした思いで続きを待っていると、彼は次に驚きのせりふを口走った。

「ですから姉上、私と共に死んであの世で幸せになりませんか」

「いやいやいやいや!」

前言撤回。こいつは将来のことなんか考えてなかった。

「考え直せ幸村。おそらくそんな死に方をすれば私は浄土、幸村は地獄行きだろうしさ」

「そう、ですね……。そうなってしまえば姉上に私の子を産んでもらうこともできない。では姉上を誰の目にも触れないところに閉じこめてしまいましょう」

実姉を手込めにする気か。
幸村の目は本気だった。願望を語っているのではない。すでに決意している。

さぁっと血の気を引かせて逃げだそうとする私の腕を、幸村は強い力でつかんで引き寄せた。そして、失礼します、と耳元でささやくような声が聞こえて、首の付け根に打撃を受ける。
幸村に攻撃されるのは初めてで、気を失う直前だというのに、それをのんきに物珍しく思う自分がいた。

結局のところ私も、姉思いの弟が愛おしいのだと思うのだから救いようがなかったのだ。
(2015/04/01)

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